伯爵の書斎
茶殻≒雫視点です。
「幻術が持つのは一刻でス。それに[雫]は持ち出せませン」
ルチェの囁きに頷いた。
武器は苦無があるから問題はない。
城の祈りの間から、手に入れていた女中の衣装に着替えて離れる。
行き先は伯爵の書斎。
辺境騎士の次男ユホ・ミロウが魔獣戦での生き残り傭兵を牢獄から連れ出したが、尋問内容は伯爵に届けられていた形跡がある。
リリには悪いが、ユホ隊が魔獣を倒してくれれば楽が出来るのだが……。
☆
「上がった物から、食堂に持っていって。」
「ルル様のはタマネギ抜きで、配膳間違えたらムチ打ちものよ!」
昼食が近い為か厨房は忙しい。
だが、だからこそ見慣れぬ女中が歩いていても怪しまれない。
「貴女も配膳手伝ってよ!」
「いえ、若奥様から葡萄酒を部屋にと頼まれたっす。」
「若奥様?あぁ、あの伯爵様の愛人ね。部屋で酒ばかり飲んで良い身分よね。」
アルベロ伯爵は正妻が病没した後、幾人かの愛人を囲っている。
その中でも5年前に男児を産んだ愛人を伯爵は若奥様と呼ばせていた。
家柄は下級騎士の娘なので、ギリギリ貴族と言えなくもないが、元々は女中として城に奉公していたので城内での評判は芳しくない。
だからか城内の女中でも新入りや卑しい身分の女中が担当としてあてがわれる。
スラム訛りの抜けない見知らぬ女中が酒器と酒を運んでも疑問は持たれない。
「ガラス器、割らないでよ。貴女の給金じゃ半年以上タダ働きになるから。」
確かにドワーフ製の輸入物ガラス器なら金貨2枚はするだろう。
日当が銅貨10枚程度の下級女中には厳しい金額だ。
「はい、気をつけるっす」
私は怯えた態度を見せながら、葡萄酒一式を盆に受け取った。
☆☆☆
ガラス器の威光か、城の上階に向かう私には誰も声をかけない。
城にいる伯爵家の血族は昼食の為、食堂に集合している。
本来なら若奥様と呼ばれる女も食堂に顔を出す必要があるが、しばらく前からは部屋で食事を取る事が普通になってしまったらしい。
酒量も増えているらしいから、心身共に病んでいるのだろう。
「若奥様、葡萄酒をお持ちしたっす。」
顔色の悪い、だが美しい女がベッドで寝ている。
ある程度の掃除はされているが、部屋は荒れていた。
夜に伯爵と戯れ、朝から飲んでいる時は大抵この時間は寝ているという。
ここまでは金を握らせた下級女中の情報どおりだ。
☆
さて、ここからが本番。
伯爵らが昼食を終える前に書斎から、魔獣の資料を探し持ち出さねばならない。
若奥様の部屋を出て、伯爵の書斎に入る。
廊下には警備兵がいたが、無駄話をしていて警戒心はまるでない。
このフロアの巡回をサボり、街の娼館の噂話をしていた。
部屋の中央にある高価そうな机の上には複数の鉱山の収支報告書やパライバ商会からの融資条件などが書かれた書類が散らかって置いてある。
どうやら伯爵家の経済状況は急速に悪化しているらしい。
アルベロ伯爵領は農業生産力が低く、鉱山が収入の柱になっている。
塩や穀物を輸入しなければ領地は成り立たたない。
しかし伯爵は女に、うつつを抜かし更に軍備を増強している放漫経営だ。
そこに今回の魔獣騒動で、稼ぎ頭の鉱山が閉鎖。
パライバ商会は付け入る気配を隠さないし、近日に災いの炎が上がる事になるだろう。
だが伯爵領が、どうなろうと関係ない。
魔獣の正体と資料を手に入れたら去るだけなのだから。
いくつかの引き出しを開けると、牢番の下級騎士からの報告書があった。
中身に目を通す。
当たりだ。
傭兵[蜻蛉の団]が鉱山で交戦した魔獣の特徴や戦闘の様子の証言が纏められている。
絵まで添えられた物だ。
念の為、もう一度目を通す。
と、
背後から飛んできた投げ短剣を3本、振り向いて躱しつつ逆手に持った苦無で弾く。
すると、覆面をした女が短剣を抜き構え、踏み込んできた。
腕は悪くないが遅い。
短剣を跳ね飛ばし、相手の心の臓に苦無を刺し込む。
女は目を見開き声も立てずに絶命した。
どこぞの商会の密偵だろう。
伯爵領という甘いパイをパライバ商会に独占で喰わせるのを良しとしない連中が内情を探らせに来ている。
「本当に?音なんかしたか?」
「坊ちゃんが、食事を抜け出してきたのかも知れん。前にも書斎に入られ、酷く叱責された。」
扉の外で声がした。
[竜跳躍](使1残5)
私は窓を開け飛び出す。
20メートルぐらい落下したが、問題なく着地した。
人間だったら、こうはいかない。
「誰か死んでるぞ!」
上で警備兵が叫ぶ声がした。
返り血の付いた女中服から、用意して隠してあったフード付き下級神官服に着替え祈りの間に向かう。
ルチェの幻術が切れる前に戻れそうだ。
潜入と遭遇戦。
ドラマやアニメなどだと、いきなり銃撃戦が始まり、警察や警備があとから来る。
お約束がやって見たかったんです。
はい。
私の黒歴史がまた1ページ。




