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ロイ視点です。
「お姉ちゃんよ、ロイ」
「ええっと、その……」
「姉上は嫌だわ。お姉ちゃんがいいの」
ぷくっと頬を膨らませて抗議の眼差しで見つめてくる女性に、俺はほとほと困り果てていた。
──何故こんなことになったかというと、だ。
朝食を済ませた後、母上である魔女と共に転移魔法で俺は南の大陸まで移動した。俺と契約したソレアンは、家でお留守番である。森の家を守っていてくれるらしい。
獣人族達が棲まう南の大陸は、樹々も大きく立派で、気温も湿度も高い。中央大陸にある同じ種類の草花も、豊かな大地に育まれ大きさは倍以上まで成長していて、歩いているだけで楽しい。
母上の娘である、アリーティアという魔女は南の大陸に住んでいる。だからこそ転移してきたわけだが、すれ違う獣人族達は無条件で母上や俺に頭を下げていて、どこか居心地が悪かった。
「母上、何故獣人族の方達は頭を下げるんだ?」
「魔女は森そのもの。森に逆らう愚か者は獣人族にはいないわ」
「……そういうもん?」
「人間でいう、王族のようなものね」
「ああ、成る程……」
「陸に住むなら、魔女を敵に回すことはない。最も、人間は森とそこまで関わらないから愚かにも牙を剥くこともあるわ」
「何か、ごめんな」
「貴方は魔女であり、私の息子。謝る理由がないわ」
何故俺が謝るのか心底理解が出来ていなさそうな表情で、母上は俺を一瞥した後に再び歩き出した。置いていかれないようについていきながら、周囲を観察する。
動物の匂い、森の匂い、美味しそうな果物の匂い──しかし、それに混じって火薬のような匂いが風に乗って俺に届く。
「母上、風上から火薬の匂いがする」
「──そうね。狩りをしてるみたい」
「狩り?あぁ、動物を狩ってるのか」
「狩られているのは獣人だわ。また西の愚かな人間共が手を出しているのでしょう」
「は……?な、なら、助けないと!」
「何故?ロイの知り合いなの?」
不思議そうな顔をする母上に、対する俺は上手く言葉が出てこなかった。身を危険に晒されている獣人は、確かに俺の知り合いではない。
けれど、何もしないという選択肢は選びたくない。たとえ自己満足だったとしても、己の力を過信することだとしても、知ってしまったのに何もしない人間に、なりたくなかった。
「──俺は、知らない獣人を助けたい」
「何故?」
「ただの自己満足。あと、俺が困った時、俺を知らない人に助けてもらったことがあるから」
「自己満足……人間は欲深いわね」
「母上の息子になったってことは、シリウスさんの息子になったってことだろ?シリウスさんなら、知ってしまったら助ける人だ。父親に似たんだよ、俺」
「……そうね。そうかもしれないわ」
少しだけ戸惑う母上の手を取り、匂いのする方へ走り出す。草木は俺達を避けるように動き、まるで森が意志を持ち案内をしてくれているみたいだった。
匂いの場所まで数分で辿り着き、手錠のような物を猫耳の獣人に付けようとしている鎧姿の男数名を視界に捉え、俺は母上の手を離してから魔力で身体を強化して背後から蹴りかかった。
(鎧相手なら体勢を崩すぐらいしか出来な──あ、あれ?)
ガシャンッと蹴り上げた瞬間に鎧が凹み、一人はそのまま気絶してしまった。他に二人いたのだが、魔法を詠唱している間に鳩尾に掌底を打ち込み一人を地面に沈め、剣で切り掛かってきた最後の一人も動きが大層ゆっくりに見え、避けて踵を首筋に振り下ろして意識を奪った。
「……シリウスさんの何倍も遅いし、アレクの魔法に比べたら何てことないな」
「ぁ……の、あなた、は……?」
「あ?」
怯えたように震えている猫耳の獣人は、どうやらまだ十歳くらいの女の子だったみたいで、突然現れた俺も怖いのか、表情には恐怖の色を浮かべている。
怖がらせないようにゆっくりとしゃがみ、手をくいっと母上に向けて笑顔で話し掛けた。
「あそこにいる、魔女分かる?」
「は、はい……っ」
「俺、魔女の息子。母上ーっ!名乗っても良いもんなのかー?!」
こくりと頷いた母上を確認してから、ポケットにある飴玉を一つ取り出した。王都の店で買った物だが、薬草入りの飴で治癒効果を高める物だ。
「俺はロイ・メテンコーフィス。輪廻の魔女の息子だ」
「魔女様……っ?た、助けてくれて、ありがとうございます!」
「良いんだ。ただの通り掛かりだから。これ、治癒効果を高める飴なんだ。まだ危ない奴等は他にもいるかもしれないから、これを食べて逃げな」
「は、はい……っ」
「ん〜……同じような獣人族の匂いはこの先の──太陽に向かって走れば会えるはずだ。気を付けるように他の獣人族にも伝えておくと良いかもな」
「わかりましたっ」
治癒魔法が使えれば、殴られたのか内出血をしている目の前のこの子を癒せたかもしれないが。生憎まだ知らないので、こればかりは仕方ない。
走り去る女の子を見送り、地面に転がる男達を見下ろす。母上もこちらに来て、忌々しそうな顔で見ていた。
「こいつら嫌いなのか?」
「……生まれ育った西の森を消した愚かな人間共は嫌いよ」
「成る程。どうしたい?母上が殺したいなら、俺は止めない」
「意外ね。殺しは嫌がりそうな優しい子なのに」
「殺したいほど憎い気持ちがあることを、俺は知ってるから。綺麗事だけじゃ生きてけねーしな」
例えば俺の目の前でアレクが傷付けば、俺は迷うことなく傷付けた奴を同じように傷付けるだろう。母上が傷付けられたら、それも同じだ。
俺と関わり、俺が大事だと思う人が傷付けば、法律とか倫理観とかどうでも良く、同じことを俺はする。俺はそういう人間だ。良いことも悪いことも、されたことはそのまま返す。
「故郷を奪われて、許せなんて無理だろ」
「ええ。許すことは出来ないわ」
「だから、母上のしたいようにしていい」
「そう。良い子ね」
フッと視界が暗くなった。
母上が俺の視界を片手で覆ったのだと気付いた時、ガキョッと嫌な音がして、更にズズズッと地面が揺れたような音が続く。母上が手を退けると、地面に転がる男達は消えていた。
「地面に埋めたのか?」
「返したのよ、ロイ。血肉ごとね」
「つまり、肥料になったと」
「良い花が咲くと良いけれど」
「死んでから役に立つならまだ良いんじゃね?」
俺の言葉に、母上は少しだけ溜飲が下がったように笑っていた。半分冗談ではあったが、アレクならこう言うだろうなと少し思ったのだ。二ヶ月しか共に過ごしていないのに、思考が似てきているらしい。これは良くない。
さて、母上の娘であるアリーティアに会いに行こうと再び歩き出そうとしたのだが、何故か母上に手を繋がれた。そしてそのまま歩き出す。
「さっきは繋いでなかったのに、どうしたんだ?」
「親子は手を繋ぐでしょう」
「小さい時はな。俺十五歳で成人したんだけど」
「まだ子供よ。百歳にも満たないなんて」
「えぇ……」
どこか満足そうな顔をしているので、こういう親子の普通の触れ合いが楽しいなら良いかと、手を繋いだまま森を歩き続ける。
時折小鳥達が飛んできて、俺の肩に乗って休憩し、また飛び立っていく。動物に好かれるのも魔女の特性かと一人納得していると、立派な大樹が見え始めて母上は足を止めた。
「あそこに、アリーティアがいるわ」
「母上は行かないのか?」
「一度に沢山の心が読めると、疲れるもの。私は待つわ」
「……そうか。なら、先に行ってくる」
娘想いの良い母親だよなと思いつつ、一人で大樹に近寄った。樹の中は空洞になっていて、人一人が漸く歩けるほどの階段があり、恐る恐る登っていく。
登りきったそこには、枝と蔦が複雑に絡み合う大きな鳥の巣みたいな椅子があり、玉座にも見える。銀のような淡く長い髪を優雅に椅子から地面まで垂らす女性は、俺を視界に捉えて口を開いた。
「お姉ちゃんよ、ロイ」──と。




