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「────まだまだですな」
「ぐ、ッ!?」
ドサッと、俺は地面に倒れ込んだ。
裏庭にて行われている今日の修練は、格闘技である。アレクと同じように時を超えてやってきていたシリウスさんが相手なのだが、動きを目で追うことすら叶わず、手も足も出ずに倒れ込んだのだ。
「ふむ。まだまだ成長途中ではありますが、筋は良いように思います」
「ぁい……」
「大体の実力は把握したので、基礎からしっかり学んでいきましょう。ロイ殿は体力が少ないようですからな」
齢六十を超えているシリウスさんは、呼吸を乱している様子はない。手を差し伸べてくれたので、有り難く掴まり起き上がる。
「魔法抜きであの速さ、シリウスさん反則ですって」
「ほっほっほ。鍛え方が違います故」
「どう鍛えたらこうなるんすか……」
シリウスさんは、今は執事服ではなくラフなシャツとスラックスなのだが、引き締まった身体に筋肉がしっかり付いている。無駄のないしなやかさがある肉体に、男としては憧れてしまう。
「強くなるには目標を立てると良いでしょうな。指標もない状態では、何の為に努力すれば良いか見失うものです」
「目標……」
俺は、ただただ両親に復讐したい一心で生きてきた。けれど、アレクと出逢い視野の狭さを思い知らされた。俺にとって絶対的だった目標は、今や揺らぎつつある。
「シリウスさんも……あるんすか?」
「勿論、ございますよ」
「聞いても良いですか?俺、最近……よく分かんなくなってきてて」
地面に座り込む俺の正面に、目を瞬かせたシリウスさんは腰を下ろした。そして手を俺に向け、指を一本ずつ折り曲げていく。
「私のことを友と仰る主君であった、今は亡きアレク様の父君の為。それに、その愛子であるアレク様達御兄弟の為。あとは──ふむ。ちょっとした復讐心ですな」
「復讐?シリウスさんが?」
復讐なんてものとは無縁そうなシリウスさんの言葉に驚くと、忌々しいと言わんばかりに眉を顰め、額に皺を寄せていた。よほどの恨みがあるらしい。
「若い時に痛い目に遭いまして。次に会う時があれば、迷わず存在ごと抹消させてやろうと心に決めております」
「す、凄いっすね……」
「ええ、まあ。年長者として復讐など愚かなことだと言いたいところではありますが、そうも言ってられないことも世の中にはございます。綺麗事ばかりでは生きていけないというのが、真実でしょう」
シリウスさんの言葉を聞いて、俺は考える。俺は、どうしたいんだろう。魔法が使えるようになった今、正直復讐心は揺らいでいる。アレクが前言った通り、"たったそれだけ"のことの為に、頑張れるのだろうか。
「復讐……したい、奴らがいました」
「いました、なのですか」
「はい。でも、シリウスさんのように抹消させてやりたいとかは思わなくて、ただ彼奴等が拘るものを壊したかったというか……。殺したいほど、憎いわけじゃない」
「それはそれは──甘い、ですな」
「……っ、」
嗚呼、俺は甘いのか。シリウスさんに言われて、納得もしてしまった。俺はどこまでも甘くて、覚悟なんて出来てない。
溜息を吐いたが、正面のシリウスさんは笑っていた。それに少しムッとして責めるような視線を向けると、殊の外優しい瞳が俺を見ていた。
「甘くて結構。貴方はまだ、十五歳という若き芽なのですから」
「成人はしたんすけど……」
「身体はそうかもしれませぬな。社会的責任も、そうでしょう。しかし、圧倒的に経験が足りない。もっと広い視野で、物事を見ることをお勧め致します。失敗もすることでしょう。ですが、それを糧にして前に進むというのが、生きるということです」
「生きる……」
「周りに生かされている今は、まだまだ子供です。いつの日か誰かの為に行動しなければならない時が必ずきます。そうなった時、どうしたいか、どう思われたいかを考えては如何ですかな」
厳しくも温かな言葉に、俺はゆっくり頷いた。
焦っても答えなんて出るわけがない。だって、俺はまだ答えを出す為の材料がないのだから。
「ちゃんと、考えます」
「そうしなさい」
「シリウスさんやアレクに、いつかちゃんと聞いてもらいたいなって、思います。それまで、迷惑掛けます」
「ほっほっほ。迷惑とは思いませんが、しかと承りました。若き芽を育てるのが、年長者の務めですから」
そう言って、シリウスさんは優しく俺の肩にポンと手を置いてくれた。何も持ってない俺を、育ててくれる。その恩に少しでも報いたいと、そう思う。
「さて、そろそろ再開致しますよ」
「はいっ!」
「良い返事です。先ずは体力作りから始めましょうか。共に街を走りますよ」
「ゔ……頑張ります……」
溌剌とした笑みに嫌とは言えず、俺は大人しくシリウスさんを追いかけるように、走り出したのだった。
初日から結構なハイペースではと思う修練を終え、俺は汗だくになったのでシャワーを浴びに自室へと戻った。綺麗さっぱりと汗や汚れを落とした後、新調してもらった服を身に付ける。
(前の服は軒並み、小さくて着れなくなったからな)
アレクによって大量の衣服がクローゼットに納められてしまい、少ないが貯金があるので金は払うと言ったのだが、結果的に笑顔で押し切られた。ただただ養われている現状に、もはや俺はアイツのペットなのではと最近は思っている。
「ロイ、今良いかい?」
「おう」
ノックの後にガチャリと扉が開く。タオルで髪を乾かしている最中だった俺は、椅子に座ったままアレクを迎えた。
「…‥水も滴る、」
「は?」
「いや、何でもないよ。乾かしてあげる」
ふわりと、温い風が髪をくすぐる。あっという間に乾いた髪の毛に、魔法はつくづく便利だなと思った。
「ありがとな。で、どーした」
「午後から魔力トレーニングだけど、体力残ってるか見にきたんだ」
「まあ、既に筋肉痛だけどやれるぞ」
「分かったよ。──ふふっ。シリウスはどうだった?」
俺に向かい合うようにしてベッドに腰掛けたアレクは、魔法でグラスに入った冷たい紅茶を出してくれたので、有り難く受け取る。
「んー……何つーか、頭が上がらねえなと」
「へえ?」
「年齢もだけど、人として……ちゃんとしてるなって。将来歳取った時、ああなりてえなと」
「そこでボクに憧れないのはどうしてかな?」
「お前ちょっとズレてるからな」
「真っ直ぐに否定してきたね。まあ自覚はあるから許してあげる」
「自覚してたのかよ……」
だったら確信犯じゃねえかと言いたいが、言ったところでコイツは変わらないだろうし、俺も俺で慣れてしまったので深くは言わないけれど。
「やっていけそうかい?」
「おう。先ずは基礎ってことで、暫く走り込みとかだけどな」
「安心したよ。シリウスも楽しそうにしていたし」
「見てたのか?」
「全部じゃないけどね。……妬けるね。ロイはボクの弟子なのに、すっかり懐いてるんだもん」
「はあ?」
冗談ではないのか、ほんの少しだがアレクの機嫌が悪い気がした。飄々とした奴なのでそんな感情を抱いたことに驚きつつ、そういえばクレアもこんなようなことを今よりも小さい時に言っていたっけ。
(あん時どうしたっけな……確か、)
記憶を呼び起こして、バッと両手を広げる。キョトンとした顔のアレクに向けて、昔やった通りに口を開いた。
「ほれ、抱きしめてやっから機嫌直せ」
「……は?」
「いいから。ほらよ」
「ちょ……っ、と」
グイッとアレクの腕を引けば、戸惑った様子のアレクが俺の腕の中に倒れ込む。よしよしと頭を撫でれば、身を固くしていた。
(この感じ懐かしいなー。クレアは今ミルディさん一筋だしなぁ)
その後も頭を撫で続けたのだが、苦しそうな声が聞こえたので、腕の力を緩めて顔を覗き込む。
「お前熱あんのか?」
「……そうかもしれない」
「やべえ熱さだぞ。部屋運ぶから寝とけ。昼飯は俺とシリウスさんで適当に食うし、何か必要なら──」
「いや、大丈夫だよ。ちょっとだけ、部屋で休むから昼に声を掛けて。決してシリウスには言わないでね」
「お、おう……?」
シリウスさんはそこまで過保護ではないけれど、アレクがそう言うのならば伝えるのはやめておくことにした。フラフラとした足取りで俺から離れて部屋から出て行ったアレクに、俺はただただ首を傾げるしかなかったのだった。




