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魔法使いの系譜  作者: 真田 秋来
北への旅
23/38

 

  頭の中で、ざわざわと雑音が鳴り響く。

  苦しそうな呻き声と、それを嘲笑うかのような女のような男の声。ぼやけた視界の中で、見慣れない色彩豊かなローブのような服を着ている男は、低く呻く青黒い大きな塊に手を伸ばしていた。


  どうかやめてくれと、俺は手を伸ばしている。もうこれ以上、何も奪わないでくれと、心が叫んで、必死に手を伸ばしている。けれど伸ばした手は届くことなく、霞となって目の前の男と大きな塊は消えてしまった。



「──……イ、」

「う……?」

「ロイ、そろそろ起きたら?」



  パチリと目を開けると、こちらを安心させる柔らかい笑みを浮かべたアレクが見えた。そして、同じように笑っている大きな蛇の姿も。



『目覚めたのね、満月の子』

「はい……。おはようございます」

『ふふふっ。随分と可愛らしいわ。人の子は皆こうなのかしら』

「魔力は人それぞれですよ。ロイは少し特殊な方かな」

『貴方も良い魔力をしているわ。"雪山の主"に近いもの』



  森の主から解放された俺は、アレクが用意してくれた濡れたタオルで顔を拭いた。それだけで意識がハッキリとして、ほうっと息を吐いてしまう。思った以上に疲れていたのかもしれない。


  いつの間にやら用意されている丸太を切った簡易的な椅子へ腰掛け、アレクと森の主二人の会話に耳を傾ける。



「雪山の主、か……。目覚めたという竜のことかい?」

『そうね。どうやら、無理矢理起こされたみたいよ』

「無理矢理?」



  不穏そうな言葉にアレクと目を合わせる。無理矢理とは、一体どういうことなのか。



『私も長く生きてるけど、彼はもっと昔から生きてるの。それこそ、私の母様が生まれる前から。番と一緒に世界を旅してから、雪山に辿り着いたのよ』

「へえ……。眠っていたってことは、冬眠か何か?」

『確か、そうだった筈。番と一緒に友を待つんだと言っていたわ。けれど、ここ最近になって、番が奪われたのよ』

「奪われた?」



  どうやら予想通り、穏やかではない話だった。文献によれば、竜にとって番とは己の魂そのもの。何よりも大事にするべき存在で、それが奪われたとなれば、途轍もないことである。



『詳しくは分からないの。けど、雪山の主の様子がおかしいというのは森にも伝わってきてるわ。お陰で、森が騒がしいもの』

「他にも天敵となりうる魔物はいるかい?ボク達は雪山に向かっているから、ついでに倒しておくよ」

『あの鷲が一番厄介だったの。私の子供達も、沢山犠牲になったのだから。本当にありがとう』



  一番最初に遭遇したスライムの体内にあった幼体のフォレストスネークの骨は、どうやらこの森の主の子供だったらしい。何とも言えない複雑な感情が湧き起こる。

  人と変わらず、魔物にも家族が居て、生活があって。魔物だから悪だとは、俺には言い切れなかった。



「いやはや、待たせましたな。夕食としましょう」

「おや、随分と沢山あるね」



  シリウスさんの声に振り向くと、俺達三人が食べるには絶対的に多すぎる量の鶏肉の山が出来ていた。まな板というには大きすぎる板に乗せられている鶏肉を、シリウスさんは迷うことなく森の主の前に置いた。



「森の主殿、これだけあれば子供達の腹も満たせるでしょう」

『優しいのね。あら、貴方……』

「どうかしましたかな?」



  スンスンと、森の主はシリウスさんの匂いを嗅いでいる。そして、何故か彼に向けて首を垂れた。



『魔女の番なのね。最初に敵だと疑ったことを、謝るわ』

「は……?」

『あら、違うの?森は等しく魔女達の物よ。此処の森も、何処であろうとね。貴方から魔女の匂いがするわ。何処かに印を付けられている筈よ』



  血相を変えて、シリウスさんは服を脱ぎ始めた。大胆にも程があるねとアレクは呆れつつ、シリウスさんが見るには難しい背中周りを観察していて、「あっ、」と声を上げながら背中を指差した。



「あるね、此処に」

「忌々しい……。アレク様、どうにかなりませんか」

「無理だね。こんな複雑な魔力は見たことがないよ。ロイ、勉強の為に見てごらん」

「すみません、シリウスさん。失礼します」



  怒りで震えているシリウスさんへ謝りつつ、背中を見る。腰にほど近い場所に、親指の爪ほどの大きさの蜘蛛の巣のような印があった。試しにと思い、魔力を遮断する指輪の効果を切って匂いを嗅ぐと、そこだけ森の濃い香りがし、住まいである塔の玄関先で出会った女性がフラッシュバックした。



「シリウスさん、あの女性と同じ匂いです」

「く……ッ。肉を削ぐくらい構いません。アレク様、どうにかして頂けませんか」

「無理だよ。そんなことをしても、この魔力は消えないさ。それこそ、消せるのは付けた本人だけだろうね」

「何とも忌々しい……」



  がっくりと項垂れてしまったシリウスさんは、気怠そうに服を着直して、そのまま火を起こし調理を始めた。無言で黙々と作業をするシリウスさんに何と声を掛けて良いのかも分からず戸惑っていると、アレクに手招きをされて耳打ちされる。



「暫くは放っておいてあげよう」

「やっぱ、そうなるか」

「複雑な男心ってやつさ。話したくなったら話すだろうし」



  コソコソと話していると、ニョロっと足元に何かが纏わりついた気がして目線を下げる。そこには薄緑色の蛇がいて、こちらをまん丸の可愛らしい目で見上げていた。



『安全になったから、子供達を呼んだの。噛まないから安心していいわ』

「か、可愛い……っ」

「大きいけれど、まだ子供だね。撫でて欲しそうだよ?」



  言われるがままに優しく撫でると、すべすべと滑らかな鱗は触っていても気持ち良い。体長2mはある蛇だが、親である森の主とは違いまだまだ細い。

 

  話すことは出来ないのか、シューシューと舌を出しているだけであるが、撫でられたのが嬉しかったのか腕から首へ這ってきて、落ち着いたのか俺の頭に頭を乗せて動くのをやめてしまった。



「ボク達は焼いてから食べるけど、お腹が空いているだろうし、先に食べてしまって構わないよ。長いこと狩りも出来ずに大変だったろう。さあ、お食べ」



  アレクは手慣れた様子で他の子蛇達に鶏肉をあげていて、森の主も肉の塊を丸呑みしていた。口を開けた瞬間はやはり怖さはあるが、慣れというのは不思議なもので、特に気にならなくなっている。


  俺の頭上に落ち着いてしまった子蛇にもあげようと、頭から降ろして膝の上に乗せた。鶏一羽分くらいの塊を丸呑みしていて、喉に詰まらせないのか不安になるが、構造的に問題ないらしい。生命の神秘である。



「アレク様、ロイ殿、出来ましたぞ」

「ありがとう、シリウス」

「ありがとうございます、シリウスさん」



  串に刺してある鶏肉は、スパイスと塩を塗してあり香ばしく良い香りが漂っている。熱々のまま頬張れば、皮はパリッと、されど身からはジュワッと肉汁が溢れ出して最高だった。



「あー……美味い」

「本当ロイって良い顔で食べるよね」

「美味しいは正義だからな。最高です、シリウスさん」

「現地調達した料理は旅の醍醐味ですからな。いずれ、ロイ殿もあれくらいの鷲ならば倒せるようになるでしょうな」



  はたして、本当にそんな未来が来るのかは甚だ疑問ではある。鷲を蹴り飛ばして倒すというのは、常人では出来ないのではないだろうかと喉まで出掛けたが、魔法使いの中では常識なのかもしれないと思い直し、やめておいた。


  普段の鍛錬よりは魔力を使っていないので食べる量は控えめだったが、それでも美味しい焼き鳥に食が進み、蛇達とあっという間に山程あった鶏肉を食べ終えた。


  その後森の主に野宿に最適な場所を教えてもらい、背に乗せてもらい移動した。そこは遺跡のような場所で、地下へと続く建造物だった。



『昔、浴場として人が使ってたのよ。今は誰も使ってないし、何も住んでないから安心して頂戴』

「ありがとう、森の主。また何かあれば、いつでもお気軽にお声掛けください。これを渡しておきます」

『あら、こんな綺麗な石良いのかしら』

「魔力を通して頂ければ、ボクへ伝わります。何かあれば、また来ますよ。それと、少し後に人の群れがきます。雪山から押し寄せた魔物を狩る為とはいえ、森の住人達との区別は難しいでしょう。暫く姿を隠すことをお勧めします」

『ふふふっ。優しいのね。何から何まで、ありがとう。じゃあまた──あら?』



  透明な雫のような魔石が付いたネックレスを、アレクは森の主へ渡していた。こうやって魔物と交流があるのは良いよなぁと人知れず感動していたのだが、去ろうとしている森の主とは裏腹に、俺の足元から子蛇が離れようとせず、俺も困っていた。



「……おい、こら。お母さんが帰るって言ってるぞ?」

『シュー……』



  嫌だと言わんばかりに脚に巻きついていて、困り果てた俺は森の主に助けを求めるように目で訴えると、スルスルと体を滑らせて近寄った彼女は、歯と歯の隙間に子蛇を挟んで回収してくれた。



『シュー……ッ』

『あらあら、駄目よ。まだ貴方は唯の蛇だもの。満月の子を困らせない程度に強くなってからになさい』



  それでも抗う子蛇は、必死に体を伸ばして俺へと近付く。そんな姿が、何も出来ない俺と重なって。



「……俺も、今修行中なんだ。アレクやシリウスさんがお前のお母さんを守れたように、俺も強くなるからさ。その時は、友達になろう。また会いに行くから、その時は森を案内してくれたら嬉しい」

『……シュー』



  チロチロと、伸ばした指先を舐められた。頭を撫でれば理解してくれたのか、森の主に咥えられたまま大人しくなった。


  別れの言葉ではなくまた会う約束を俺達はして、森の奥へ去っていく蛇達の背中を見送り、かつて浴場だったらしい遺跡の地下へと進んだ。



「おや、これはこれは」

「綺麗にすれば使えますな」



  広い浴場だったのだろう。湯場とは別に休憩スペースのような場所もあり、一先ずそこを魔法で綺麗にした後、毛布などの寝具を敷いた。


  汗は流しておきたいというアレクの強い希望により、浴槽だったであろう深さのある石で出来た場所を綺麗にし、修行も兼ねて魔法での水の出し方を教わっていく。



「魔法は想像力が全てだよ。ロイが思う水を、頭の中に浮かべてね」

「水……水って言ったら、やっぱ雨だろ」

「なら、媒介に魔力を込めながら、この浴槽に雨を降らせてごらん?」

「えぇ……?」



  そんなざっくりとした説明で出来るのかと疑いつつ、言われた通りにピアスに魔力を込めながら雨を想像していく。


(雨……雨か。そういや、雨の日にクレアと散歩するの好きだったな。びしょ濡れになって、孤児院に帰って──……)


  風邪を引くからとタオルを持って玄関で待っててくれた院長先生を思い出した瞬間、ざわりと胸の中に冷たいものが流れ込む。その瞬間、雨とはいえないバケツをひっくり返したような大量の水を、誤ってアレクへと降らせてしまった。



「……成る程ね」

「……ご、ごめん」

「まあ、乾くから良いよ。それにしても、随分と魔力が乱れたね」

「雨から色々余計なこと考えちまっただけだ。悪いな、本当に」

「ふぅん……?まあ、見て覚えていこうか」



  深くは訊いてこないことに安堵しながら、アレクが生み出す水をぼうっと見つめる。透き通った水は湯気を出していて、水というよりお湯を出しているらしい。すっかり綺麗になり光を反射する石の浴槽にたっぷりと湯が満たされ、結局俺の出番は無くなってしまった。



「さあ、入ろうか。シリウス、準備出来たよー」

「先に入られてください。見張っておきます故」

「結界を張るから大丈夫。ボク達との裸の付き合いを断るつもりかい?」

「む……。では、失礼して」



  男三人で、広々とした浴槽に裸で座る。夜はまだまだ、始まったばかりだ。 


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