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俺の一日は瞑想から始まる。
柔和な笑みを浮かべた狂人──ではなく、師匠となったアレクに見張られながら、住処である塔の屋上に胡座で座り、目を閉じて深く深くゆっくりと呼吸をする。
奇妙な男との共同生活が始まって早二週間、朝の恒例となったこの瞑想は、最初は意味が分からなかった。アレク曰く、心身共に整えるところから始めなければ覚醒には至らないとのことだったが、最初に比べ今ならば意味が分かりつつある。
「──何か、モヤモヤすんな」
「だろうね。血を魔力に上手く変換出来ないからこそ、身体の中が違和感を感じてるんだよ」
「キッカケとかあるもんなのか?」
「無理矢理覚醒させたら、過剰に血を失うから死んじゃうし……」
「穏やかな提案をしやがれ」
「えー?我儘な弟子だなぁ。キッカケなんて人それぞれだよ。美しい花を見て覚醒する子もいれば、目の前で人が死んだのを見て覚醒する子もいるもん」
「……成る程な」
つまり、良い感情や逆も然りで。何ともまあ、気が遠くなるというか、少しばかり焦ってしまう。けれど、全く自分のことを理解していなかった頃よりはマシだから。
頭を振って目を開ける。空はどこまでも澄んでいて、今日は雲ひとつない快晴だ。春とはいえ暖かく、日に焼けそうである。アレクを見れば、ダークブラウンの髪が風に揺れていた。薄紫色の髪や瞳は、ある日突然色を変えていて大層驚いたものだ。
「どうかしたの?」
「見慣れねえなと思っただけだ」
「ああ、まだこの見た目に慣れない?」
「……前のが似合ってたから」
「そりゃあ元々の色だしね。調べ物が終わったら直すよ」
「ふーん……」
その"調べ物"が何なのかは、俺には言わないのだろう。コイツはそういう奴だ。明確に訊けば答えるのだろうが、基本的に俺が関わらないことに関しては一切言わない。子供扱いをされているわけではないが、互いの関係性が深い訳ではないし、俺も俺で踏み込むことをしない。
立ち上がり伸びをした後、二人で塔の中へ入る。転移魔法で移動すれば一瞬なのに、アレクはそれをしない。あまり魔法に頼り過ぎても人として駄目になると言っていたので、そういうものかと思った記憶がある。
朝食を食べた後に身嗜みを軽く整えて一階へ向かうと、同じように少し身綺麗にしたアレクがいた。
「あれ?今日ロイも出掛けるんだっけ?」
「冒険者ギルドにな。登録更新しねえと」
「なら、これからボクも出掛けるし、昼は待ち合わせて外で食べない?」
「ああ。なら時計台に集合すりゃあ良いか?」
「いいね。正午に集合で。遅刻厳禁だよ」
「そこまで登録更新に時間は掛かんねえし、大丈夫だろ」
冒険者ギルドは、毎年春に登録更新をしなければならない。面倒だなと思う反面、こうでもしなければ入会しただけで何もしない会員などが増えて大変だと嘆く職員達の心情も理解出来るので、文句は言わないが。
アレクとは塔を出たところで別れ、大通りへ向かう。首都ロワジャルダンは空から見れば半円の形をしていて、北へ向かえば向かうほど高さのある街全体が斜面の多い地形をしている。
坂の一番上には王城があり、崖に面して造られている。王城の下には貴族街があり、その下は店が立ち並ぶ。坂の上下で富裕層向け、平民向けと区別はされているものの、入店基準を定めているのは少ない。
商店街から更に下には平民達の住宅街が並んでいて、国民性もあるが毎日祭かというほど賑やかで活気に溢れている。
南門から真っ直ぐ貴族街まで伸びているのが大通りだ。俺達が住んでいる塔は何故か貴族街の端にあるので、斜面を下っていく。緩やかな坂道を歩けば、魔法で動く小型の魔道車や箒に乗った人々とすれ違う。
(そういや、魔道車を初めて見た時のアレクは面白かったな)
「鉄の塊が動いてる!」と興奮気味で、文明の進化に目を輝かせていたのが面白かった。商店街を一緒に見て回った時も小型の通信魔道具にも興味を持ち、無理矢理持たされたのも記憶に新しい。
(店員に生温かい目で見られたのは気の所為じゃねえよな。アレは完全に誤解された)
というのも、通信魔道具は様々な形があり、ペンダントやイヤーカフ、ブレスレットやアンクレットなど基本的にはアクセサリー状に加工してあり、こともあろうにアレクはペアリングを選択したのだ。全力で拒否したのだが、一番邪魔にならないし外れなさそうだという理由で押し切られたのだ。
チラリと右手の薬指に光るシルバーの指輪を見る。左手に付けられそうになったのを全力で回避し、中指ではなく薬指にサイズが合っていたので仕方なく付けている。
(物に罪はねえしな。便利だってことで諦めたけど)
まだ覚醒していない為、俺が使うことは出来ないけれど。今のところアレクから一方的に通信が来るその指輪は、まるで首輪だなと最近思っている。
時折思い出したかのように溜息を吐きながら歩き続ければ、大通りへと辿り着き更に南下していく。商店街を抜け住宅街もひたすら抜けて南門付近へ来たところで、漸く目的地である冒険者ギルドが見えてきた。
歩き進めてギルドへ到着し中へ入ると、見知った受付の職員と目が合った。
「あら、ロイじゃない」
「どうも、ミルディさん」
片手を上げて挨拶しながら、そのままミルディさんのところへ。片眼鏡に鎖骨まである金髪、常に穏やかで笑顔を絶やさないミルディさんはこのギルドの看板受付嬢として有名だが、俺は知っている。ミルディさんはこのギルドでも屈指の魔法の実力を持っていることを。
「あら……?ロイ、魔法を使ったの?」
「まさか。冗談にも程がありますって」
「魔力の残滓がある気がしたんだけど……。気の所為だったかしら」
「気の所為じゃないすか?」
内心ヒヤヒヤしながらも、俺は平静を装いながら持参したギルドカードを内ポケットから取り出した。別に悪いことをしているわけではないが、アレクのことを何と説明すれば良いのか分からない。アイツは凄腕の魔法使いではあるが魔法ギルドや冒険者ギルドに属しているわけでもないし、端的に言えば無職である。
(無職の野郎と二人暮らしを始めたって言おうもんなら、ミルディさんはお節介だし色々煩そうだからな)
「更新しにきました」
「あら、良い子ね。最近依頼を受けてないみたいだけど、どうしたのかしら。前は毎日受けていたでしょう?」
「あー……引っ越したんで。色々立て込んでるっつーか……」
「孤児院を出たのね。良かったじゃない」
「まあ、はい」
どうかこれ以上は聞いてくれるなよと思っていると、ミルディさんは思案顔で俺を見てくる。
「いつ引っ越したの?」
「二週間前ですけど……」
「嗚呼、良かったわ。先週あの孤児院で火災が起きたのよ。子ども達と院長先生は無事だったのだけれど、職員三名が亡くなったの。院長先生によると、子ども達を逃しながら必死に消化活動をしていたらしくて。瓦礫に巻き込まれてしまったそうよ」
「は……?」
ミルディさんは幾つかの新聞を俺に見せてくれた。そこには、燃え盛る孤児院と亡くなった職員達の写真が掲載されていた。亡くなったのは──俺を常日頃虐待していた、彼奴等だった。
「亡くなった方には申し訳ないけれど、ロイが巻き込まれなくて良かったわ」
「そう……っすね」
「孤児院は新しく建て替えられたところよ。院長先生に顔を見せにいったら?」
「はい」
どうせ昼までは時間があるし、何か差し入れとしてお菓子でも買っていこう──そんなことを思い付いた時ふと、疑問も浮かんだ。"子ども達を逃すために"という言葉に、引っかかりを覚えたのだ。
(彼奴等がそんなことするか……?俺に対しての態度は酷かったが、他の子どもに対しても大差ねえもんだったろ)
あの職員達は、元々は城で働く事務官や魔法研究所の職員だった。所謂左遷というか、クビ同然で孤児院に派遣されていたのだ。子ども好きなんてことはないし、子ども達に好かれていたなんてこともない。
妙に胸が騒つくが、死んでしまった者達をこれ以上悪しきように言うほど落ちぶれてはいない。ミルディさんから更新したギルドカードを受け取った俺は、そのまま商店街へと足を進めたのだった。