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一流の使い手なら剣を交えただけでお互いの心がわかるらしい

作者: やまおか

 オレが生まれた町には有名な観光スポットもなければこの町出身の有名人もいない。ちょっとだけ珍しいものといえば剣道道場。他の町から来たクラスメイトに話すとちょっとだけ興味を引くことができる。

 さらに、その道場に小学校から通っていたというと感心した目で見てもらえる。だから、高校で剣道部に入ったんだね、と。

 

 授業が終わると教室を出て下駄箱で靴を履き替える。校門に向かう連中と軽く手を振って別れて体育館裏に向かう。

 あまり日当たりがいいといえない場所に築30年は超えている古臭い建物が見えた。

 

 立て付けの悪い戸を開くと視界が開けると、板張りの床が光を弾いて光っている。毎日の掃除の成果であった。

 

 男子更衣室に向かうと制服から袴に着替える。紺の剣道着に袖を通し、腰紐を締めて道場に入る。

 

「おー、先輩、今日も早いっスね~」

 

 軽い調子で入ってきた女子生徒は一年の後輩である里中であった。白の剣道着に着替えた彼女と練習を始める。

 

 川添高校剣道部の部員は三人。

 夏は胴着が蒸れて暑くて、冬は足元が冷たくて、そして小手がくさい。はっきり言って人気のない部活であった。

 

「ねぇ、坂口せんぱーい。そろそろ教えてくださいよ、水原先輩のこと」

 

「あいつはな、ときどきこういう時期があるんだよ。そのうち来るだろ」

 

 素振りを終えると、腰から胴と防具をつけていき面手ぬぐいを巻いていく。面をかぶり道場の中央で向き合った。

 足裏で床を擦り、竹刀を打ち合わせる。

 里中にわざと打たせるようにして、振り上げた手首に向けて竹刀を振り下ろした。

 

 正位置にもどり互いに礼をする。

 

「あー、もう、なんで先輩に勝てないんすか!」

 

 面をとった里中が詰め寄る。後ろにしばった髪がぴょんぴょんと跳ねている。

 

「しょうがないだろ。これでもいちおう小学校から続けてんだぞ」

 

「それでも悔しいんスよ! 水原先輩みたいにかっこよく一本とりたいんスよ!」

 

「おまえは思い切りもいいし伸びしろもある。もう少ししたら大会もあるから、そこで思いっきりやってみろ」

 

 夕陽が差し込む頃練習を終えて、掃除を済ませると剣道場を後にした。

 

 

 昼休み、トイレから教室に戻る途中見知った顔を見つけた。

 

「よう、水原。今日は道場に来れそうか?」

 

 若干視線を上げる。

 小学校のころから伸び続け、背の高さは180cmに届いているかもしれない。

 

 端正な顔立ちと長身も相まって、こいつのいくところには周囲の視線が集まる。特に女子からのものが多い。切れ長の瞳に髪を後ろでひとくくりにした姿は若侍を彷彿とさせる。

 本人が知ってか知らずか『川添高の侍』なんていう異名がつけられている。

 

 これでスカートを履いていなければ、まちがいなく涼しげなイケメンだったろう。

 

「すまない、まだだ」

 

 特に表情を変えずに手短に返事を済ませる。用事はこれで終わりばかりに立ち去る。

 出会ったときからこの表情の変化のなさは相変わらずだった。付き合いは小学校からだったが、腹を抱えてわらったり顔を真っ赤にして怒っているところは見たことがない。

 

 部活を終えた帰り道、街灯が照らす道を歩いていると竹刀を打ち合う音が耳に届いた。

 『水原道場』という看板をかかげた剣道道場だった。

 中をのぞくと胴着姿の男たちが激しく打ち合っている。中学まではここに混じって竹刀を振っていた。

 

「お、坂口くん」

 

 中にいた水原のおじさんが人好きのする笑顔をむけてくる。

 

「ひさしぶりにやってくか?」

 

「いえ、ちょっと覗きにきただけで」

 

 小学校の頃から慣れ親しんだ場所だったが、部活に入ってからは足が遠のいていた。

 

「高校では剣道部に入ったらしいな」

 

「はい、水原も一緒です」

 

 水原の家は剣道の道場を開いていた。ここに初めて足を踏み入れたのは小学校5年のときだった。

 そのとき以来、水原のおじさんのことは『師匠』と呼んでいる。

 

「久しぶりに道場で稽古をしたいといってきたのだけれど、あの子は高校ではちゃんとやれているかな?」

 

「えぇ、まあ……」

 

 言葉を濁すと師匠は苦笑いを浮かべる。

 そこに頭を竹刀で打ち抜く小気味よい音が響いた。

 

 道場に通っているひとの中には有段者のおじさんや警察のひともいる。その中にひとり女の子が混じっていた。水原だった。

 

「ミヤコちゃんはまた強くなったな。おじさんの体力じゃちょっとついていけなそうだ。誰か変わってくれ」

 

 息を切らせながら額の汗を手ぬぐいでふき取るおじさんとは対照的に水原は涼しい顔のままだった。

 大会でも負け知らず。

 中学で剣道部がなかったせいで無名だったが、高校の大会で勝ち上がっていく彼女は一躍有名になった。

 

「我が娘ながらこんなに強くなるとは思わなかったよ」


「オレにとってはずっと勝てない相手のままですよ」

 

 子供のころ、近所に剣道道場があると聞いて興味を持った。道場をのぞいているオレに気づいた師匠から声をかけられ竹刀を握らせてもらった。年上ばかりの中で同じ小学生の水原を見つけ、そして―――

 

「あいつにはコテンパンにされたなぁ。初心者相手に容赦なさすぎでしょ」

 

「はっはっは、他の子たちはすぐにあきらめるのにキミはへこたれなかったな」

 

 向こうは稽古のつもりだったようだが、こっちは女子に手加減されていることに悔しくて意地になっていた。どこから打ち込んでも返されて、しまいには竹刀を二本持ち出した。

 次こそはと続けているうちにだんだんと剣道がおもしろくなってきた。最近では、ようやく五本に一本とれるようになった。

 

「だけど、あいつももっと剣道の強豪校にいけたんじゃないですか?」

 

「あの子が行きたいっていったものでね」

 

 それで同じ高校に進むことなったと。あいつも近場の高校が良かったってことなんだろう。

 

 

 道場とは打って変わってゆるい空気の中、この日も後輩と二人で練習を続ける。

 切り返しを30本打ち込み終えて、面をとって休憩していた。

 

「ところで、先輩、ずっと気になってたんですけどあそこに書いてあるのって何ですか? 如、一、禅、剣?」

 

 里中が指差す先には壁にかけられた額縁があった。達筆な筆跡で書かれた文字が収められている。

 

「右から読むんだよ。『剣禅一如(けんぜんいちにょ)』だ。剣道を極めた境地が、禅の境地と同じってことらしい」

 

「へー……、どゆこと?」

 

「雑念がなくなって余計なことを考えなくなるってことだよ。剣を極めると打ち合っている相手の心もわかるらしい。まあ、オレの師匠の受け売りだけどな」

 

 水原の道場にも同じ文字が掲げられていたおかげで覚えていたことだった。

 

「なるほど、じゃあわたしの考えていることも当ててみてくださいよ~」

 

「どうせ、水原のことだろ」

 

「あたりでーす。すっごーい、先輩もう剣道極めたんじゃないですか」

 

 それから一週間後、水原が道場に姿を現した。

 

「あっ、水原せんぱ~い」

 

 里中が笑顔で駆け寄る。

 一時期は水原目当てで女子部員が大量に入ったことがあった。しかし、臭い重い痛いに耐え切れず半数も残らなかった。めくるめく高校生活を『メン』とか『ドウ』とか『コテ』で始めたいと思うやつは少ないのだろう。


 唯一残ったのが里中であった。きっかけは不純であるが、こいつなりに剣道に楽しさを感じたのだろう。

 

「待ってましたよ~。坂口先輩ったら二人きりなのをいいことに、毎日ぱんぱんぱん容赦なくどついてくるんですから」

 

「……そうなのか?」

 

 ぴくりと片眉を上げながらこちらを見ている。切れ長の瞳が余計に細められて迫力がすごい。

 

「変な風に言うな。二人だけだと練習メニューも組めなかったからな。じゃあ、切り返しから始めるぞ」

 

 一人やすんで掛かり手と元立ちを交代していく。

 水原と間合いを保ちながら大きく振りかぶる。足裁きと呼吸を意識しながら肩を使って大きく打ち込んでいく。

 水原相手だとテンションも上がり、徐々に竹刀を振るスピードを上がっていく。力のこもった打ち込みを続けるが彼女の体をぶれることはない。

 

 面の奥に見える水原の顔はじっとこちらを見たまま変化はない。こいつの強みは安定した足裁きによるスピードの緩急もそうだが、一番はその集中力だろう。

 

 次は掛かり稽古にうつろうとしたところで、水原がこちらを見ていた。

 

「地稽古をしないか?」

 

 地稽古では互いに対等に攻め合う。最近は里中に合わせて、掛かり手と元立ちのある掛かり稽古や打ち込み稽古ばかりであった

 

「お、いいっスね。久しぶりに二人の打ち合い見てみたいっス!」

 

「そうだな、じゃあやるか。修行の成果とやらをみせてもらうからな」

 

 この二週間水原が姿を見せなかったのは、他の道場で出稽古をしていたせいだった。いまどき修行の旅なんて、こいつは生まれてくる時代を間違えたのかもしれない。

 

 竹刀を左手にさげたまま、道場の中央で礼を交わす。

 右手で竹刀で抜き取り両手で構える。遠くで野球部のかけ声や、ブラスバンド部の演奏の音が聞こえる。

 

 構えた竹刀の先を軽く触れさせ合ったのを合図に道場内の空気が変わった。

 一足一刀の間合いの中に意識が絞り込まれていく。一定の距離を保ちながら向こうから動く気配はない。

 お互いに打ち合うことなく前後左右に動く。常に右足を前に出しながらいつでも打ち込める姿勢を維持する。

 

 つま先に体重をのせながら、かかとを紙一枚分浮かせる。

 

「―――っ!」

 

 瞬間、水原の体が急激に迫る。

 右足を斜め前に出し円を描くように体を移動させ、 初撃を回避する。既に水原は次の攻撃に移っている。


 その機械的なほどに正確、なおかつ無理をしない動きにまるで自分が作業を強いられているような感覚に陥る。

 そこで焦ったら負けるということをいやというほど重い知らされていた。

 

 打ち合い、弾き、距離をとる。

 送り足、開き足、歩み足、継ぎ足。

 

 激しい動きに面の中で熱気がこもり息が乱れる。

 目の前の面の奥をのぞく。陰の奥の瞳には冬の湖のように何も映っていない。

 

剣禅一如(けんぜんいちにょ)

 

 すべての雑念を取り払った先にある境地。彼女はそこに至ったのか。初めて出会ったあの日から、どれだけ追いかけてもさらに引き離される。

 

 早くて、重い。水原の打ち込みを受けるたびに呼吸が乱れる。しかし、こちらから仕掛けなければ勝ちを拾えない。

 

 何度目かの打ち合いで、水原がそれまでより大きく振りかぶるのが見えた。

 

 袴の下で相手に気づかれないように左足を擦るように前に出す。

 意識を水原に集中する。

 この竹刀を相手に届かせることだけを考えた。

 水原の肩が下がり息を吐き出した瞬間、左足を右足ににひきつけた勢いのまま右足を大きく前に踏み出した。

 

 盗み足と言われる技。隙間にねじ込んだと思った。

 

 しかし、振り下ろした竹刀は彼女に当たることはなかった。横にずれた水原は左手から竹刀を引き抜くように右手を振り下ろす。

 振りぬいた竹刀を引き戻そうと踏ん張るが、そのせいで脚を動かせなくなった。

 

「めえぇぇぇぇんんっ!」

 

 頭に衝撃。右脇を通りぬけた水原は、右手一本で竹刀を振り下ろした姿勢で残心を保つ。

 

「おおおおっ、いまのなんスか! めっちゃかっこいい!」

 

「はぁ、小手抜き片手打ち……。いつのまにそんな技覚えたんだ」

 

 一本をとった水原は特に誇るわけでもなく、こちらをじっと見ている。

 

「どうした、まだいけるだろ? 勝ち逃げとか勘弁しろてくれよな」

 

「……なんでもない。伝わらないものだな。まだ足りないか」

 

 勝ったのに不満そうだった。

 水原の態度を不思議に思いながら、もう一度竹刀を打ち合わせる。

 

 

 稽古が終わると面を置いて床に倒れこむ。

 

「わー、先輩、ボロボロっスね~」

 

 里中から渡された空気缶を口に当てる。

 視線を横にむけると、オレをこうした張本人は涼しい顔で座っている。

 

 オレが回復するまでの間、水原が里中に掛かり稽古をつけ悪い癖を指摘していく。ようやく、これで三人での練習に戻れると思った。

 

 

 次の日、また水原は来なくなった。

 

「くそ、あの剣道バカが。どんだけだよ」

 

「いやぁ、あなたがそれをいいますか。坂口先輩は何も気づかないんですか?」

 

 あいつの考えなどわかるわけもないが、それでも昨日の稽古で得るべきところはあったはずだった。

 

「そうだよな、昨日の稽古での反省しないとな。何か気づいたことあったなら教えてくれよ」

 

「いやあ、こういうのは自分で気づかないといけないやつっスからね~」

 

 答えをはっきりさせないまま里中は口元に笑みをうかべていた。こいつはたまにこういうところがある。水原とオレが話していると、少し離れた場所でおもしろそうに眺めていた。

 

「ところで坂口先輩は小中学校と剣道をつづけてますけど何か理由とかあるんですか? 水原先輩はおうちが道場だからっていうのでなんとなくわかりますけど~」

 

「別に大した理由じゃないぞ」

 

「いいんですよ~。仇をうつために剣の修行をしているとか、全国大会で生き別れの弟に会うためとか、そんなのはぜんぜん期待してないッスから~」

 

 口元に手をあててにやにや笑いを隠しながら催促してくる。まあいいかと休憩時間の話題を提供することにした。

 

 思い出すのは、道場の扉から覗いた水原の姿だった。大人たちに交じって小学生がひとりいることが気になった。別のクラスの同学年だということを後から知った。

 

「道場で大人たちをなぎ倒していく水原を見てな、これだって思ったんだ。オレにとってのあいつはヒーローだったんだよ」

 

 子供の頃を思い出しながらしんみりした気分で語っていると、冷たい目線を向けられた。

 

「……それ、本人にいったらダメですからね」

 

「なんでだよ、おまえだって水原にあこがれて剣道部に入ったんだろ?」

 

 わけがわからずにいると、ため息が返ってきた。

 

「本当に竹刀を握っている水原先輩のことしか見てないんですね。もうちょっと別のことにも目を向けたほうがいいですよ。もう高校2年なんですし、17歳ですし~」

 

「おまえはうちのかーちゃんと同じこというな。だけどな、これでも勉強の成績はいいんだからな」

 

 この前の定期テストでも平均点以上をとったことを告げる。しかし、後輩は不満顔であった。これ以上何があるだろうかと考えたところで思いついたことがあった。

 

「そうか、悪い。おまえの気持ちに気がつけなかった」

 

「えっ……いやいやいや! まさかの超展開!? わたしとしては見ているだけでよかったのに……」

 

 口調は茶化そうとしているが、視線はあちこちに向いて落ち着かない。耳まで真っ赤になっている。

 

「団体戦、やりたいよな?」

 

「団体戦、そう、それ! ……って、へっ?」

 

「まずは人数集めだよな。部活勧誘の時期は過ぎちまったから大会でいい成績とって注目集めて、それから文化祭も近いしそこでも人を呼べるようにするか。お前も興味もってそうなやつに声かけてみてくれよな」

 

 道場にいたころも大会はあったが個人戦だけだった。部活に入って、先輩達と初めて団体戦に参加させてもらった。

 先鋒から始まり大将までつないでいく。応援をしながら仲間の戦いを見守り、勝てばみんなで喜び、負ければ悔しがる。

 その楽しさを後輩にも教えてやりたい。新しい目標ができて燃えてきた。

 

 なあ、そうだろ里中!

 

「……先輩、剣を交えることで心が伝わるんですよね」

 

 にっこりと笑う彼女の手には素振り用の重い木刀が握られている。

 

「おい、待て」

 

「硬くて重いほうがよく伝わると思うんスよね~」

  

 重いものが風を切る音が顔の横をかすめた。

 

「殺す気か! 素振りするときはちゃんとまわりを確認しろって教えただろ!」

 

「知ってます。部活中のケガは事故で処理されるらしいですよ~」


 木刀を片手に近寄ってくる里中に背を向けて走り出す。

 

剣禅一女(けんぜんいちにょ)

 

 剣も禅も一人の女にはかなわないってことかもしれない。

 

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