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城の大広間に辿り着いた我々を待っていたのは、オブジェクトのように氷漬けにされた様々な種族や魔物と、怒り狂う竜、そして愛おしそうにロイ殿を片手に抱き止める吸血鬼であった。
「ルーリィッ!」
『──遅いぞ、フェル』
爪を氷の床に突き立て牙を剥き出しにし、吸血鬼へ威嚇をしながら、ルーリィという名の竜はこちらへ目を向けた。美しい蒼鱗は傷がつき、所々血が滲んで鈍色に輝いている。
『フン……狼も一緒か』
「久しいですな、ルーリィ殿。して、戦況は如何程で」
『あの人間を盾にされてるから殺り辛い。フェル、アレはお前のだろう』
「ボクの可愛い弟子だよ。ありがとう、守ってくれて」
ルーリィ殿の隣に並んだ私達は、余裕綽々にこの状況を愉しんでいる吸血鬼を見る。こちらの目線に気付いたらしく、ニンマリと笑った。
胸元が開いたドレスのようなローブをはためかせ、吸血鬼はロイ殿を抱えたまま宙に浮かぶ。怪しげに光るあのローブは、恐らく魔力で出来た翼だ。相当な強者であると、本能が訴えかけてくる。
「餌が沢山来てくれて嬉しいわぁ。待っていれば勝手に来るって言葉は正解でしたのね」
「へえ?その口振りからすると、キミが元凶じゃなさそうだ。詳しく聞かせてくれないかい?」
アレク様は杖を喚び出し、話しながらもルーリィ殿へ治癒魔法を掛ける。私も指の開いたグローブを装着し、魔力を練った。
「知りたいのなら、それなりにお願いの仕方があるんじゃないかしら?そこの蜥蜴が頑張ってたように」
『姑息な遣り方しか脳のない蝙蝠が、よく喋るな』
「アハハハハハッ!犬にも劣る畜生が吠えても、なぁんにも怖くないですわぁ。折角来たんですもの、踊ってくださいませ」
途端、それまで氷漬けだったものが音を立てて動き出した。加えて、我々が踏みしめていた床さえも崩れ、視界が反転する。
「──さぁ、皆で踊りましょう?舞踏会はお好き?」
「やってくれるね……ッ」
「アレク様ッ!」
『クソ……ッ』
私達が落下した直後、大広間には新しく氷の床が形成され、複雑な魔法なのかこちらも魔法で壊そうとしたが叶わず、私とアレク様、そしてルーリィ殿は真っ逆さまに落ちていく。ついでにいえば、凍っていたモノ達も。
「"光よ"ッ!」
「"受け止めるは地の揺籠"」
アレク様が辺りを照らし、私は落下の衝撃を緩める為に魔法を発動させた。翼を生み出しても良かったが、あれは意外と魔力消費が激しいので、今は最適ではないという互いの暗黙の判断だった。
『フン……地下まで落ちたか』
「そのようですな」
床は魔法により柔らかく痛みもなく着地出来たが、面倒なことをしてくれたと、空に浮かぶ満月のように遠ざかってしまった大広間の床を見上げる。
『狼、オレと端に寄ってろ』
「はい?」
『でなければ、死ぬぞ。どうやらお前の主人は相当なご立腹だ』
無言で着地し俯いているアレク様を見て、成る程と納得をしてルーリィ殿と壁へ離れる。
「盾の魔法で塞ぎきれますかな」
『──無理だろうな。オレの翼の下に居ろ。障壁を張ってやる』
「助かります。いやはや、血は争えませぬな」
直後、一斉に解凍されたモノ達がアレク様へ襲い掛かる。魔物の他にもエルフ族や獣人族もいて、既に死していて意識などなく操られているようだが、悲惨な未来に冥福を祈る他ない。
「──死んで尚、邪魔をしないでもらえるかな」
アレク様は杖で床をトン、と軽く叩いた。
たったそれだけで、離れた私達にまで伝わる衝撃が起こり、飛び掛かっていたモノ達の首が身体から離れ床へと落ちる。
ルーリィ殿の張った障壁に亀裂が入っていて、自身の魔法では守り切れず、転がっているモノ達と同じように切り裂かれていただろうことを想像するだけで、鳥肌が立った。
『──相当キてんな。オレも怒りは相当だが、アレを見たら冷静になれた』
「エマニュエル家は代々、内に激しいものをお持ちですからな。アレク様とて例外ではないかと」
『激しいで済むのか。まあ、城を潰さなかっただけマシか』
「ええ。"今"はまだ潰さないでしょう」
ロイ殿を助けた後は分からないが。そんな含みを持たせていたのだが、ルーリィ殿はギョッとした後、まるで人間のように溜息を吐いた。
『フン……お前も苦労するな』
「そんなことは。最高の主です」
『まあ、お前よりもあの人間の方が苦労するか。逃げられないぞ』
「……でしょうな」
最悪、ロイ殿を元の時代に連れていくなどと言い出しかねないと、既に心構えをしている。私とルーリィ殿の会話など聞こえていないようで、アレク様は杖をコンコン、と床に打ちつけ、大広間まで続く螺旋階段を完成させていた。
「飛ばずに魔力を抑えて、これで登るよ」
「畏まりました。行きましょうか」
『……へいへい』
螺旋階段を登りながら、ルーリィ殿に今回の経緯を訊く。一体何が起きたのかを正しく把握せねばなるまい。
「ルーリィ殿は、冬眠なさっていたのですか?」
『フェルが時空を跨いだことを、魔女から聞いたからな。オレの番も納得して、共に眠っていた』
「……その、番の方は」
『連れ去られた。上にいる雌じゃなく、別の蝙蝠野郎にな。雪山中を探して漸く此処に辿り着いた。けど、蝙蝠野郎は姿を消して、代わりにあの雌が居た。暫く戦ってたんだが、あの人間が降ってきた』
「"降ってきた"?」
てっきりロイ殿は吸血鬼に攫われたのかと思っていたのだが。話の続きを促せば、どうやら仕掛けがあるらしい。
『あの雌は、そこかしこに罠を仕掛けてるからな。引っ掛かると、この場所に転移してくるらしい』
「成る程ね。けど、森に仕掛けるだなんて魔女達が赦すのかい?」
『許してなどいないが、長い時間森から離れることは出来ないからな。魔女は森そのもので、森と共に生きる。狼は知らねえのか?オレより詳しいだろう、番なんだから』
「……知る理由も、番になった覚えもありませぬな」
ルーリィ殿も、私に掛けられた魔女の印を知っていたらしい。五百年前に教えてくれても良かったではないかと、声を大にして言いたい。
「それで?ロイが降ってきた後は?」
『余程気に入ったのか、それともオレを揶揄うことにしたのか、向こうは防戦一方になった。フェルの匂いがする人間を攻撃出来るわけがねえからな。どうにかして引き剥がそうとしてたら、お前らが来た』
「益々、魔女に感謝しないとね。彼女が教えてくれなければ、ボク達は辿り着くのがもっと遅れていたから」
『こんなこと言いたくはないが、アレは強いぞ、フェル』
「だから何だい?──キミはボクが本気で戦ったところを、見たことがないでしょう」
経緯も理解し大広間の床まで辿り着き、さてどうするかと見上げたのだが──、
「さっきは油断したけど、"こんな"魔法はボクには意味がないんだよ」
そう言って、手を払う動作のみで床を消し去ってしまった。先程私はそれなりに魔力を込めて壊そうとしたモノを、たったそれだけで。
(……つくづく、アレク様は魔法に長けていますな)
格闘も入れた戦闘ならば私とて引けは取らない。しかし、単純な魔法勝負ならば一瞬で負けることは明白だった。魔法の勝敗は、相手の魔法を分解するように解析し破るか、それを超える力で捩じ伏せるかの二択だ。アレク様は圧倒的に後者で、力任せに壊してしまう。
「──あらぁ?随分早いですのね。せっかちな殿方は嫌われますことよ」
玉座のような氷の椅子に座る吸血鬼の背後には、立ったまま氷漬けにされているロイ殿がいた。これは不味いとルーリィ殿ごと私は壁へ距離を取り、本気で魔力を込めて障壁を張る。
「ルーリィ殿、力を貸してくださいッ!」
『おいおい冗談じゃねえぞ……ッ』
障壁を張った直後、ガキンッと金属同士がぶつかり合うような音、そして遅れて衝撃がこちらに届く。吸血鬼は爪を、アレク様はそれを杖で受け止め、合間に魔法を繰り出している。
息を吐く間もない攻撃の応酬に、下手に入れば足手纏いになることは明白であった。吸血鬼の素早さは残像が残るほどで、それだけならば受け流せるが、予備動作のない氷の魔法は些か対処に困るであろう。
『狼、魔力は保つか?』
「まだ多少は。ルーリィ殿は」
『問題ない。だが、長引けばフェルが保つとは限らん。単純な魔力量でいえば、吸血鬼はオレ達竜と然程変わらん。力押しではフェルはいずれ負けるぞ』
そうなれば、自ずと私やルーリィ殿が出ざるを得ない。持久戦となれば不利、しかもここは敵の陣地だ。ロイ殿も含め、自分にとってアレク様は護るべき対象だ。
(「弟を頼む」と、陛下に頼まれたのだ。ならば残された道は一つしかあるまい)
覚悟を決め、私はルーリィ殿を見る。この方ならば、ロイ殿とアレク様を護ることが出来るだろうと。
「ルーリィ殿。一つ頼まれて頂きたい」
『……言ってみろ』
「──若き芽と、主君を頼みます。未来ある若者ですから」
『死ぬには早いぞ、狼』
「ほっほっほ。死にはしませぬ。ただ、護るだけです」
機会は一瞬、悟られれば死が待っている。あの吸血鬼は、それほどまでに強い。恐らく自分が戦ってきた何よりも。
現に、優勢かと思われたアレク様の身体の端々には、細かい傷がつき始めている。対する吸血鬼は無傷、治癒能力の高さは伊達じゃないのだろう。
深呼吸を一つし、魔力を練る。残る魔力は全力の半分ほど、生き残るにはやや心許ないが致し方あるまい。
「では──頼みましたぞ」
『……嗚呼、任された』
こちらを見つめる蒼眼ににこりと笑い返し、一息でロイ殿の元へ移動した。氷ごとそのまま抱え、アレク様の背後に転移する。
「んな……ッ!?シリウスッ!?」
「──ルーリィ殿ッ!!」
『死ぬなよ、狼』
爪でアレク様を、凍ったロイ殿を咥えたルーリィ殿は、私の思惑通りに転移し城から消えた。残された私を見て、吸血鬼はにんまりと嗤う。
「あらあら。随分と漢気のある方なのね。ワタクシ、嫌いじゃなくってよ」
「ほっほっほ。私では役不足ですかな?」
「それは踊ってみないと分からないですわぁ。折角の上物を取られてしまったし……"死ぬまで"踊ってもらいますわぁ」
グローブに力を込め、吸血鬼の爪を受け流す。東の国にある舞のように回りながら縦横無尽に繰り出される爪を弾き、時折こちらも岩の棘を生み出し反撃していく。
「さっきの殿方よりも、好ましいですわぁ。力任せは嫌いですもの」
「ぐ……ッ!」
避け損なった爪が首元を掠め、慌ててステップで後ろに跳ぶ。ツゥ、と流れる赤い血を見た途端、吸血鬼は舌舐めずりをして私を見る。
「美味しそうな血ですわぁ。ねえ、名前は何て仰るの?」
「はぁ……っ、シリウス・ゲオグラム、ですが」
「フフフッ。素敵な名前ね。ねえ、ワタクシの物にならない?食べても良いけど、貴方みたいな紳士は好きですもの」
コツリ、コツリとハイヒールの音がゆっくりと近付いてくる。逃げなければと脳が警鐘を鳴らすが、糸で縫われたかのように身動きが取れない。よく見れば、先程まで黒かった筈の吸血鬼の眼が、紅く染まっている。
(魅了の魔法か何かですか。これは些か不味いですな)
こうなればいっそのこと舌を噛みちぎろうかと覚悟を決めたのだが、吸血鬼が私に触れた途端、背中の一部が燃えるように痛み、魔力がごっそりと吸われる感覚がした。
「ぐ、ぁ……ッ!」
「何ですのっ!?」
痛みと魔力喪失により膝から崩れ落ちたのだが、吸血鬼は突如として現れた植物の蔦に捕縛されていた。否が応にも魔女を連想させられるその蔦に目を見開くと、蔦は徐々に吸血鬼の首を締め付けていく。
「──無様ね、狼」
「はぁっ、はぁ……っ、やはり貴様か、魔女……ッ」
私の直ぐ背後に現れた魔女は、此方を小馬鹿にするかのように鼻で笑った。しかし、吸血鬼への攻撃は緩むことはない。
「ぐっ、ぅ……ッ!何なん、ですの……ッ!?」
「貴女、嫌いよ。森を汚すもの。いつも我が物顔で、偉いと思ってるのね」
「ワタクシ、は……ッ、ひ、ぎゃ、ぁ……ッ!?」
ミシミシと、骨が軋む音が静かで美しい白亜の城に鳴り響く。蔦には棘があるのか血が滲んでいるが、何故か滴ることなく蔦に吸われていく。
(血を吸う吸血鬼が、血を吸われるとは。上には上がいるということか)
末恐ろしい話だとは思うが、相手は底知れぬ魔女だ。憎くはあるが、これ以上ない助っ人である。
「返してもらうわ。今まで貴女が森から奪ったものを」
「ひ……ッ、ぁ、許し、て……っ、」
「いいえ、赦さない。それと──狼は、私だけのものよ」
「ぎ、ぁ……っ、ぁああッ!!」
絶叫と共に、蔦が吸血鬼の身体を締めつけ血を吸い尽くした。一瞬にして干からびた身体は灰になり、サラサラと床に崩れ落ちた。
「……誰が、いつ、貴様のものになった」
「初めて出逢った五百四十年前に、森で、貴方が、よ」
私の首筋から流れていた血を見た魔女は、しゃがんで手を当ててきた。傷から魔力が流し込まれ、ぞわりと腰まで刺激が届く。
「消えたくせに、よくもそんなことを」
「掟があるの。話さなかったかしら?」
「貴様は何一つ話してなどいない」
「そう。でも、良かった。私を忘れてないのね」
「何を──……ッ!?」
抱き締められ触れた柔らかな肉体は、共に過ごした時間を思い出させるには充分で。抗えと脳は叫んでいても、身体は反対に抱き締め返していた。
「虹色の可愛い子達が森で貴方を待っているわ。送ってあげる」
「……貴様は、また消えるのか」
「私は何処にも消えないわ。森と共に生き、森と共に在るの。──貴方は私のものよ。忘れないでね」
「……勝手な女だ」
ふわりと腕の中の温もりは消え、視界が反転する。転移させられた場所は野宿していた浴場がある遺跡で、アレク様と目が合い安堵した私は、意識を手放したのだった。




