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朝の瞑想を終え、立ち上がり大きく伸びをする。あれから更に三日経ち、すっかり日常が戻ってきた。
「さあ、朝ご飯にしようか」
「ん。分かった」
アレクの態度も懸念していたものとは違って、特に変わらない。というよりも、更に軟化した気がするのだが、俺が心配かけたのは事実なので、多少の気恥ずかしさはあるが文句はない。
「そういえば、クレア嬢が今日来るんだっけ」
「ああ、ミルディさんと一緒にな。まさかミルディさんがクレアを引き取ることになるとは」
俺が眠り続けた五日間の内に、孤児院での出来事はすっかり片付いていたと知った。
孤児院の院長は薬で狂い、地下でそのまま死んでいたらしい。けれど、人身売買の証拠はそのまま残されていたので、関わった職員や他貴族は軒並み法に則り刑に処された。
更に、西のネストリア帝国との関わりもあったようで、事態を重く見た国王陛下は各国の首脳陣に通達し他国を巻き込んで正式に抗議をしたらしいが、帝国は沈黙を貫いている。
そんな中、冒険者ギルドにて保護していたクレアは、ミルディさんが養子として引き取ることになった。預かっている内に何かが芽生えたのか、大層クレアはミルディさんを慕い、ミルディさんもそれを受け入れたらしい。
「泊まりだっけか?」
「そうそう。泊まりでお菓子パーティーするって約束をしたからね」
「お前子ども好きだよな」
「どうかなぁ。庇護する対象ではあるけど」
「考え方が王族だな」
「まあね。生まれは変えられないし、育った環境である程度考え方は決まるし」
少し誇らしげに言うアレクの表情に、家族を思い浮かべているのだろうなと思った。羨ましくないとは言わないが、このままこの時代に残るべき奴じゃないと、理解もしている。
一階に降り、朝食の準備だ。全く何もしないのは嫌なので、せめて出来上がった料理をテーブルに運ぶくらいはさせてくれと頼んだのだが、結果ただただ椅子に座らされてしまった。駄目人間の誕生である。
「餌付けどころの騒ぎじゃねえ」
「どうかした?」
「お前にどんどん堕落させられてる気がする」
「そう思ってる時点で堕落はしてないでしょ」
「お前無しじゃ生活出来なくなりそうで嫌なんだが」
「大丈夫だって。魔力覚醒したら、訓練も込みで手伝わせるから」
自分では全く分からないが、アレクの見立てではもう少しで覚醒するだろうとのことだった。魔力は心臓を起点として生まれるものらしく、少しずつ俺の心臓辺りが変化を始めているらしい。
「早ければ一週間以内に覚醒が始まるから、覚悟しておきなね」
「何の?」
「ん〜……まあ、瞳にしろ背が伸びるにしろ、人体の改造みたいなものだし、多少痛むから」
「前も言ってたな、そういや。大丈夫だろ」
痛みに強いというか、それなりの暴力は受けてきたので、そこに関しては楽観視している。何より、楽しみの方が多い。遂に、魔法を使えるようになるのだから。
朝食を食べた後は、魔法の座学と肉体トレーニングだ。座学に関しては理論を学んでおいた方が後々楽だと言われ、大人しくアレクに従っている。今日のテーマは、媒介についてだ。
「魔法を発動する時には、何らかの媒介が必要なんだ」
「何でもいいのか?」
「正しく言えば、魔石を有した物が媒介になる。魔石さえあれば、何でもいいね」
そう言って、アレクは黒板にサラサラと絵を描いていく。杖やネックレス、指輪といったアクセサリー。加えて、ローブや眼鏡も付け足された。
「ローブって布だろ?魔石を縫い付けんのか?」
「内側に縫い付ける人もいるし、細かく砕いてビーズの装飾のようにしている人もいるかな」
「ほぉ〜ん……凄えな」
「魔石という媒介がなければ、魔法を使うことは出来ない。つまり、魔法使いにとって最大の弱点ともなり得るのが媒介というものなんだ」
アレクは黒板に向けて手を翳す。媒介の例として挙げていた絵が変化し、それぞれが砕けたり破れたりと絵が置き換えられた。
「一つだけではなく、複数所持するのが基本かな。魔石も相性があるから、大体が自分と相性の良い魔石を隠し持ってるね」
「成る程」
「暗黙のルールとして、"どんな媒介なのか訊いてはいけない"ってのがあるかな。貴方の弱点はなんですか?って訊かないでしょ?」
「それは確かに」
「けれど、その暗黙のルールにも例外はあるんだ」
そんな自分の弱点を曝け出す例外なんてあるのかと疑問を浮かべていると、アレクはクスクスと笑っている。
「結婚の誓いだよ」
「……ほお」
「貴族や平民関係なく、これは同じ。結婚初夜に、自らの媒介を打ち明ける。共に歩むパートナーの最大の弱点を共有し、何かあったときには互いを守る為にね」
「何ともまあ、女が好きそうな……」
「おや、女性だけではないよ。男性だって、自分だけが知っているという優越感に浸る場合もあるさ」
「そういうもんか?」
「そうそう」
いまいち、そういったものが分からない。恋愛とは無縁の人生だったし、初恋すら未だなのだから。
「稀に恋人同士でも媒介の共有をしてしまうけれど、ボクはオススメしないね」
「何でだ?結婚してないとは言え、好き同士ってのは変わんねえだろ?」
「感情的には似ているけれど、誓いの重みがないんだ。結婚とは違い、不確定な要素が多いからね。浮気なんてしてごらん?場合にもよるけれど、無事では済まないだろうね」
「……怖えな」
「恋する感情は時として、憎しみや狂気に変わるんだよ」
恋とは恐ろしいものなのかもしれないと戦慄してしまう。仮に俺が将来恋人が出来て、うっかり媒介を教えてしまったとして。性格的にあり得ないとは思うが、浮気してしまったら。
「……俺、絶対言わないようにする」
「ん?まあ、そうだね。真っ青な顔してどうしたの」
「女は怖いって知ってんだよ……」
「おや、おやおや。若いのに修羅場の経験があるとは」
ニヤニヤと憎たらしいまでに愉快そうに笑むアレクを睨みながら、俺は溜息を吐いた。
「そうじゃねえ」
「ほお」
「……夕方来る、ミルディさんいるだろ?」
「ミルディ嬢がどうかしたの?」
他言無用だと念押しした上で、俺は昔見た記憶を呼び覚ます。あの恐怖は今も、忘れられない。
「俺がギルドに入ったばっかの時、お前と出逢ったネルガの森で盗賊に襲われてさ」
「キミは昔からそういうのを引き寄せるんだね」
「煩え今は置いとけ。……で、念の為ってミルディさんから防御魔法が発動する魔道具を貰ってたんだ。んで、それが発動したと同時に、ミルディさんが助けにきた」
「成る程……そういう魔法を仕込んでおけば……」
ブツブツと考え込むアレクは無視して、話を続ける。
「瞬殺だった」
「まあ、魔力多いからねミルディ嬢」
「んや……魔法はほぼ使ってねえと思う」
「は?」
あの日見た、ミルディさんの後ろ姿。黒いローブを揺らしながら、大鎌を振り回すあの姿は、死神にしか見えなくて。
「二メートルくらいの大鎌を振り回してたんだよ」
「わぁお。随分とアグレッシブなんだね」
「んな可愛らしいもんじゃねえ!!」
「お淑やかな女性かと思いきや、ギャップがあって良いじゃない」
「ギャップで収まる範疇なのか……?」
「ボクが知る中では可愛いものだよ。鞭で叩きのめして血を浴びながら笑うとかしてないでしょう?」
「待て待て待て。お前は何つー女と知り合いになってんだ」
「ちょっと激しい女性だったよ。まあ、ボクの相手じゃなかったから心穏やかに過ごしてきたけど」
やれやれと困ったように笑うアレクに、恐怖してしまった。アレクも少し人としてぶっ飛んでいるというのに、そのアレクが激しいという女性とは。やっぱり女は怖い。俺は恋愛とは無縁で生きていこうと心に決めた。
「話が脱線したけど、とりあえず媒介については理解したかな?」
「ああ、分かった」
「魔力覚醒をして魔力が落ち着いたら、ロイに合う魔石が何かを探そうと思ってる。魔石屋を呼んで、石を選んだ後はどんな形で持ち歩くかを決めないとね」
「想像がつかん。皆どうやって決めてんだ?」
「魔石は相性だけど、媒介の形は好みだね。常に身に付けてても、違和感がないものにした方が良いよ」
「んー……」
杖は邪魔になりそうだし、眼鏡は掛けないから却下だ。ローブは動き辛いし、無難なのはアクセサリーだろう。ふと、アレクの耳にあるピアスが目に入った。あれが媒介なのかは分からないが、耳ならば邪魔じゃなさそうである。しかし、ピアスの穴を開けていないので、悩ましい。
「思い浮かんだけど、実現には勇気がいるな」
「お金の心配はいらないよ?」
「そこじゃねえ。何つーか……って、俺の媒介はお前に教えなくて良いのか?」
「基本的には、まあ。師弟関係でも教えないものだね」
そうは言っても、だ。恋愛からは身を引きたい俺からすれば、何かあった時に困る。日常を共にするアレクに教えといて損はない。何より、痴情の絡れなどあり得ないので、殺される心配もない。
「お前には教えておく」
「……は?」
「アレクぐらいだからな、俺には。勿論お前のを知りたいとかは無いけど、俺のは知ってて欲しい」
「え……あ……」
口を何度も開け閉めしながら、アレクは俺を見ていた。頬が薄らと赤く染まっていて、どうかしたのかと訝しんだところで、はたと自身の発言に気付く。
「ち、違えぞ!?お前が好きとか、そういう……っ、恋愛じゃ、ねえからな!?ただ、一緒に住んでるし恋愛するつもりもねえから、何かあった時はアレクに知っといてもらったほうが良いって、それだけだからなっ!?」
「吃驚した……そう、だね。そういう、ことなら……」
「お、おう……」
そこはかとなく、気不味い雰囲気が流れる。何という失態を犯してしまったのか。妙に目を合わせずもじもじとしながら時折此方を窺うアレクに、何という顔をしてんだと此方も意識してしまう。やめてくれ。
「と、とにかく、だ」
「う、うん」
「俺は邪魔にならんピアスにしようと思う。穴開けてえけど、やり方が分かんねえなって」
「それなら、開けてあげるよ。慣れてるから」
「お前凄え付けてるもんな」
「そう?七個って多いかな」
「充分多いと思うぞ」
何とか上手いこと話を再開出来たことに安堵しながら、その後も座学を続けたのだった。