2
鬱蒼と生い茂る樹々は、視界や体力を奪うには十分なものだ。例に漏れず、薬草集めなどで森に出入りしていたとはいえ旅自体初めての俺は、二時間ほど歩き続ければ疲労感から音を上げた。
「初めてにしてはよく歩いてる方だよ」
「すまん……」
アレクから慰めの言葉を貰いながら、持ってきていたボトルに入った水を飲み、水分補給をする。切り株に座り、辺りを警戒するシリウスさんを見る。
「ふむ……」
「何かあったかい?」
「道中それなりに魔物と遭遇しましたが、昔と比べれば数は少ないなと。アレク殿はどう見ますか」
「確かに減ったね。けど、本当に減ってるのかどうかはまだ判断出来ない。一箇所に集まっているのかもしれないし、目に見える場所に居るとは限らない」
魔物の数が減ったと二人は言うが、俺からすれば聞き捨てならない言葉だ。ここまでの二時間、猿に牙と角が生えたような魔物や、群れの狼型の魔物、更には人に化ける人喰い狐など、結構な数と遭遇したのだ。図鑑で見たことはあるものの、初めて遭遇する魔物は中々に印象深く、心臓が幾つあっても足らないほどの驚きの連続だった。
「あれで少ねえのか」
「うん?まあ、そうだね。昔はもっと沢山の魔物がいたよ。種類も数も、比じゃなかった」
「そもそも何だけど、魔物って何なんだ?」
「おや、良い質問だね」
疲れなど無いかのようなアレクは、その辺にあった枝を拾い上げ、地面にサラサラと描いていく。草や猫、鳥や蛇が描いてあり、何とも可愛らしい。
「魔物ってね、元となる生き物が必ず居るんだよ」
「元?」
「そうそう。簡単に言えば、さっき猿型の魔物と遭ったでしょう」
「おう。くっそ怖かったヤツな」
「アハハッ。まあ、牙とか角が主張が激しかったね。あの猿型の魔物も、最初はただの可愛らしい猿だったんだ」
「は?」
そこからの話を漸くすれば、つまりはこうだ。魔法使い達──つまりは人間が血を使って魔力を生み出すのと同じように、数多の生き物達も同じだと。空気には魔素と呼ばれる物があり、それと血が混ざれば魔力になるのだと。
動物達は魔力を発散させることが出来ず、突然変異で牙や角、翼や爪が発達し、魔物へと至る──らしい。
「なら、植物は何なんだ?血は流れてねえだろ」
「植物に関しては、育ちが影響するんだ。さっきボク達は魔物を倒しながらここまで来たよね?」
「そうだな」
「死骸をどうしてたか憶えてるかい?」
「燃やしてたな。灰にして風に飛ばしてたろ」
「よく見てました。偉い偉い。──じゃあ、燃やさずにそのままだったらどうなると思う?」
「そりゃあいずれ腐って、朽ち果てるっつーか……あ、」
「そう、そういうこと」
植物の 肥料になるものが、魔物──魔力を多く含んだものだったら。つまりは、そういうことらしい。
「南の大陸にある獣人族達は、野菜に敢えて魔力を含ませた水や肥料をあげて育てたりもするね」
「えっ。魔物にしてから食うってことか?」
「魔物になるかは魔力量が関係するから、ギリギリ魔物化させずに育ててるんだ。味も栄養価も高いから、それを常日頃食べてる彼等は中々丈夫だよ」
「へえ〜。会ってみたいな」
「いずれ旅をしていたら会うさ。国交を断絶していても、早くに里から出た者達はいるだろうし」
「西に狩られてなきゃな。本当、彼奴等は最悪だ」
まだ幼い頃、公爵家にいた時のことだ。国際会議が行われた時、会議が行われる場所として選ばれたのがルクセンブルク家の領地にある、大聖堂だった。
先祖代々大事に守ってきた大聖堂に、堂々と奴隷を引き連れてやってきたのが西のネストリア帝国の使者で、奴隷の中には獣人族もいた。首輪と鎖で支配された彼等は、何処か虚な目をしていて、見ていて不快だったと──当時、俺の父だった奴が言っていたっけ。
「並大抵の魔法使いじゃ獣人族には勝てない筈なのにね」
「恐らく、"香"でしょうな」
「"香"?」
「左様。私もおかしいと思い調べましたが、西のネストリアでは魔封じの鎖や、魔香なるものが生み出されているようです。忽ち理性を失うものや、体の痺れを生み出すもの──姑息な魔道具が多く生産されていると、商人達が話しておりました」
「魔道具か。ボク達の時代では無かった物だね」
「研究自体は行われていましたが、魔法を使った方が早いと一蹴されてましたからな」
魔道具が一般的になったのは、昔と今とでは魔法が違うというのが大きいのだろう。そもそも、魔法とは魔法陣を発動させ、属性も人によって制限があるというのが今の一般常識だ。アレクやシリウスさんのように、気軽に指先や指鳴らしだけで発動出来るものでは無い。
「さて、そろそろ休憩は終わりにして、今日休めそうな安全な場所を探そうか。フォレストスネークの居場所が分かれば最高だけど」
「待て待て。安全とは程遠いじゃねえか」
「森の中では一番安全だよ。何てったって、相手は森の主なんだから。言葉も通じるしね」
「は……?魔物って、喋れんの……?」
「長く生きた魔物達は、知能も高いよ。人間よりも長く生きてたりするんだから。人が及ばぬ叡智を知る生き物達は多いよ」
確かに、自分よりも長く生きていると言われたら、賢いのも納得だった。いかにして狭い世界というか、狭い価値観で暮らしていたかを思い知った気分である。
アレクの先導で緩やかな傾斜を進み、途中昼休憩を挟みつつ歩き続け、そろそろ膝が限界だと言おうとした直後──アレクが手を広げて静止の合図を取った。
「──静かに」
「はぁ……っ、何か、あったか……っ?」
「ロイ殿、もしもの為に防御魔法の準備を」
「……はい」
おい嘘だろと口にしたかったが、疲労感へ蓋をして、媒介であるピアスへ魔力を流す。すると、魔力により自己強化が入っているからか、ぶわりと樹々の匂いが濃くなった気がした。
匂いの元凶を辿るように見渡せば、樹々の隙間から遠くで土煙が舞っているのが見え、アレクの隣に並ぶ。
「向こうで何かが戦ってんのか」
「そのようだね。何の匂いがするか分かるかい?」
「森の濃い匂いと──あと、焼き鳥だな」
「焼き鳥?」
「屋台で売ってる鶏肉焼いたヤツあるだろ。アレの匂い」
「アハハッ。それはそれは。どうやら森の主が焼き鳥に襲われてるみたいだね。助けてあげようか。美味しそうな食材も手に入りそうだし」
「夕食は焼き鳥ですな」
「えっ」
森の主を襲うほどの魔物を食材と言った二人に引き攣りながら、駆け出した二人の後を必死についていく。魔法で身体強化を掛け、危なくなさそうな場所を指差しでアレクに教えてもらい、樹の後ろに隠れた。
「……うわぁ」
最初に異変に気付いたのは森の主であるフォレストスネークで、突如として現れたアレクとシリウスさんに殺気溢るる眼差しを飛ばしてる。しかし、殺気すら涼しげに受け流したアレクとシリウスさんは、二手に分かれた。
シリウスさんはフォレストスネークと焼き鳥──ではなく、体長10mは優に超える程の大きな白い鷲との間に土壁を生み出し、戦いを二分した。
アレクは亜空間から取り出した長い杖でフォレストスネークの噛みつきを防ぎ、杖に噛みついたフォレストスネークの口を植物の蔦で縛り上げた後、傷付いているフォレストスネークの身体へ治癒魔法を掛けている。
(凄えな……。魔法ってこんなに自由なのか)
針状の岩を無数に生み出したシリウスさんは、飛んで逃げようとする鷲の翼を容赦なく突き刺し叩き落とし、仕上げとばかりに脳天を蹴り飛ばしていた。いやあんな大きな鷲に蹴りで勝つのかと戦慄しつつ、フォレストスネークを見る。
治癒魔法により復活したフォレストスネークは、土の汚れこそあるが白と薄緑色のグラデーションが綺麗で、森の主とは正にと見惚れてしまった。視線を感じたので害はないぞと両手を挙げて首を振ると、此方へ来いと目で促された。
「おや、彼が気になるのかい?」
『美しい魔力をしているもの。澄んだ魔力ね』
「満月みたいだからね。ボクの可愛い弟子なんだ」
どうやら仲良くなったらしいアレクと森の主に安堵しつつ近寄ると、シリウスさんが片手で鷲を引き摺りながらやってきた。
(二度とシリウスさんに逆らわないようにしよう)
年寄りなのでと普段控えめにしているが、格闘技の練習の度に嘘じゃねえかと思っていた。先程の戦闘を見るに、年寄りなどもっての外、まだまだ現役である。
「アハハッ。また随分と派手にやったね」
「飛ぶのが些か気に障りまして。翼は特に用は無かったので、魔法で少しばかり」
「アレで少し……?」
「ロイ殿、今日は焼き鳥ですぞ。初めての旅でお疲れでしょうし、私が腕によりを掛けてお作りします」
「つ、謹んで頂戴します……っ」
「はて、どうかなさりましたかな?」
俺の様子に首を傾げつつ、フォレストスネークの無事を確認した後、また鷲を引き摺ってシリウスさんは何処かへ行ってしまった。血抜きやら何やらをするらしい。
「ロイ、彼女に挨拶を。どうやらキミを気に入ったらしい」
「えっ。あの、アレクの弟子のロイです」
『ありがとう、満月の子。綺麗な魔力ね』
少しざらついた、こちらに振動が見えるような声だった。けれど嫌な感じではなく、不思議と癒されるようなもので、見た目とは裏腹に、匂いも相まって落ち着ける。
「魔力は俺には見えないんで分かんないけど、ありがとうございます。貴女こそ、無事で良かった。綺麗な色の鱗してますね」
『あら。結構大胆なのね』
「えっ」
「……ロイ。初対面の女性に、綺麗な体してるねってキミは言うのかい?」
「なっ、違……っ!遠くから見てて、本当に綺麗だったから!」
『ふふふっ。ありがとう、満月の子。冬眠から醒めて、先月脱皮したばかりなの。なのに、あの鳥が南下してきて森中大騒ぎだったから助かったわ』
森の主は疲れているのか、くぁ、と欠伸をして丸まってしまった。大きさはさっきの鷲の倍はあるはずだが、丸まったら随分とこじんまりしていて可愛らしい。
「お疲れだろうし、少し眠ってください。仲間が夕食の準備をしているので、出来たら起こします」
『何から何まで、ありがとう。少し、眠るわ』
しゅるりと尻尾で体を引き寄せられ、丸まった森の主に捕まってしまった。俺は抱き枕かと抜け出そうとしたが、非力な俺の力ではびくともしない。
「アハハッ。本当に気に入られちゃったね」
「何でだ……」
「魔力が見えるみたいだよ。満月みたいに綺麗な魔力をしてるから、気に入られちゃったんだね。ロイも疲れたでしょう?一緒に寝ててもいいよ」
「お前はどーすんの」
「一応見張らないとね。何が来るか分からないし」
「任せっきりでごめん」
「その為の師匠なんだから、気にしないでいいよ。さあ、眠れるうちに寝ておきなさい」
森の主のひんやりした体温と、アレクによる頭ポンポンであっという間に意識を手放したのだった。




