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「……もう無理だ、死ぬ」
パタリと地面に倒れ込む俺に、影が差した。
「アハハッ!まだまだだねぇ」
「腹減って死にそう……」
「魔力がきちんと生成されて、消費してる証拠だよ。まあ、生成する量に比べて消費が上回ってるから、すぐにお腹が空くんだろうけどね」
今は裏庭にて、魔力コントロールの練習中である。
魔力覚醒をした日から、早一週間。毎日毎日スパルタなアレクにボロボロにされている。
「それにしても、防御魔法上手くなってきたね」
「容赦ねえ男がいるからな」
「ちゃんと怪我は治してあげてるじゃない」
「そういう問題じゃねえ」
結局、俺の媒介はピアスとなった。左右に大きめの雫型に加工した魔石を嵌め込んだピアスをしている。ピアスの穴を開ける時のアレクの表情といったら、愉快そうで腹立たしかった。
今は、体内の魔力を片方どちらかのピアスに流しながら魔法を発動させるという練習なのだが、それが難しい。うっかり両方のピアスに流してしまい、必要以上の魔力を消費してしまうのだ。
「何故俺はピアスに……」
「難易度高い媒介を選んだからね。身に付ける物っていうのは慣れれば便利だけど、慣れるまでがねー」
「けど、俺が杖って感じもしねえし。手に持つのって邪魔なんだよ」
「そういえば……ロイは身体動かすセンスあるし、格闘技とか覚えても良いかもね。杖が嫌なら剣も嫌でしょ?」
「嫌だな。格闘技、ね……心当たりがないわけじゃねえ、けど」
冒険者ギルドにいる、魔法格闘士。
彼ならば、格闘技術は最高峰だろう。しかし、性格に問題がある。
「おや、不満そうだね」
「シリウス・ゲオグラムっつー人なんだけどよ。何つーか……いや、話したら良い人なんだけど」
「──ゲオグラム?」
「おう。何でか知んねえけど、女嫌いでさ。俺も最初は女と間違われて、いきなり胸倉掴まれて大変──、」
地面に仰向けになりながらアレクの顔を見たら、驚いた表情のまま固まっていた。何かあったかと腕を伸ばしてアレクの足をつつくと、ハッと意識を戻したアレクがしゃがみ込んで俺を見る。
「ロイ、その人は銀髪?」
「お、おう」
「瞳の色は、アーモンド色?」
「……よく知ってんな」
何故、アレクがゲオグラムさんを知ってるのだろうか。アレク一人で出掛ける日もあったし、知り合う機会でもあったのだろうか。
「冒険者ギルドにいるんだね?」
「大体いるな。仕事してんの見たことねえ」
「見たことがない?」
俺が男だと理解した途端、態度を軟化させて良い人になったゲオグラムさんとは何度か食事をした記憶がある。その時に聞いたことがあるのだ。"何故ずっとギルドにいるのかと"。
「詳しくは知らねえけど、ずっと人を探してるんだってさ」
「人、を」
「冒険者ギルドは世界中の情報が集まる。だから、探してる人に関する情報がこないか、ずっと待ってるらしい」
「昔は騎士だったんだぞ」と笑いながら、けれど懐かしむような寂しそうな顔で酒を飲んでいたゲオグラムさんの顔は、頭に焼き付いている。きっと大切な人を探してるんだろう。
アレクは顔を伏せ、深呼吸を一つした。具合でも悪いのかと思い、なけなしの力を振り絞って起き上がり、しゃがみ込むアレクの頭に手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「……参ったなぁ。予想外の展開だ」
「具合悪いなら部屋で寝た方が、」
「いや、違うよ。どうやらボクが思ってるより、ボクは大切にされていたらしいことを知ったのさ」
「……どういうこった」
アレクの頭を撫でていた手を止めると、そのままアレクは俺に倒れ込んできた。仕方ないと受け皿の如く受け止めると、少しだけ肩が震えている。
「アレク?」
「……まさか、時空を超えてくるとは。シリウスだけじゃ無理だ……兄上が絡んでるに違いない」
「は……?兄上って、」
「人違いかどうか確かめないと。──ロイ!」
「お、おう」
「冒険者ギルドに行くよ。着替えて玄関に集合ね!」
「……へいへい」
こうなっては仕方ない。アレクは何かを思い付いたら止まらないのだ。俺に出来ることは、多少のブレーキになることである。
空腹で死にそうになりながら、とりあえず急いで自室へ戻りシャワーを浴びた。着替え終えて部屋にあるチョコレート菓子を引っ掴んで口に咥えつつ階段を降りると、既に準備を終えて待っているアレクがいた。黒いローブを羽織っていて、フードも被っているから顔が見えない。
「んむ、待たせた」
「……ああ、そうか。お腹空いてるよね。ごめんね、急に」
「用が済んだら飯食わせろよ?」
「勿論。魔力避けの指輪は持ったかい?」
「ん。基本外してねえから大丈夫だ」
まだ魔力コントロールが完全ではない為、身体に魔力の膜を纏わせることが出来ない。体質的に魔力の匂いが分かる俺の生活に支障が出ないように、そこそこの魔力を遮断してくれる指輪型魔道具を、一昨日アレクから貰ったのだ。弱い魔力の匂いは分からなくなり便利ではあるが、また指輪が増えた。
「転移で行くよ。さあ、手を」
「はいよ」
本来ならば、転移魔法発動者の身体の何処かに触れていればいいので手を繋ぐ必要性はないらしいが、何となく手を繋ぐのが当たり前になりつつある。
差し出された手に自分の手を重ねると、優しく握り返された。甘い匂いがした瞬間に目を閉じれば、あっという間に冒険者ギルドの裏手に来ていた。
「さあ、行くよっ」
「分かった分かった」
手を繋いだままだったのでサラリと外してから、アレクの後を追う。正面に回り入り口の木製の扉を開けて中へ入った。キョロキョロと見渡しているアレクを放置し、俺は受付カウンターにいるミルディさんへ話し掛ける。
「ミルディさん」
「あら、ロイ。アレク様と依頼でも受けに来たの?」
「んや、野暮用っす。シリウスさん居ます?」
「二階で暇してるわ」
「ありがとう」
冒険者ギルドの二階は、職員やギルドに所属している冒険者の憩いの場だ。言ってしまえば、酒場である。勿論酒だけでなく食事もあるので、依頼帰りに此処で食事を済ませる冒険者も多い。
アレクの手を引っ張り、奥にある階段を登っていく。酒場の入り口である扉へ辿り着き、扉を開けた。
「アレク、カウンター席の一番左に行け」
「……っ、」
「俺は下で待つ。──って、おい。手を離せ」
「ロイも居てくれたら、嬉しいんだけど」
不安げに揺れる瞳に、根負けした。"上目遣いの破壊力はやべえ"と酒場のオヤジ達が昔言っていたが、分かる日が来るとは。男にトキめいてどうする俺。そこで、はたと気付いた。アレクの瞳が、魔法薬で変えられていた緑色の瞳ではなく、元々の薄紫色に戻っていることに。
「〜〜……っ、分かった」
「ありがとう。本当に助かるよ」
「口は出さねえから、思った通りに話してみろ。シリウスさんは、悪い人じゃねえから」
「ああ──よく、知っているさ」
アレクと一緒に、カウンターへ。その最中、アレクは何かの魔法を発動させていた。あの甘い匂いがするなと思いつつ、カウンター席へ。
「──シリウス・ゲオグラム」
アレクがそう口にすると、ピクリとシリウスさんの肩が揺れた。アレクはフードを下ろし、素顔を晒け出す。そして恐る恐る振り返ったシリウスさんの顔が、驚愕に染まった。
「アレクサンドロス様……?」
「やはり、キミだったか」
「そんな、本当に……?」
「こちらの台詞だよ、シリウス。何故キミは、五百年後のこの時代にいるんだい?」
ぽっかりと俺達の空間だけが切り取られたように、周囲の人は俺たちを気にすることなく過ごしている。アレクが発動させた魔法は、結界の一種らしい。
「私は──貴方様の兄君に、命じられまして」
「やっぱり……」
「帰ってくるのに難儀しているだろうから、ちょっと行って助けになれと、その……蹴り飛ばされた先が、此処だったと言いますか……」
あんぐりと、俺は口を開けたまま呆けてしまった。蹴り飛ばされた先が五百年後とか地獄か。
「よくこの時代だと分かったね」
「王妃殿下が夢見の魔法で先を読んでいたようで」
「……つまり、ボクが飛ばされる先が予め視えていたと」
「そうなります」
ゲオグラムさんの視線が、俺に向けられた。少しばかり驚いた顔で、首を傾げる。そして、警戒するような目線に変わった。
(ああ、俺見た目変わったんだったか)
ちゃんと名乗った方がいいだろうかと思案していると、ゲオグラムさんが口を開く。
「"ルクセンブルクの者"が、何故貴方様と共にいるのです」
「へっ!?」
何故、俺があの家の人間だと分かったのだろうか。寧ろ、俺が驚く番である。しかし、アレクが俺の隣に立ち、きちんと説明をしてくれた。
「シリウス、彼はあの家から捨てられた身だ」
「……と、申しますと?」
「魔力覚醒をつい一週間前にしてね。魔無しだと思われて捨てられたんだよ。何なら、キミは彼と既に知り合いだ」
「ゲオグラムさん、俺──ロイです。ロイ・ミズウェルです」
「何と……」
警戒するような視線は、次第に柔らかくなる。良かった、また胸倉を掴まれるかと思った。
「彼に魔法を教えているんだ。時空を超える為に必要な魔石集めに、彼も修行がてら同行させようかと」
「おい、今初めて聞いたなそれ」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてねえよ。俺の繊細な心が震えてるぞどうしてくれる」
確か深海に石はあるしドラゴンがどうのと言っていた気がする。そんな危険な旅に連れて行くつもりなのかと隣の男に目を向ければ、愉快そうに笑っていた。
「大丈夫大丈夫。死なない限りは助けれるから」
「死にかける前提なんだな」
「まあ……嘘は吐きたくないね……」
「そこで苦しそうな顔をするなら、もっと早くから言ってくれ」
せめて心の準備くらいはしておきたい。戦力になるのはまだまだ先だろうけれど、死ぬ可能性は少しでも減らす努力は出来るのだから。
「まあ、とにかく。彼は"あの"ルクセンブルクとは違うよ」
「そうでしたか」
「兄上にボクの補助を頼まれたんだろう?なら、そろそろ"その見た目"、辞めたら?」
「私が働ける場はあるのですか」
「勿論。前ほどじゃないけど、ボク一人では家事にも限界があるからね」
ニッコリ笑ったアレクに、シリウスさんは頷いた。そして、立ち上がったのだが──、
「……まじかよ」
香ばしい珈琲のような匂いがした途端、ゲオグラムさんの見た目が変わった。先程までは、四十代くらいの溌剌としたいかにも冒険者風といった服を着た風貌だったのだが、今は執事服に身を包む、片眼鏡を掛けた人の良さそうな初老の男性に変わっていた。
「うんうん。やっぱりシリウスはこうでないと」
「いやはや、若作りは大変でしたな」
「し、執事……」
「シリウスは、ボクや兄上が幼い頃から支えてくれたんだ。若い時は父上のお抱えの騎士だったし。こう見えて、アトランティルでも指折りの実力者だよ」
「ほっほっほっ。若い者にはまだまだ負けませんよ」
ゲオグラムさんが魔法格闘士だというのは知っていたし、この酒場でその一端を見たこともある。以前、酔っ払いに絡まれた新人冒険者を助けてあげていたのだが、木製のテーブルが砕け散っていたから。中々恐怖を覚えた。
「ロイ、シリウスを屋敷に招きたいんだけど、良いかい?」
「ミズウェル殿、宜しいでしょうか」
「勿論。というより、アレクは俺に格闘技覚えさせる気満々なんだろ?」
「おや。理解が早い弟子だねぇ」
つまり、魔力コントロールの修行の他に、格闘技の修行も始まると。俺は分かる、ゲオグラムさんはアレク同様スパルタな教え方だと。
「いやぁ、シリウスがいれば楽になるね」
「お任せください。アレクサンドロス様やミズウェル殿が快適に過ごせるよう腕を振るわせて頂きます」
「よろしくお願いします、ゲオグラムさん」
「アレクサンドロス様のお弟子さんならば、シリウスで構いませんよ。私もロイ殿とお呼びしても?」
「じゃあ、シリウスさんで。丁寧な扱いに慣れてないんで、ロイでいいっす。名字はその……あんま、呼ばれたくないんで」
ミズウェルという姓は、あの院長だった男と同じだから。この国で名字を変えるのは、養子になるか結婚するか、功績を上げて爵位を手に入れるしかない。何とも、難儀なものである。
(かといって、ルクセンブルクはもっと名乗りたくねえしなぁ……)
肩を落として考え込む俺に、ポンと手が乗せられた。顔を上げると、アレクが心配そうに俺を見ていた。もう大丈夫だと頷くだけで返して、シリウスさんを見る。
(男だけど、シリウスさんはいかにも執事って感じだし、大丈夫だろ。手も震えねえし、いける)
あの一件以来、成人男性に若干苦手意識を持っていたが、初老であるシリウスさんは大丈夫そうだ。俺が笑顔を向ければ、少し思案した様子ではあるが、彼も笑みを返してくれた。
「早速ですが、屋敷へ向かっても?」
「勿論。ロイは他に用はあるかい?」
「腹が減ってるくらいだ」
「なら、帰ったら約束通り作るよ」
冒険者ギルドを出て、転移魔法で帰宅した。空腹の限界だった俺は転移酔いをし倒れ込み、初仕事と言わんばかりにシリウスさんに担がれ、部屋へと運ばれたのだった。




