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初夏になろうというのにも関わらず肌寒さすら感じる冷たい風を浴びながら、俺達は首都を後にした。
アトランティル王国首都ロワラルジャンから北の大陸に向かう道は大きく分けて二つ。一つは東門から平原へと続く街道を進み、平原の先にあるトルーム河を北上する方法だ。時間は掛かるが費用は抑えられ、商人達や平民は大体この方法である。もう一つは主に貴族が利用するのだが、飛行船にて移動する方法だ。費用は嵩むが時間は圧倒的に掛からない。
そして俺達の移動方法は──、
「……本気で飛び降りんのか?」
「飛び降りるっていうか、飛んで移動するだけだよ」
陽が登る間近である現在、アトランティル王国の王城が聳え立つ真裏にある崖にて、湖を眺めている男三人というのは中々に怪しさがある。
「アレク。人ってな、鳥みたいに翼がないんだ」
「創れば良いだけだよ」
「シリウスさん、アレクって昔からこーなんすか?」
「まだロイ殿が魔法に不慣れである分、控えめですな」
「まじかよ」
「ロイのことは抱えて飛ぶから大丈夫だよ。オニーサンを信じなさい」
「えっ。俺抱えられるならシリウスさんが良い」
何というか、安全的な面で。勿論アレクは魔法使いとして優秀だろうし賢者だし、疑ってなどはいないけれど。筋肉がしっかりしているシリウスさんの方が安定感がありそう──という合理的な考えで口にしたのだが、アレクは据わった目でこちらを見てきたので、シリウスさんに助けを求めて目配せをしたが──、
「さっ、行きましょうか」
「あぁっ!?」
我関せずといった涼しい顔で、魔法で翼を生やしたシリウスさんは崖から一足先に湖へと飛び立ってしまった。残された俺とアレクの間には何とも言えない空気が漂う。
「……シリウスさん、行っちゃったな」
「そうだね」
「あの〜……」
「──ロイはさ、」
「お、おう」
「ボクじゃなくて、シリウスの方が良いの?」
しょぼん、と肩を落としたアレクは、まるで飼い主に置いていかれた犬のようで。途轍もない罪悪感が湧き起こり、旅の始まりから良くない流れである。
「いや、アレクが嫌とかそういうことじゃなくて、」
「すっかり懐いて、シリウスと仲良いもんね」
「それはまあ、毎日修行というか、稽古をつけてもらってるし……」
「師匠はボクだよ」
「だぁ〜っ!!悪かったって。筋肉で安定感ありそうだなって思っただけなんだ。アレクのことは師匠だって思ってるし、信用してるってば」
どうにか機嫌を直して欲しくて素直に打ち明ければ、アレクはニッコリと笑った。それはもう、満面の笑みだ。
(……嫌な予感がする)
「そっか。成る程ね〜」
「お、おう……」
「ボクのこと信用してるんだ」
「そりゃあ、そうだろ。じゃなかったら、自分の身も守れないのに旅に同行なんてしねえよ」
「筋肉なくて悪かったね」
「──は?」
アレクに肩を押された直後。フワッと足が、地面から離れた。胃の奥底がひっくり返るような浮遊感を理解した瞬間に、自分の体が崖から落ちていると気付く。
「ぅわああああああッ!!?」
「アハハッ」
これは死んだと覚悟をした瞬間、甘い匂いと共に純白の眩い翼が視界を覆った。落ちている恐怖が吹き飛び、眼前に広がる綺麗な翼に触れようと腕を伸ばすと、アレクの少し細い指が自身の指と絡まり、優しく引き寄せられた。
「アハハッ。怖かった?」
「……お前な」
「師匠を除け者にしたお仕置きだよ」
「ったく。いい性格してるよ」
「落とすよ?」
「すみません師匠。運んでもらえて光栄です」
横抱きのまま運ばれつつ、先に飛び立っていたシリウスさんと合流し、そのまま湖を縦断した。こんだけ派手に飛び回ってて誰かに見られてないかと不安で仕方がないのだが、認識を阻害する魔法を既に使っているので問題はないらしい。
小一時間ほどで湖のほとりに着陸し、木々の隙間から辺りを眺める。まだ雪が積もる地域ではないが、やはり首都に比べて少し肌寒さはある。
「此処から更に北上しつつ、山を登るんだよな?」
「そうなるね」
「ずっと飛んでいくのか?」
「風の影響があるから、此処からは徒歩になるよ。疲れたら遠慮なく行ってね。今回の旅には期限があるわけじゃないし」
「無理は禁物ですからな。ゆっくりと、まずは野宿に慣れていきましょう」
荷物はアレクが魔法で異空間に収納している為、三人とも身軽そのものだ。日々の筋トレの成果を見せねばと意気込んでいたのだが、空回りしても迷惑だろうなと冷静になり、大人しく二人の間で歩くことに。
先頭を歩くアレクは、まるで目的地が決まっているかのように迷いなく進んでいく。森の中の道無き道を歩くというのは案外疲れるものだが、後ろ姿を見るに全く疲れは感じない。
「……何か、臭くねえか?」
「へえ?何の匂いだい?」
歩いてまだ三十分ほど。しかし、歩けば歩くほど異臭が強くなり、思わず足を止める。
「何か、腐った蜜柑みたいな……」
「ほう。アレク様は感じますかな?」
「いや、匂いは全く。けど、魔力は見えるかな」
「ふむ。私の耳には這う音が聞こえてますので、大方スライムでしょうな」
「すらいむ?」
何だそのちょっと阿呆っぽい響きのモノはと首を傾げると、アレクが指を指しているのでその方向を目で追う。そこには、濁った緑色の溶けかけた塊がウゾウゾと地面を這っていた。
「……動きは可愛いな」
「スライム、別名森の掃除屋さ。大体の物は消化出来るから、そう呼ばれているよ。食べた物によって色が変わったりするんだけど、腐った臭いってことは、どうやらあまり良い食事は出来てないみたいだね」
「動物や魔物の死骸を食べたのでしょうな。本来ならば、この辺りでは木の実や古く朽ち果てた木の皮を食べて、色はもっと綺麗な筈ですぞ」
「すんげー臭い。指輪で魔力の匂いは抑えられてる筈なのに、まじで臭い」
近付けば近付くほど、吐き気を催すのではないかと思うほど、腐臭が強くなる。生ゴミなんて目ではないほどで、よく見れば表面は泡立ち、スライムの歩いた跡が分かるほど草は溶けてしまっている。
「ということは、食べたのは魔物の死骸だね。スライムは基本的害はないから殺さないでおきたいけど、魔物の死骸を食べすぎると変異して凶暴になるし、可哀想だけど殺しておこうか」
「私がやりましょうか?」
「いや、水の魔法で浄化してからの方が良さそうだし、ボクがやるよ」
アレクが一歩前に進み、俺は念の為とシリウスさんの隣に立つ。初めて見る魔物、それに魔法での対処──少しだけワクワクしながら、固唾を飲んで見守る。
「ごめんね。このままだと森が汚れてしまうから」
アレクがまるで指揮者のように右手を振ると、スライムが宙に浮かぶ。一欠片も残さないように丁寧にアレクはスライムを浮かばせた後、今度は左手を振った。
「さあ、"綺麗になろう"か」
何もなかった場所から、水が現れてスライムを包み込む。球体の水の中でスライムはぐるぐると丸洗いされていて、次第に透明な水の中に何か別の塊が現れた。
「あれは……骨?」
「そのようですな。スライムが食べた魔物の骨──それも、随分とまた珍しいものです」
アレクが手を振り払うと、スライムが溶けた水は霧散し無くなり、出てきた骨がカシャン、と地面に落ちる。
「シリウス、この骨が何の骨か分かるかい?」
「恐らくですが、フォレストスネークでしょうな。まだ幼体のものです」
「蛇の子供?」
「といっても、魔物なので幼体でもロイ殿と変わらぬ大きさはありますぞ。森に生息する魔物の中では、成体ならばそれなりに強い方ではあります」
「ちなみに成体はどんくらいの大きさで……?」
「ふむ……。ザッと、ロイ殿が十人ほどですかな」
大きさの想像が既に今までの自分の価値観からは飛び抜けてしまっていて、処理しきれない。成体を見たら恐怖から叫ぶ自信がある。
「天敵が山から降りてきたのかもね。フォレストスネークは森の主だし、天敵の方を見つけて狩っておこうか」
「天敵ならば、鳥類でしょうな。アレク様のご友人が目覚めたのなら、有翼種は軒並み山を降りたでしょうし」
「なら、狩りは夜だね。探索しながら先へ進んで、野宿出来そうなところと罠を仕掛けられそうな広めの場所を探そうか」
あれよあれよと話が進み、何の戦力でもない俺は言われるがままに歩くことに。どうやら探知能力は二人と同じくらいあるようで、匂いがしたら報告しながら足を進めていった。




