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通常のロイ視点です。
街中での走り込みを終え塔へと戻った俺を待ち受けていたのは、シリウスさん考案格闘技の地獄の基礎訓練ではなく、アレクとの雑談だった。
汗を流した後、塔の二階にある執務室のような部屋に招かれたので向かえば、本を片手にアレクが俺を待っていた。
「やあ、お疲れさま」
「悪い、待たせたか?」
「気にしないでいいよ。急なことだしね」
「おう。それにしても──童話か?それ」
「うん?これかい?」
アレクが手にしていたのは、幼い子供が字を覚えるのに使用するであろう童話集だった。可愛らしい表紙とは裏腹に、案外中身の童話は不気味なものばかりで、何度か孤児院で読んだ記憶があるものだった。
「童話がどうやって作られるか、ロイは知ってる?」
「普通の絵本みたいに想像じゃねえの?」
「まあ、そういうものも多いね。けれど、事実を脚色し、幼い子供達へ戒めや教訓として伝える目的もあるんだ。──"西の森の魔女"とかね」
その言葉に、あの木の葉と共に消えた不思議な女性を思い出した。足首まですっぽりと隠れる長いローブのフードを被り、いかにも魔女という出立ちだった、彼女を。
「アレが、魔女ってことか」
「恐らくね。シリウスの天敵さ」
「らしいな。すーげえ怖かった。地面が割れてたし」
「実は感情的なんだよねぇ、シリウスって。と、いうことで」
「あん?」
「ちゃんと、ロイとは話しておこうと思って」
ソファーに座るよう促され、部屋の片隅に立ちっぱなしだった俺は腰を下ろした。ソファーの前にあるテーブルに、さらりと魔法でお茶の準備が始まり、何度見ても慣れないものだと心の中で苦笑する。
「ボク達は、これから北の地に向かう。旅の目的は、ロイが辿り着く場所を自覚してもらうことかな」
「俺が、辿り着く場所?」
「そう。分かりやすく言えば、どれくらい魔法を扱えるようになって欲しいかってこと」
「ああ、そういう……」
確かに、具体的にどれほど修行をし、どれほどの実力を付ければ良いかは理解していない。アレクやシリウスさんの魔法の実力すら、把握していないのだ。平和な暮らしの中で見れる魔法といえば、日常的なものばかりだ。といっても、転移魔法は充分凄いけれど。
「北の地を選んだ理由は、魔物が増えて南下してきているから、サクッと倒しながらロイに見せようかなと」
「騎士団が派遣されるみたいだけど、良いのか?かち合うぞ?」
「騎士団が派遣されるのは二週間後。その前に出立するから、大丈夫。ある程度は魔物を見逃しつつ、騎士団じゃあ倒せないだろうなーっていう強いのだけ倒して進むから。アハハッ」
「それは笑い事で済むのか……?」
騎士団でも倒せないなんて、想像が出来なかった。というより、生まれてこの方魔物を見たことがないのだから。絵本の中でしか見たことのない、竜のような魔物もいるのだろうか。
「でね、ここからが一番重要」
「ほお」
「森の魔女が忠告をしてくれたことに、心当たりがあるんだ。ボクの友が、深い眠りから覚めたみたいでね。会いに行こうかと」
「その説明から察するに、人間ではなさそうだな」
「竜だからね。それもかなり大型の」
「へえ〜竜か。──……は?竜?!」
「眠ってた理由は分からないんだよね〜。まあ、起きたなら会いに行こうかなって」
驚く俺を他所に、話は進んでいく。実在する竜に会いに行くなど、少し前の俺なら絵空事だと呆れただろうが、生憎この突拍子もない男と過ごしてからは、それが嘘ではないのだと否が応でも理解させられる。
もはや慣れだと諦め、テーブルに用意された紅茶を一口飲んだ。グラスに入っていた冷たい紅茶は、乾いた喉を程よく潤してくれた。
「旅の間、ロイがするのは一つ。"ただ見ていること"だよ」
「ん、だろうな」
「おや。そこで不満を言わないんだね」
「今の自分が何の役にも立たねえって分かってるさ」
「偉い。ちゃんと自分の実力を把握するのは良いことだよ。いずれ、深海や南の砂漠、東の山岳地帯にも連れ回すから、その時はよろしくね」
「おいコラ。さり気なく犯行予告みてえなことを言うんじゃねえ」
「先に言っておけば怒らないかなって」
「怒るわ!」
頑張れ未来の俺。と力無く項垂れる。ソファーに背を預けて不貞腐れるように黄昏ていると、隣にアレクが座ってきたので顔を向ける。
「それだけ、ロイには可能性を感じてるんだよ」
「……おう」
「旅の支度でバタバタするけど、旅の道中ではボクやシリウスの話に付き合ってくれるかい?焚き火を囲んでする話には、そぐわないかもしれないけど」
「良いけど……」
楽しい話では、どうやらなさそうだ。けれど、聞かない選択肢はない。少しずつだが、アレクはアレクなりに壁を取り払おうとしてくれているのだから。
(除け者にされてる気分だったとか、俺は餓鬼か)
深入りしないのは、俺がまだ子供の証拠と思い知った気がした。壁を作っているのは、アレクではなく俺なのかもしれない。だって、そうだろう。俺は、アレクやシリウスさんが、いつか離れるというのを知っているから。
「……ちゃんと、聞くよ」
「うん。そうしてくれたら、嬉しいね」
「話したくない話は、無理に話すなよ?」
「おや、優しいね」
「別に優しいとかじゃなく、ただの本心だ。話したくないことだって、あるだろ」
俺が、未だに大人の男を恐れていることのように。心の傷というのは、誰にだってある。触れられたくないことの一つや二つ、誰にだって。
気まずくなり紅茶をまた一口飲めば、ポン、ポンと頭を撫でられた。シリウスさんは見た目が完全に老齢だから除外するが、アレクには触れられても何も思わないのだから、不思議なものである。
「キミに知っていて欲しい、知って欲しいことしか話さないさ」
「……そうか」
「逆に言えば、キミを傷つけることになることでも、必要とあらばボクは話すよ。そういう性格だから」
「まあ、確かにそうか。お前優しいけど、優柔不断じゃねえしな」
「アハ。そういうの嫌いなんだよねぇ」
アレクは人に対して、無駄な気は遣わないし、迷いのない性格だと短い付き合いながら知っている。となれば、最早俺から言うことは何もない。受け入れるだけだ。
「良い性格してるよ、本当」
「へえ?そう?」
「本当にな。見た目は可愛いっつーのに、変にぶっ飛んでるっつーか狂ってるっつーか」
「ねえ、急に鬼ごっこがしたくなっちゃった。ボクがずっと鬼ね」
「怖えよ!悪かったって!!その目をやめろ!!」
口元は笑顔を浮かべながらも完全に俺を殺す気でしかない目線を投げ掛けてきたので、素直に白旗を振った。危うい橋は渡らないし、負けを認める方が良いこともあるのだ。
やれやれと言わんばかりに溜息を吐いたアレクを見つめていると、ピン、と額を指で弾かれた。
「全く。困った子だね」
「地味に痛え」
「オニーサンを怒らせたらどうなるか、旅で学んでから吹っ掛けるように」
「それ、二度と吹っ掛けられなくなるだろ」
「ロイが強くなれば良いだけじゃん」
「おぉう……」
「まぁ、簡単には追い抜かされないけどね」
「オニーサンは最強だからね〜」などと笑うアレクに、毒気を抜かれた。結果的に、少しスレた考えは和らいだし、この何を考えてるか分からない飄々とした顔を見てれば、悩むことすら阿呆らしくなる。勿論、良い意味で。
話がひと段落したので、鍛錬に戻るよう指示された。部屋を出ればシリウスさんが待ち構えていて、問答無用で庭へと連れて行かれたのは言うまでもない。
(旅か……。楽しみだな)
生まれて初めての旅に心を躍らせながら、俺は庭にてひたすら目の前で残像すら見える速度で蹴り掛かってくるシリウスさんから、必死に逃げ回ったのだった。




