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「いたた……」
「おはようございます、アレク様」
些か激しい目覚めの方法だったからか、アレク様は整った顔を床に強かに打ちつけて悶絶している。温かく湿らせたタオルを用意し差し出しながら、私は物思いに耽る。
駆け出してしまったロイ殿には追尾魔法をこっそり仕掛けてあり、問題はない。あるとすれば、目の前のアレク様の方である。
(はてさて、私の勘が間違っていれば良いのだが)
私が仕えているエマニュエル家は、代々執着心が強い。アレク様の父上や、今私が仕えているアレク様の兄上である国王陛下もそうで、生涯ただ一人を愛し抜く。側から見ればその愛情は時に激しく、逃げ場所さえ奪うようなものだ。まあ、お相手達は懐深く涼しげな顔でその愛を享受する方達ばかりなので、問題はなさそうではあるが。
(しかし……ロイ殿となると、そうはいきますまい)
孤児院での事件、そして幼い頃にルクセンブルク家から捨てられたという事を、既に徹底的に調べてある。アレク様の身の安全の為であったが、調べれば調べるほど、ロイ殿には深く同情せざるを得なかった。
(それに、あの顔立ち……。初代ルクセンブルク家当主である、ダニエル殿に生き写しですな)
国王陛下と同い年で、アレク様含めて幼馴染である彼は、柔和な笑みとは裏腹に切れ者で、アレク様にとっては第二の兄のような存在だった。
──そう、"だった"のである。
世界大戦を終結させたのは、国王陛下だ。しかし、終結させた直接的な要因を作り上げたのは、アレク様であるというのは余り世に知られていない。
魔力覚醒をしたのは十五歳、つまりロイ殿と同じ歳。そして、覚醒して直ぐに戦争のど真ん中──今のアトランティル王国と西のネストリア帝国の国境にあるサハリン砂漠へと文字通り投げ込まれた。
(元は自然豊かな森だったのを、砂漠へと変えてしまったのはアレク様だとロイ殿が知ったら、さぞ驚かれるでしょうな……)
死なない為に、地形まで変化させるほどの強力な魔法を駆使して戦った──いや、戦わざるを得なかったアレク様の心情を思うと、心が痛む。それもこれも、戦争を終わらせる為に必要な犠牲となったことが原因ではあるのだが。
「……ロイが離れたね。結界から出てる」
「追尾魔法は掛けておりますので、ご安心ください。朝の鍛錬に出たのでしょう」
「熱心だね。シリウスに似てきたのかな」
「どちらかと言えば、アレク様かと。幼い頃、魔法を使えるようになった時のために、早起きして練習していたではありませぬか」
「アハハッ。よく憶えてるね」
「アレク様の父君と、窓からよく見ておりましたので」
私の幼馴染であり最初の主君──アレク様の父君である方は、戦争で命を落とした。私に子供達を頼むと言い遺し、護るべき民を救って。
「懐かしいなぁ……。そうだね、ロイはボクに似てるね」
「左様。魔法の才能も含めて、よく似てらっしゃるかと」
「才能か。才能だけでいったら、ロイの方があるよ。今はボクの方が経験もあるし実力は上だけど、いずれはボクを超えるだろうね」
「ほぉ。そこまでですか」
「わりと本気で攻撃したんだけど、盾の魔法で弾かれたからね。目がいいのか、本能的なのかは分からないけど、無駄のない良い魔力の使い方をしてたんだ」
「……アレク様、本気で攻撃するのはやめた方が良いかと」
「手を抜いたら適当な魔法しか覚えないじゃない。ロイには強くなってもらわないとね」
そう、問題なのは"コレ"だ。
アレク様は、ロイ殿を本気で育て上げようとしている。それこそ、己自身を超えるほどに。弟子を思う純粋な気持ちならば問題はない。しかし、度を超えた何かを感じてならないのだ。
「……ダニエル殿への、復讐ですか」
「へぇ──そう思うかい?」
「ロイ殿は生き写しかのように、似ておられます。瞳の色が違うだけで、背丈も声も、顔立ちも同じと言っていいほどに」
「そうだね。ロイを見る度に、思い出すよ」
「憎いですか、ダニエル殿が」
「さぁ……どうだろうね。必要なことだったのも理解してるよ。けど、ボクが帰ってきた時に見た、あの"残念そうな顔"は忘れないね」
「アレク様、それは違──」
「彼はね、ボクが邪魔だったんだよ。兄上の弟であるボクがね」
歪みとは、どうして生まれるのだろうか。
私は、真実を知っている者の一人だ。類稀なる才能を持っていたアレク様を戦場に送り出すことを提案したのは、アレク様や兄上である国王陛下が大事に思う民達であった。そして、唯一最後まで反対したのはダニエル殿であった。
彼は切れ者で、裏の顔もある。それは、国王陛下を守る為であるのは言うまでもない。そこには、アレク様も例外でなく含まれている。守る為ならば剣を抜き、牙を剥く。王国が建国し、貴族として成り立ってからは余計にそう振る舞っていた。
(──陛下が望む平和の為なら、アレク様に嫌われても良いと吐露していたと話したとて、この方は信じないでしょうな)
アレク殿が戦地から戻った際、誰よりも早くに駆けつけて無事を確かめたのだ。しかし、戦地へ送る決断をしたのは陛下で、このままでは陛下へ敵意が向くかもしれないと判断した彼は、自ら汚れ役を買って出たに過ぎないのに。
「──それ故に、ロイ殿を育てるのですか」
「そうだね。彼が遺して五百年も続いた一族を、ロイには壊してもらわないと。爽快だろう?」
「貴方様が望むのなら、私は付いていくまでです。しかし、ロイ殿はダニエル殿とは違います。それをお忘れなきよう」
「……分かってるよ。ロイは彼とは違うことくらい。あんなに純粋じゃないからね」
話すことは終わりだと言わんばかりにアレク様は口を閉ざし、起き上がり朝の支度を始めてしまった。着替えやストレッチを終えて、魔法で寝床の片付けを終えて鞄に全てを収納したところで、ロイ殿に掛けた追尾魔法がプツリと切れた。
「──アレク様、ロイ殿に掛けた魔法が強制的に切れました」
「みたいだね。ボクが掛けてある魔法も切れた。指輪も反応しない」
嫌な予感がし、二人で遺跡から出る。私は地面に手を当て、アレク様は翼を生み出し、空から捜索する。
「"地よ、彼の者は何処に"」
自身の魔力を樹の根に模して張り巡らせる。走り回る動物、蠢く魔物、ありとあらゆる魔力を有したものが魔力の根に触れるが、憶えのあるロイ殿の魔力は反応しなかった。
「アレク様。森の広範囲を索敵しましたが、地面にはおりませぬぞ」
「こっちも空振りだね。森を抜けたのかもしれない。何かに捕まったみたいだ」
「森の主に心当たりを聞きましょうか?」
「いや、彼女達も離れている。魔力が見えないからね」
昨夜騎士団が来ることを忠告した故に、早々に身を隠したらしい。このままでは手掛かりもなく、八方塞がりかと思われたが──"ソレ"は、突然現れた。
「──久しいわね、狼。それと、虹色の可愛い子」
「くッ……!!」
「……おやおや」
本能的に繰り出した岩の棘を木の葉で消し、脚は地面に蔦で縫い取られた。積年の恨みを抱く相手──魔女が、現れたのだ。
「貴様、よくも……ッ」
「そんな場合じゃないのよ。──後でね、狼ちゃん」
「ぐ、ぅ……ッ」
何の予備動作もなく、口が木の葉で覆われる。ならば魔法でと思ったのだが、肝心の魔力が上手く操作出来ない。
(この蔦や葉には、魔力操作を狂わせる毒があるのか……?)
私の身動きを何の動作もなく封じたことをアレク様は理解したのか、私へ目配せをした後口を開いた。
「お初にお目に掛かります、魔女様。アレクサンドロス・フェルディナンド・エマニュエルです」
「知っているわ、可愛い子。貴方の父君も、そのまたご両親も、そのまたご両親もね」
「……随分と長い時を生きてらっしゃるようですね」
「あら、レディに歳を訊くのは野暮なことよ。長生きの秘訣もね」
クスクスと笑う魔女は、何が面白いのか一頻り笑った後、漸く本題へと入った。
「若き芽が、奪われたわ」
「何処で、誰にでしょう」
「森で、黒い化け物に」
「黒い化け物……?」
「あの者達は嫌いだわ。昔から嫌いよ。奪うことでしか生きられない、可哀想な生き物なの」
「一体何の話を──」
「助けないと、餌にされるわ。竜の片割れも、餌になったもの。けど、私達は森から長い時間は離れられない。北にある雪山の湖の奥深く、氷の下に眠る城に行きなさい。まだ間に合うわ」
「待ってください。ロイは──っ、」
「もう時間だわ、可愛い子。狼も、貴方も、気をつけて。黒い化け物は、強いわ」
言い終えて直ぐに、風と共に木の葉が舞い魔女は消えてしまった。私を捕縛していた蔦も木の葉も消え、魔力も正常に操作出来るようになっている。
「──アレク様」
「中々手強そうな方だったね。まあそれはさておき、急ごうか。彼女が言っていることが本当なら、ロイが危ない」
「罠という可能性は」
「ないね。魔女が、キミだけならともかく、ボクやロイに手を出す理由がない。黒い化け物が何なのかは分からないけど、可愛い弟子を餌にはさせないよ」
「北へ参りましょう。湖とは、おそらく山頂付近にあるカルデラ湖のことかと。標高が高い為に気温が低く、まだ氷が張っている筈です」
「面倒だから、飛んでいくよ。魔力は保つかい?」
「そんな柔な体はしておりませぬ」
ばさりとアレク様と同時に翼を生み出し、空高く飛び上がる。目的地は森を抜けた遥か遠く、北の山脈の山頂だ。
(どうかご無事で、ロイ殿。どうか──)
魔女はまた会うことになる、そんな気がするので問題はない。今はただ、まだ芽吹いたばかりの守るべき魔法使いの無事を願うばかりだった。




