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「もし──若き芽の其処の貴方」
「へ?」
今日も今日とて修行だ鍛錬だと、早朝から塔の玄関前にて準備運動をしていた俺は、唐突に目の前に現れた女性に目を瞬かせた。
息を呑むような絶世の美女。深い緑の髪は森に繁る木々達のようで、長いまつ毛をパチパチと揺らす度に、大きなエメラルドのような瞳が零れ落ちそうだった。
「若き芽って、その……お、俺ですか?」
「わたくしには貴方しかこの場に居ないように見えるのだけれど、違ったかしら?」
「そうっすね。俺しか居ないっすね」
ゆったりとした視線が、俺を下から上へと確かめるように這う。居心地の悪さを感じながら彼女の次の言葉を待つと、フッと彼女が笑った。
「良い魔力を持っているわね」
「あ、ありがとうございます……?」
「とっても、似ているわ」
「へっ?」
「──嗚呼、そうね。そうだった。若き芽の貴方、あの可愛い子に伝えてくださる?"北の地に眠っていた友が、貴方と逢いたがっている"と」
「北の地に……?」
終始相手のペースで会話が進み、要領を得ない。しかも、俺の返事を待たずに、彼女は背を向けて門へ歩き始めてしまった。慌てて追い掛けようとしたのだが、何故か足が地面から離れない。
(何だ、これ……)
「そうだわ。まだわたくしは伝えたいことがあったの」
くるりと踊るように振り返った彼女は、満面の笑みで俺に語り掛ける。
「──白銀の狼に伝えてくださる?"次に会う時も、可愛がってあげる"って」
「はい……?あの、さっきから一体何を、」
「さようなら、若き芽の貴方。わたくしの娘と同じくらい、とっても素敵よ」
「ちょ、ちょっと待てっ!」
引き止める俺を無視するかのように、ザアッと勢い良く風が吹き、思わず目を腕で覆った。砂埃が舞い新緑の草花が竜巻のように渦を巻いたのを腕の隙間から見たのを最後に、彼女は姿を消していた。
「……何だったんだ」
動かなかった筈の足は、もう解放されていた。
恐らく行動を束縛する魔法を使われたのだとは思うが、アレクのように指や手を動かしたりといった、予備動作はなかった。
(分かんねえけど、やべえ女だったのは間違いないな)
頭の中に疑問符しか浮かばない。さてどうしたものかと思っていると、一緒に朝の鍛錬をする予定だったシリウスさんが玄関から現れた。
「おはようございます、ロイ殿」
「おはようございます。あの……シリウスさんって、」
「はい」
「"白銀の狼"って言われたことあります?」
何となく白髪だし強いしなと適当に問い掛けたのだが、シリウスさんはピタリと準備運動の途中で動きを止め、鋭い眼差しを俺に向けてきた。
「何方から何を聞いたか、詳しく伺っても宜しいですかな」
「喋ります全部喋りますっ!」
まだまだ実力のない俺にも分かる殺気のようなものを飛ばしているシリウスさんに、全力で無実ということを訴える。アレは俺が招いたことじゃないのだから。
「今シリウスさんが来る前に、突然女の人が現れて」
「……ほう?」
「見た目は──そうっすね。凄え美女でした。緑の腰くらいまで伸びた髪に、エメラルドの瞳で。背はアレクくらいっす」
「その者が、何を?」
「可愛い子に、"北の地に眠っていた友が、逢いたがってる"って伝えてって。あと、白銀の狼に……確か、"次に会う時も可愛がってあげる"って」
そう正直に話した途端、バキッと地面に亀裂が入った。見ればシリウスさんの足元の地面が割れていて、心なしかゆらゆらと石畳の破片が浮いている。
「……忌々しい魔女め」
「シ、シリウスさん……?」
「何故この場所が分かったかは置いておくとして──他に何か、まさかとは思いますが、ロイ殿は無事で?」
「無事も何も、ただ話しただけっす。若き芽って言われて、魔力を褒められて。誰にとは教えてもらえなかったけど、"似てる"って言われました。娘と同じくらい素敵とか、そんな会話しか後はしてな──」
「むす、め……?」
鬼気迫るような表情で俺の身体をパシパシ叩いていたシリウスさんは、呆然とした顔で止まった。
「娘……娘がいると、言っていたのですか?」
「まあ、恐らく。わたくしの娘とって言ってたんで。あの、大丈夫っすか?顔真っ青で、」
「──ええ。今話したことを、アレク様にお伝えして来ます。申し訳ありませんが、朝の鍛錬は──」
「大丈夫っす。走り込みなんで、一人でも問題はないし」
「すみません。では」
足早に、シリウスさんは塔へと戻っていった。残された俺としては、置いていかれた気持ちになるが、諦めもある。
(まあ、仕方ねえか)
二人のことを、深く知ろうとしない俺も俺で悪いのだから。勝手に期待して、落ち込んでるなんて、滑稽にも程がある。
モヤモヤとした気持ちを振り払うように、俺は走り出した。朝の街並みは昼間よりは人が少ないが、朝特有の良さもある。住宅街から商店街への大通りには市場の屋台が立ち並び、新鮮な野菜や果物がこれでもかと屋台を彩り、焼き立てのパンの香りが空腹を誘う。
(朝は朝で好きなんだよな)
昼間は年中祭のように賑わっているが、朝の賑わいも好きだ。走っている途中に顔見知りの冒険者達とすれ違ったり、昔から知っている商人達と挨拶をしたり。
けれど、今日は様子が違っていた。鎧に身を包んだ騎士団が列を成して歩いていて、物々しい雰囲気が漂っている。足を止めて、同じように騎士団を眺めていた顔見知りのおばさんに話し掛けると、どうやら北部から魔物が大量に南下してきていて、その対処に向かうらしかった。
「魔物……軍が出るって初めて見た」
「ロイちゃんが小さい時にもあったさ。うちの人も駆り出されてね」
「おっちゃんが?」
「その時に膝を悪くしてね。治癒魔法を使える修道士達は騎士団に付きっきりで、冒険者は使い捨てられたのさ」
「……そうだったのか」
「ロイちゃん、アンタも冒険者だろう?悪いことは言わないから、大人しく家にいることさね。生きてりゃなんとかなるとは言っても、働けもしなくなったら生きてけないんだよ」
おばさんは吐き捨てるようにそう言って、騎士団をひと睨みした後何処かへ行ってしまった。
(冒険者は……平民は、使い捨て)
この国は、貴族と平民という身分差がある。俺を捨てた公爵家を筆頭にした三大貴族の他にも、大小様々な貴族がいて、後は平民だ。成り上がるには何かしらの功績を立てるしかないが、生まれた瞬間から価値が決められる。
(昔は、違かったんだっけ)
歴史書によると、アレク達がいた時代は、今のような明確な身分差はなかった。寧ろ、アレク達の時代に貴族として成り立った家が多いわけで。
(過去に文句は言えねえけど、もう少し……どうにかならんかったのかね)
生まれだけで偉いと横暴な態度を取る貴族は、殊の外多い。あからさまに平民を見下す者も多いし、優秀な平民を邪険に扱うという話も少なくない。
(……ま、考えても仕方ねえか)
嫌なことを考えてしまったと溜息を吐き、俺はまた走り始めたのだった。




