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アレク視点でお送りします。
「──……ろ」
「んー……」
「──起きろ、アレク」
「んぅ……?」
小鳥達の囀りの中に、自身の名を呼ぶ声が聞こえる。薄らと目を開ければ、カーテンを締め切っているからか薄暗い室内に、ぼんやりと挙動不審な人影が見える。
(綺麗な、魔力だね……)
満月のような、黄金の輝き──魔力が多い体質のボクは、他人の魔力が見える。故に、誰かは分からないがその魔力がしっかり見えた。蜂蜜のようなとろりとした魔力は、まだ安定していないのか零れ落ちそうだ。
「アレク……起きた、か?」
「──キミは、誰だい?」
「っ、!」
眠たい目を擦りながら起き上がり、ボクに話し掛けてきた男性と対峙する。ボクを"アレク"と呼ぶのは限られている。兄上、それから遥か過去に存在した最初の弟子、そして──、
「……もしかして、ロイ?」
「っ、うん」
しょんぼりと眉を八の字に下げ、しゃがみ込んでいる男に手を伸ばす。紺色に近い癖毛の黒髪に指を絡ませて優しく撫でると、より情けない顔になった。体格がしっかりしているが猫のようである。黒豹が懐いたらこんな感じかもしれない。
「俺、昨日の夜……魔力覚醒、したみたいなんだ」
「……そのようだね。随分と大きくなって。痛かったろう?」
「うん。……思ったより痛かった」
身長だけでも15cm位は伸びている。あらゆる関節も痛んだことだろう。瞳も色が濃くなっており、魔力と同じで満月のようで。ただ今は、半泣きなのか少し切れ長になった涼やかな目を潤ませている。
「何で泣きそうなんだい?まだ痛むの?」
「……誰って、言われたから」
ふいっと顔を背けられた。立派な成人男性、何ならそこら辺にいる騎士達のように背も高くなっているのに、ボクに最初気付かれなかったからと拗ねている様は、まだまだ子猫のようだった。大変可愛らしい。
「ふふふっ。機嫌を直してよ。ボクは魔力が目に見えるから、誰か分からなかっただけなんだ」
「……フン」
「ちゃんとロイだって分かったじゃないか」
「そうだけど……」
「ふふふっ。随分と大きくなって、格好良くなったね。師匠であるボクより背が高くなるなんて。もう抱えてあげられないじゃないか」
「かっ……!?」
案外横抱きにして移動するのは楽しかったのになぁと、少しばかり残念だけれど、ワインをがぶ飲みして酔っ払っても運んでくれると考えれば、寧ろ得をした気分である。
顔を背けていたロイは少し頬を染めてボクを見ていて、大きくなってまだ慣れていなく、気恥ずかしいのだろうと微笑ましい気持ちになった。
「おや。機嫌は直ってるね」
「……ゔ」
「さて、起きて着替えるかな。瞑想は今日お休みでいいよ」
「いいのか?」
「下手に魔力を練ると、思いもよらない魔法が発動するかもしれないからね。ミルディ嬢とクレア嬢には、今後も会うことがあるし、打ち明けようか」
「……いいのか?」
「混乱させたくないから、ボクの事情は話さずにロイのことだけを話せば問題ないと思うよ。それでいいかい?」
「ああ。寧ろ、良かった。またお前に迷惑掛けるかと」
心底ホッとしたような表情のロイに、やれやれと頭を撫でてあげる。孤児院の一件以来、少し臆病になっているし、ボクに迷惑を掛けることに罪悪感を感じるようになってしまっている。師匠とは弟子に迷惑を掛けられて当たり前だというのに。
頭を撫でてあげた後、ボクはベッドから降りて立ち上がった。ロイも同じように立ち上がったのだが、目線が上に向く。凡そ10cmくらいは違うなぁとまじまじと見ていると、思いっきり目を逸らされた。
「──へえ?」
「あ、違う、その……慣れなくて、変な感じがして」
「嗚呼、そういうことね。何日か経てば慣れるよ。それよりも、キミは心配することがあるでしょう?」
「ん?何にだ」
「クレア嬢に、ボクと同じように"誰?"って言われちゃうかもよ?」
「あ……」
子どもとは無邪気なものだ。ボクは名前の呼び方と色合いで分かったけれど、クレア嬢がどこまでロイをしっかり認識出来るかは賭けでしかない。
またしょんぼりとしてしまった妹離れ出来ないロイを部屋から追い出し、ボクは着替えを手早く済ませた。昨日までのロイならば気にならなかったが、何となく成長したロイの前で着替える気にはならなかった。
(ボクもまだ見慣れないんだよね。色合いはロイだけれど、顔立ちが──血は水よりも濃いってことかな)
頭に浮かぶのは、ダニエル・ルクセンブルク──ロイの祖先であり、ルクセンブルク家初代当主の顔だった。決して嫌いなわけではない。けれど、兄上に固執する彼とは馬が合わず、苦手意識が強い。
(ボクがまだあの時代にいた頃は、結婚してなかったのに。政略結婚だろうけど、兄上から離れるとは信じられないなぁ)
側から見れば、あの男が兄上に向ける気持ちは親愛ではなく、激情にも勝る恋慕だった。まあ、兄上は一切気付いていない様子だったので、一方的なものだったけれど。
(まあ、一緒に暮らしてれば慣れるよね。ちゃんと見ればロイだし)
着替え終えたので廊下に出たのだが、不安げな顔でロイが待っていた。どうやら追い出したことが問題だったようで、勘違いをさせたようである。
「ロイって可愛い性格してるよね」
「……は?」
「ふふふっ。嫌ったりなんかしてないから安心しなさい。さあ、朝食にしよう。魔法を使って今日は調理するから、隣で見てるといいよ」
「お、おう」
二人並んでキッチンへ向かう。歩きながら魔法で廊下のカーテンを次々と開けていき、春の日差しが塔を暖かくしてくれる。
「まだ朝は少し肌寒いね」
「雨の日とか普通に冬かって気温だしな」
「もう少しで初夏になるけど、こんなに寒かったっけ?」
「んゃ、今年は特に寒い。北部に異常が起きてるのかもって、前にギルドで噂になってたな」
(北部に異常……寒冷地に住む魔物が増えるね。南下してきたら、アトランティルは直撃か。国境警備隊だけで対処出来ればいいけど)
もしかすると、ギルドに所属した自分にも依頼が来るかもしれない。そうなれば、ロイも連れて行くことになる。ならば、魔力コントロールの習得を急がせなければ。
「クレア嬢達が帰った後、早速魔力コントロールの修行といこうか。早く馴染ませたいでしょ?」
「まあ、そうだな。前みたいなモヤモヤはないけど、身体が軽すぎるっつーか、変な感じはある」
「見た感じ、過剰に魔力が作られてるわけじゃないから、魔力の保有量が多いんだよ。器が大きいんだね」
「成る程な。つーか、腹減って死にそう」
「いつもより多めに作ってあげるよ。きっと食べる量も変わっただろうから」
より多く魔力の素となる血を作り出す為に、きっと身体が栄養を欲するだろう。魔力量が多い者は軒並み大食いだ。アトランティルは高魔力持ちが多いので、飲食店の一人前の量がそれなりに多い。貴族の令嬢達も例外ではなく、大食いははしたないなんて考えがない。
保冷庫からベーコンや卵、野菜を取り出す。ざっと並べて手を翳せば、フライパンやまな板の上に踊るようにして食材が動き出す。
「……凄えな」
「調理工程をしっかり頭でイメージしながら、魔法を使うんだ。イメージが足りてないと、普通に失敗するね。イメージ通りの動きにしかならないから、そもそも料理が苦手な人は難しいかも」
魔法で透明な自分を作り出すようなもので、使用者が料理下手の場合、魔法を使えど美味しい料理は作れない。最初の頃は、まず料理を覚えるのが大変だった。
「媒介に魔力を通してるんだよな?」
「そうだね。しっかりイメージしながら、魔力を媒介へ送るんだ」
「何か……すんげえ甘ったるい匂いすんな」
「甘い匂い?」
はて、甘い匂いのする調味料など使った記憶がない。調理台にも蜂蜜などは置いていないし、砂糖も使っていないというのに。
「料理じゃなく、お前からする。魔法使った時に」
「……成る程」
ボクが覚醒して視覚的能力が優れたのと同じように、ロイは嗅覚が発達したのかもしれない。魔力に匂いがあったとは、新しい発見である。
「嫌な匂いかい?」
「んや……嫌じゃねえけど、何かこう……」
言い辛そうにしているので、試しに隣にいるロイに向けて、髪を揺らす程度の風を放った。すると、まるで蕩けたような甘い表情に変わり、見ているこっちが赤くなる。
(……まるで、愛しい者を見るかのような顔をしてるね)
「甘いな、やっぱり」
「そ、そう。推測だけど、ボクは覚醒して視覚能力が上がったから。ロイは嗅覚が発達したんだね」
「んー……良いことなのか?」
「外に出たら魔法が沢山あって、最初は酔うかもね。けれど、戦闘になった時は大いに役立つさ。発動した途端匂いで分かるからね」
「成る程なぁ。これ止めらんねえのか?」
「魔力で薄い膜を身体に纏わせれば、多少は和らぐかも。魔力コントロールを覚えれば、出来るようになるよ」
何より、出来るようになってもらわないと困る。魔法を使う度にあんな表情をされたら、気恥ずかしい。少年だった見た目が青年に変わるだけで、こうも破壊力が備わるものなのだろうか。街中でロイに微笑まれたら、女性達が卒倒しそうなものだ。
ロイはしないと言っていたが、いずれはロイとて恋人を作ったり結婚をするだろう。魅力的な旦那様を持つ妻というのは、苦労が多いと兄上の伴侶であった王妃もぼやいていた記憶がある。
──ガチャ、とキッチンの扉が開いた音がして、ロイと共に振り返る。こちらを見てあんぐりと口を開けているクレア嬢とミルディ嬢が目に入り、ロイと顔を見合わせた。
「おはようございます、クレア嬢、ミルディ嬢」
「お、おはようございます。クレア、ミルディさん」
先手を打って此方から挨拶したが、はたして彼女達はロイに気付けるのだろうか。無言で見守っていると、ミルディさんの手を離して、クレア嬢がロイへ近付いた。
「ロイ、お兄ちゃん……?」
「あ、ああ。その、魔力が急に覚醒して──」
次の瞬間、クレア嬢がロイに飛び付いた。慌てて抱き締めて支えているロイは、困ったようにオロオロとしている。
「お兄ちゃんっ!漸く使えるようになったのねっ」
「えっ」
「胸のモヤモヤがないねっ!あぁ、よかったーっ」
本当に喜んでいるクレア嬢に、ボクもロイも言葉を失う。何故、クレア嬢はロイの体質を知っていたのだろうか。しかし、ボク達の疑問は、ミルディ嬢の言葉によって解決した。
「クレアは"目"が良いのよ。聞けば赤子の頃から見えてたみたいなの」
「ロイお兄ちゃん、ずっとモヤモヤだったのっ!アレクさんは、すんごい眩しいっ」
「おや。オニーサンは眩しいんだね」
他人から見た時の自分がどんな魔力かは分からなかったが、ただただ眩しいらしい。魔力量が多いからかもしれない。
ロイは嫌われずに済んだと思い安心したのか、クレア嬢を抱っこし直して満面の笑みを浮かべていた。無防備な笑みに、これから先が思いやられる。──アレは、目立つ。
「それにしても、随分と男前になったわね」
「……そうすか?悪くはないとは思ったけど、そこまでじゃないすか?アレクと並んだら霞みますって」
「あらぁ?ですってよ、アレク様」
「様なんてやめて下さい、ミルディ嬢」
彼女には薄々、ボクが何者かがバレつつある。昨夜ロイとクレア嬢が談話スペースに移動した後、それとなく話したからだ。
(まさかミルディ嬢がリスベッドの師匠とは──。あの子の名前を出されて、動揺してしまったことに気付かれたか)
数百年を生きる、エルフ族。病に強く、魔法にも長けている。繁殖能力が低い故に数は多くないが、充分過ぎるほど優れた種族だ。
まだ容姿を魔法薬で変えているから確信は得られていないのだろうが、恐らく高貴な生まれというのはすっかりバレているらしい。「所作が綺麗なのは気の所為かしら?」と、牽制されたのだから。
「ロイは充分格好良くなったよ。男らしくて羨ましい限りさ」
「そうなのか?お前みたいに整ってる方が良いだろ」
「女性にギリギリ間違われるから、よく家族に女装させられた苦い記憶が蘇ったよ」
「……似合いそうだな」
「朝食抜きにしてもいいよ?」
「すみませんでした。女装なんて似合わないほど大変男らしくて格好良いです師匠」
食べ物のことになると慌てふためく弟子に笑いながら、嬉しそうにロイに抱きつくクレア嬢の頭を撫でてあげ、出来上がった朝食を食堂へ運んだのだった。今日も朝から賑やかで、良い一日になりそうだった。




