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アレク視点になります。
「ルーリィ、お願いだよ。その手を離してくれないか」
『駄目だ。離せばお前はあの城に戻るだろう』
「分かりきったことを言わないでおくれ。キミを傷付けるのは本望じゃないんだ。良いから離し──」
『駄目だと言っている』
「──ルーリィッ!」
魔力で自己強化をしても尚、竜であるルーリィの力は強く、腕の中から抜け出せない。
あの白亜の城から転移し辿り着いた場所は、ボク達が野宿していた浴場だった。転移する前に見たシリウスは、ボクが知る普段通りの優しい笑みを湛えていた。ボクが弱い所為で、シリウスが犠牲となるなんて。
『……戻るにしても、そこの凍ってる弟子を何とかしてやれ。そのまま見捨てるつもりか?』
「……っ。そう、だね」
『狼のことだ、死にはしない。森の魔女が赦さないだろうからな』
「魔女が、彼を助けると?」
『じゃなきゃ、番の印なんざ付けねえよ。アレはそう簡単な物じゃない』
ゆっくりと、ボクを拘束していた爪の力を抜いたルーリィは、氷の中に閉じ込められたロイへボクを鼻先で押した。
『魔法の氷だ。壊すんじゃなく、ゆっくり溶かせよ』
「……分かった」
まるで眠っているかのような青白い顔のロイを見て、魔法を発動させようと伸ばした手が震える。またボクは、守れなかった。今度こそ守ると誓ったのに。ボクを信用してると言ってくれたこの子を、ボクは──。
『……オレがやろうか?』
「いや……ボクがやるよ。師匠として、ボク、が……っ、」
『──座ってろ。そんな不安定な魔力、暴発しかねないからな』
へたりと床に座り込んで、己の情けなさに嫌気が差す。旅に出ようと、巻き込んだのはボクだ。ミルディ嬢や、クレア嬢に何と詫びたら良いのだろう。ボクが弱い所為で、ロイも、シリウスも失ってしまった。
『──"雪解けは春が如し"』
ルーリィの口から、まるで春の息吹のような温かな風が吹く。シリウスと同じような古からの詠唱魔法は、ボクの魔法とは違い的確で正確、そして温かい。
じわじわと溶けていく氷。そして顕になるロイ。瞳を閉じていると、かつて慕っていたルクセンブルク家の初代当主を強烈に思い起こさせる。しかし、ボクはロイが彼じゃないと理解しているから。
無意識にロイへ近付き、倒れないように身体を支える。酷く冷たい彼の身体に、支える手が震える。どうかまたあの綺麗な満月の瞳を見たくて、優しく目元を撫でた。
「ロイ……っ、本当に、すまない……っ」
情けなくも、涙が溢れる。
知り合って二ヶ月も経たないが、ロイと過ごした時間の重みは、ボクの心を傾けるには充分だった。
大戦でボクは沢山の命を奪い、多くを壊した。まだロイと同じ、十五の時に。あんな経験をさせたくなくて、魔法を、魔法使いを憎むロイへ楽しさを知って欲しくて、ボクを──知って欲しくて。
(こんなことになるのなら、盾の魔法じゃなく転移魔法を教えれば良かったんだ。そもそも、旅に出るのさえやめれば良かった。ボクは、一体幾つ間違えたんだろうね……)
彼の足先まで氷は溶け、冷え切ってしまっている身体を意味はないと分かっていても魔法で温めていく。
「……ルーリィ。少し後ろを向いていてくれるかい?」
『あん?……嗚呼、分かった』
不思議そうな顔をするルーリィは、大人しく後ろを向いてくれた。それに安堵しながら、ボクはそっと──ロイに口付けた。
それは孤児院の事件の際、ロイが倒れた時と同じだった。一向に目覚めないロイが死ぬことがないよう、水を飲ませた時と同じ行為で。
(あの時は、クレア嬢に見られていたんだっけ……)
キラキラした目でボクとロイを見た後、誤解だと訂正する間もなくミルディ嬢の元へ駆け出してしまった思い出が、頭を過ぎった。ファーストキスを奪ったのはボクだなんて知ったら、ロイはきっと顔を真っ赤にして怒るだろう。それか、黙り込んで部屋に塞ぎ込んでしまうかもしれない。
(そんな未来が、あれば良いのに……っ)
乱れた精神と比例するように、内にある魔力も乱れる。口付けをしながら魔力を注ぎ込んでしまい、魔法により温もりを取り戻した彼の身体を抱き締める。
(大切なんだ、ロイのことが。素直なのに不器用で、素っ気ないのに優しい可愛いボクの弟子である、この子が)
口付けを続けながら魔力を注ぎ込み続け、此方を見つめる満月の瞳を見つめ返す。しかし、そこで違和感に気付いた。
(……目が、開いてる?)
驚きから唇を離すと、ロイは口を呆然と開いたままボクを凝視していた。顔は赤く染まり、血の気があるどころの騒ぎではない。
「ロイ……、目が、覚め……っ。待ってくれ、キミは、凍らされて、死んだんじゃ……っ」
「ぁ、え……?」
『ふむ。起きたか』
のしのしと此方へ歩いてきたルーリィは、呆然と固まるロイへぐいぐいと鼻を押し付ける。
『おい人間。お前の名前は何だ』
「ぇ、あ……、ロイ、です」
『姓はないのか』
「ある、けど……。どっちも、捨て、ました」
『フン……なら、ロイと呼ぶか。月の女神に愛された、良い魔力をしているな』
「あ、ありがとうございます……??」
困惑しているロイと、同じく困惑するボクの間で、ルーリィはパタパタと尻尾を振っている。といっても、巨体故にそれだけで風が起きているが。
『む?アレク、どうした間抜けな顔をして』
「だって、その……っ。てっきり、ボクはロイが、」
『死んだと思っていたのか?嗚呼、通りで落ち込みながら魔法を掛けていたわけだ』
「呼吸も、魔力も無かったじゃないか!」
『魔法の氷と言ったろう。仮死状態になっていただけだ。吸血鬼共は、新鮮な餌を好むからな。食う時に解凍する』
「……最初に教えてくれても良いじゃない」
『フン。無知をオレの所為にするな。お前は何でも雑なんだ』
言い合いをするボクとルーリィの横で、どさりと音を立ててロイがしゃがみ込む。何処か身体の不調があるのかもしれないと慌てて駆け寄ると、パッと勢い良く顔を上げてボクを見上げてきた。
「……アレは、アレか。救命措置か」
「違──っ、いや、うん。そうだよ。ほ、ほら、魔力が空っぽだったから」
「ああ、成る程な。まあ、そうか……納得した。つーか俺は何が起きたか理解してないっつーか。森を走ってたら落とし穴みたいに落ちて、気絶したんだけど」
上手く誤魔化せたなと人知れず息を吐くと、キョロキョロと辺りを見回すロイは、何かに気付いたのか不安そうにボクとルーリィを見る。
「なあ──シリウスさんは?」
「それ、は……っ」
ロイは無事だった。しかし、シリウスは──。
説明しようと口を開き掛けた途端、強い魔力の反応がしてロイを抱えて飛び退く。ルーリィも同じで、牙を剥き出しにして臨戦態勢を取った。
「──何か来る」
『あの雌蝙蝠だったら、今度こそ噛み殺してやる』
グルル……と低く唸るルーリィに、ボクも同じように杖を喚び出し警戒したのだが、ロイはひょいっとボクの腕から抜け出して駆け出した。
「ロイっ!」
「魔女の魔力だから、心配すんな!森の濃い匂いがする!」
「──魔女の?」
慌ててボクも駆け寄れば、木の葉の渦から魔女とシリウスが現れた。シリウスはボクと目が合った途端意識を失ったが、彼を抱える魔女はボク達を静止するよう手を伸ばした。
「眠っただけよ。彼の魔力は私が使い切ったから」
『やはり、番を護ったか。久しいな、森の魔女』
「久しぶりね、蒼の者。貴方を助け出す為に、色々駆け回ったのよ」
『感謝する。して、吸血鬼は』
「森の仇は討ったわ。貴方の愛しい片割れは、私も探してあげる」
『フン……。代償は』
「要らないわ。古くからの友人だもの」
愛おしそうに、眠っているシリウスの頬を魔女は撫でていた。無事なのは本当に良かったが、この光景について彼が起きたら何と言うかなと考えていると、魔女はジッとボクを見る。
「可愛い子、貴方は弱いわ」
「──ッ!」
何の反論もできない短い指摘は、深くボクの心に突き刺さった。
「……理解、しています」
「いいえ。していない。驕りは身を滅ぼすわ。賢い戦い方を身に付けることね」
「賢い、戦い方……」
「貴方が真に賢者へと至るには、今のままでは駄目よ。次に私の狼をこんな目に遭わせたら、盟約を破棄してでも森へ連れ去るわ」
「盟約、ですか?」
一体何の話だと戸惑えば、魔女は深く溜息を吐いた。
「……もう、行くわ。蒼の者、片割れのことが知れたら、また顔を見せるわ」
『感謝する。また会おう、森の魔女よ』
結局何の答えも得ることが出来ぬまま、彼女はシリウスをルーリィに託して、木の葉と共に消えてしまった。まだ本調子ではないのか、ふらつくロイを支え、ルーリィも含め一度帰宅しようと、住まいである塔へ転移したのだった。




