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「で?」
「何が?」
「何がじゃねえ、説明しろ」
モスグリーンの落ち着いた壁紙に、壁を埋め尽くすような本棚。そして質の良いダークブラウンの家具達。見上げれば天窓から心地良い陽射しが差し込み、外周を囲うように螺旋状の階段が伸びている、丸で塔のようなこの建物に、一瞬にして俺達は転移してきたところだった。
「ああ、此処は今日からボク達が住むところだよ」
「住む……?てっきり宿住まいになるのかと」
「魔法の練習もあるし、宿だと気を遣うじゃない。安心して。食事は作ってあげるし、洗濯とかは魔法で一瞬だし」
「此処は借家?」
「んゃ?土地を買ってさっき魔法で建てたとこ」
「は……?」
嗚呼もう、何処から訊けば良いやら。魔法で建物を建てるなんて規格外もいいとこだ。そんなモノは存在していないのに。
「──アレク」
「でも、安心してね。ちゃんと見られないように認識を阻害する魔法を掛けながら建てたし、今も外から見たらただの一軒家というか屋敷にしか見えないようになってるから」
「そんなことが可能なのか、魔法で」
「寧ろ、そんなことも可能じゃないなんて、どういう価値観で生きてるの。皆これくらいやるでしょう?」
「あー……」
心底不思議そうな顔で俺をまじまじと見てくるアレクに、どうしたものかと頭を抱えた。唯の田舎者と思っていたが、その認識は間違っていたらしい。
何故なら、アトランティル王国はこの世界で最も魔法が発達している先進国というのが、全世界共通の認識だからだ。遥か昔の世界大戦後に永世中立国として成り立ったこの国は、世界中から高魔力持ちが集まる。今俺達がいる首都にある国立魔法研究所はその最もたる場所だし、次々と便利な魔法を生み出していて、その恩恵を貴族も平民も受けているのだから。
そんな場所に十五年住んでいる俺が断言できるのは、こんな魔法は存在していないということ。
「知識を教えろって俺に言ったな」
「うん」
「先ずは一般常識というか……そっから始めるぞ。俺も詳しい訳じゃねえけど、それなりには知ってる筈だから」
「そう、だね。ロイから見て、ボクはおかしい?」
「──何もかも、な」
"異端"と呼ばれ続けたからこそ、言いたくない言葉だった。傷付けただろうかとアレクを見れば、愉快そうに笑っていた。頭のネジがぶっ飛んでんなと思って見ていると、徐に手を引かれてソファへ座らされた。おい、隣に座るのは良いが距離を詰めんじゃねえ。
「長くなるだろうから、何か摘める物を用意しなくちゃね」
「おう。何か買ってくるか?」
「オニーサンに任せなさい。甘い物は好き?」
「好きだけど」
まさかそれも魔法で生み出すのかと思っていたら、案の定だった。顎を触りながら悩むそぶりをした後、俺の目を見ながらソファの前にあるテーブルを一撫でした途端、貴族らしいアフタヌーンティーセットが現れた。
「……成る程」
「成る程じゃねえ。何だこれは。そもそも魔法で生み出したもんは食えんのか?」
「食べれるから安心して。それにしても……ロイって、貴族だったの?」
「は?」
「これは、ロイが思い浮かべた──というより、キミの記憶にある甘い物を出したから」
テーブルに改めて目を向ける。青色に縁取られた白い茶器、磨き上げられたシルバーの食器。金色のケーキスタンドは煌びやかだが押し付けがましくない蔦状の装飾が細やかで、サンドイッチやスコーン、一口サイズのケーキが並んでる。
(コレは──そうか、あの女のところに行った時のか)
幼い時、まだ儀式をする前──母親だったあの女が、優しかった頃に見た物だ。庭園でお茶会をしていたあの女を窓から見ていた時、気付かれて立ち竦んだ俺に優しく呼び掛けてきた時に見た物だ。
「……ロイ?」
「あー……。生まれは、貴族だ。けど捨てられたから」
「へえ──そう」
「あんま憶えてねえけどな」
「別の物を用意しようか?」
「良いさ。物に罪はねえしな」
あんまり憶えてないなんて、嘘も良いところだ。けれど、何故かコイツには──アレクには、復讐したいという浅ましくも愚かな考えを、言う気にならなかった。
確か下から食うんだったよなと、ケーキスタンドの下の段にあるスコーンを手に取る。クロテッドクリームとブルーベリージャムをたっぷり塗ってから口にすれば、こってりとしたバターの風味とジャムの甘味が脳を支配した。
「美味いな」
「それは良かった。紅茶はストレート?」
「おう」
手慣れた様子で紅茶を淹れるこの男に、品の良さを感じた。薄紫色のローブといい、高貴な雰囲気が滲み出て──待てよ。薄紫といえば──。
「アレク」
「なぁに?」
「お前──王族か?」
この国で王族だけが身に付けることを許される、貴き色。建国の時代より受け継がれる瞳の色を模したその色は、王位継承の証でもある。
その色を当たり前のように身に付けるこの男を見つめていると、オロオロと視線を彷徨わせた後に一つ溜息を吐いた。
「半分正解で、半分外れかな」
「……つまり?」
「答え合わせをしても良いけれど、ボクからも一ついい?何でそう思ったの?」
「色だよ。その薄紫色は王族しか許されてねえからな」
「……成る程」
今の国王陛下の就任式の時に、遠目で見たことがある。幼い頃だし朧気ではあるが、あの女に質問をしたのだ。「何故王族は皆あの色を着ているのか」と。
「そうか……。そんな習慣が増えたとは。他にやるべきことがあっただろうに」
「増えた?」
「んー……長い付き合いになりそうだし、しっかりお互いのことを話しておこうか。その代わり、」
「何だよ」
ジッと俺を見つめてくるアレクに身動ぎすると、ピンッと額を指先で弾かれた。
「"嘘"も"隠し事"もやめてね。互いに裏切らない関係になろう」
「……気付いてたのかよ」
「キミより長く生きてないよ。それに、ロイは顔に出やすいからね」
「うるせえ。素直と言え」
「はいはい。紅茶のおかわりは?」
「……いる」
餌付けが始まっている気がするが、気の所為だと思うことにした。嘘をついたのは俺だが、何とも情けないし恥ずかしいのでむっつりと黙り込む。しかしそのまま無視され会話は続いていく。
「今って建国して何年くらい?」
「今年で丁度五百年だった筈だ。今は春だけど、秋にある建国記念日は一週間くらい祭をやるってギルドのおっさんが言ってたからな」
「成る程。じゃあロイに質問。初代国王陛下の弟──王弟の名前は知ってる?」
「そんなの誰だって知って──」
そこではたと俺は気付く。嫌な予感がし、ざわりと背中が震えた。
初代国王陛下の王弟は、絵本にもなるくらい有名だ。息をするように魔法を使い、ドラゴンに乗り世界を旅した物語は子供なら誰でも知っている。民を慈しみ賢王と呼ばれた兄である初代国王陛下を支えた、唯一の賢者。
「アレク──アレクサンドロス・フェルディナンド・エマニュエル」
「信じられないって顔をしてるね」
「そ、りゃあ……だって、」
「まあ、エマニュエルって姓はそこら辺にもいるしね」
「そこじゃねえ。何年経ってると思ってんだ」
「五百年かぁ……。ちょっと失敗しちゃったなぁ」
「何を」
「王位継承権を放棄して、ボクは平民として旅に出たんだけど。それでも兄上から面倒くさ──えっと、頼まれ事とか多くてね」
「……おう」
今サラッと面倒臭いって言おうとしたなと目を細めながら先を促せば、紅茶で喉を潤したアレクは口を開く。
「何処に行っても最終的に見つけてくるというか……逃げられなかったから、ちょっとだけ逃げるつもりで時空を超えたんだよね」
「何を旅行感覚で言ってんだ!?」
「しょうがないじゃん。兄上が煩いんだもん」
「それで五百年も先の未来に来てどうすんだ!つーかそれ、戻れんのかよ!?」
「困ったことに、媒介にしてたペンダント壊れちゃったんだよね。いやー、困った困った」
「おーまーえーはー……」
何故そうも他人事のように呑気に構えてられるのか。話が本当だと仮定した上で言うが、コイツが兄上と呼んでいる初代国王陛下もさぞ心配──もとい、捜索しているに違いない。
「直るもんなのか……?」
「同じ素材が見つかれば、かな。この時代にも残っているかは分からないし」
そう言ってアレクがローブの内ポケットから取り出したのは、一目で高級だと分かるプラチナ製のペンダントだった。しかし、ペンダントトップには縁取りだけが残っていて、恐らく此処に核となる媒介があったのだろう。
「素材は何を使ったんだ」
「ルクージュっていう魔石だよ。石自体は深海にあって、その石を生きたドラゴンの心臓に埋め込んだ後、月光に当てると魔石になるんだ」
「とんでもねえ素材だな」
「手に入れられたのも偶然だったからね。海に住む種族から偶々石を貰って、更に旅先で出逢ったドラゴンが老齢で死ぬところだったからお願いして出来たやつだし」
平然と言うアレクに、開いた口が塞がらない。そもそも俺は魔物なんて見たことがないから半信半疑であったし、それに人以外の種族すら見たことがないのだから。
「海に……その、住むっていうのは」
「人魚族を知らないの?」
「御伽話かと」
「まさか!獣人族は?」
「知ってる。けど、俺が知る限り……確か六十年くらい前から西大陸にある帝国が奴隷として連れ去るのが増えたから、南大陸に連合国を建てて以来、獣人は身を守る為に他大陸への往来を禁止したんだ。だから、見たことはねえ」
「帝国?」
西大陸にある軍事国家、ネストリア帝国。北大陸にあるホーネスト公国との諍いが絶えず起きていて、昨年も国境付近で軍事衝突があったくらいだ。獣人を奴隷として使役していて、そのことで他国から疎まれ孤立している国だ。
ある程度帝国について説明する頃には、アレクの眉間には大層似つかわしくない皺が寄っていた。
「そんな馬鹿げたことをしているんだね」
「まあ、未だにやってるって噂だしな。南に渡っては獣人族を連れ去ってるって話だ」
「嘆かわしい。どうして他の国は黙って見てるの?」
「首脳会議が行われる度に、死人が出てるからじゃねえの。五年おきにやってっけど、暗殺事件だの会議場所が爆破されるだの、そもそもまともな会議が出来てねえからな」
「……詳しいね」
「誰だって知ってるさ。新聞に映像が載るからな」
「映像?」
もしや知らないのかと、持参した少ない荷物から本を一冊取り出して開く。
「ほら、こうやって。絵が動いたり、写真の中の人が動いたりな。転写の魔法陣が書いてあるんだ」
「おおっ!凄いね」
「……こういう魔法は知らねえのか」
「魔法陣っていう概念がないからね。いつ出来たんだろう」
新しい玩具とばかりに楽しそうに本を捲りながら喜ぶアレクに、本当に歳上か疑わしくなってしまった。まあ、五百年前から来たのならそもそも老人というより化石に近いけれど。
「話が脱線したけど、とりあえずお前は素材が見つかれば元の時代に戻れるってことか」
「そうなるね」
「見つかるまで、俺に魔法を教えると」
「そういうこと!じゃあ、次はロイの番」
「俺?」
「ボクの話を信じたかどうかはさておき、ロイがどういう人なのかをボクは知りたいから」
近距離からの真っ直ぐな眼差しに、勝てる気がしなかった。まあ、良い。コイツの言う通り長い付き合いになるのだから。正直に全て話した方が、自分の気が楽になるだろう。
「あー……俺は五歳の時に、魔力鑑定の儀式で魔力無しと判断されて、捨てられた。元々は公爵家のロナルド・ルクセンブルクって名前だった」
「──ルクセンブルク」
「知ってんのか?」
「勿論。続けて」
そりゃあ建国以来続く家だしなと納得しながら、続きを話す。
「さっきいた孤児院の院長に拾われて、ロイ・ミズウェルになった。魔力無しってのは平民でもそうそういない。院長以外にはまあ……好かれてはなかった」
「……それで?」
「十歳になった時、冒険者ギルドに通うようになって、薬草集めとかの依頼をやるようになった。魔力無しでも生活が出来ないわけじゃねえ。けど、少しでも──アイツらに、復讐したかったから。だから、情報を集めるようになった」
子供だからと追い払われることはあったが、案外ギルドの連中は気の良い奴が多い。平民達は有事の際に犠牲になる。だからこそ仲間意識が強いのか、貴族への反発心もあるから。
「ルクセンブルク家は王家への叛逆を計画してる。王権を持とうとな」
「へえ──根拠は?」
「弟が……まあ、会ったのは一度しかねえけど。先祖返りなのかお前と同じ薄紫色の瞳だったんだ。あの家は王女の降嫁先に選ばれることが多かったからな。この国で薄紫色は王族の色。だから王位継承権も持ってるだろっつー阿呆な考えをしてるらしい」
我ながら、同じ血が流れていることを後悔しているほどの思考回路をあの家の連中はしている。何ともまあ脳内がお花畑というか、なまじ財力も権力もあるから厄介なのだ。
「俺の望みは、あの家を潰すことだ。証拠を集めて、告発して──」
「それで?」
「あ?」
「告発し国王陛下が認めれば、極刑は免れない。一族や関わった貴族達諸共ね。名の存続すら許されないだろう。それで?」
「それでって……俺はそれで、」
「キミは──たったそれだけで、満足しちゃうの?」
「は?」
"たったそれだけ"。
一族が極刑になれば、俺の悲願は叶う。魔力無しで生まれただけの俺を捨てた彼奴らに、この上ない復讐だと思っている気持ちに嘘はない。なのに、何故こうも揺さぶられたのだろう。
「魔力無し、ね──」
「……何だよ」
「一族が絶えた後、キミは満足して幸せに暮らしていけるの?他の人に魔力無しと呼ばれたら?さっきの愚かな連中のようにキミを痛め付けるヤツらが現れる度に、キミは復讐をしていくの?」
「それ、は……」
「ハッキリ言うよ。ロイは間違ってる」
「っ、」
そんなことは、言われなくても分かってると口を開こうとしたが、アレクの人差し指が俺の口を塞いだ。
「ああ、復讐したいという気持ちを否定したわけじゃない。ルクセンブルクの屑共はいずれ消してあげるから。そこじゃないよ」
「んぐ、?」
「魔力鑑定ってのがどんなやつなのか見ないことには分からないけど、そもそも魔力って血のことだから、魔力がないってあり得ないんだよね」
曰く、犬や猫の動物にすら魔力は存在すると。そう目の前の男は言った。
魔法というのは血を使うもので、魔法を発動するには血を代償にする、らしい。
「……お前、このケーキ出す時も血を流しながらやってたのかよ」
「そんな馬鹿なことがあるわけないでしょう」
「代償って言ったじゃねえか」
「結果的にってことね。分かりやすく説明すると、体内で血を魔力に──透明な空気に変換するんだ。魔力の元が血ってことかな」
「それで?」
「無意識化で出来ちゃう人が殆どだけど、稀にちゃーんと訓練しないとそれが出来ない人がいる」
「つまり、俺は──」
「訓練しないと、血を魔力に変換出来ないだけ。この世界の認識がいつからか変わってしまったんだと思う。少しの血で沢山の魔力に変換出来るとか、大量の血が必要でとか、そこは血筋だったり才能もあるんだけどね。得意な魔法とかも人それぞれだ。けれど、一つ確実に言えるよ。──ロイは魔法が使えないわけじゃない。ただ、人より一つ工程が必要だっただけなんだ」
目の前が真っ白になった。俺は、一体何の為に、虐げられてきたのだろうか。生きていることすら罪なのだと言われ、この世界から拒絶されて。
「……今まで、よく耐えたね」
「お、れは……っ」
「辛かったね、なんて……ありきたりな言葉は言わないよ。けど、もう苦しまなくて良い」
「ア、レク。俺、は……っ」
「ロイ・ミズウェル。キミはボクと同じ、いや──この世界の皆と同じ、魔法使いだ」