第90話
俺の名前は本田走一郎!!
今ちょっといろいろと大変なことになっているぜ!!
具体的には玉椿町に行くのを家族から禁止されちまったぜ!!
そう!!
「走一郎!! 夏っちゃんから聞いたぞ!! お前、若い娘さんに対してなんてことをするんだ!!」
「あれは……だって、お兄ちゃんがやれって言ったから」
「走ちゃん。最近夜中に外出しているみたいだけれど、悪い友達でもできたの? お母さん、走ちゃんをそんな子にそんな風に育てた覚えはないわ」
「……お母さん」
「やはり家業とはいきなり就職させるのは無理があったんだ。走一郎、今からでも定時制の高校に」
「いやだよ!! 僕は――僕はおじいちゃんが創業して、お父さんが発展させた会社を愛しているんだ!! 僕も、おじいちゃんやお父さんみたいな立派な経営者になる!! そのためには勉強よりも現場のことを知らなくちゃいけないんだ!!」
俺が世界で一番尊敬する人も言っていた!!
現場こそが一番!! そこで働く社員こそ宝って!!
だからこそ、俺も現場上がりでのし上がっていく!! そのつもりで高校は夜学にしてお父さんの会社に就職したんだ!!
もちろん、俺のことを七光りだの、ぼんぼんだの、苦労知らずだの、格好だけだの言う奴がいるのも知っている!!
けど、そんな奴らを黙らせることができる本物の職人になってみせる!!
その気持ちだけは嘘偽りない事実なんだ!!
なのに――!!
「お父さんも、お母さんも、どうしてわかってくれないの!! あれは夏っちゃんが悪かったのに!!」
「人の胸を揉んでおいて開き直るんじゃない!!」
「そうよ走一郎!! いったい誰なの、貴方にそんなことを教えた人は!!」
「そいつが私たちと夏っちゃんの家に謝りに来ない限り、お前を家から出すことはできん!! とにかく、ちょっと反省しなさい!!」
「……そんな!!」
という訳で、俺は父さんと母さんから外出禁止を言い渡されたのだった!!
ちくしょう!! なんてこった!! けど、親に言われたら仕方ない!!
だって俺はまだ未成年なんだもの――!!
◇ ◇ ◇ ◇
「という訳で、走一郎くんの家に土下座するべく鈴鹿までやって来た俺であった」
「そして、なぜかそれにどうこうさせられる、かんけいのないアタシであった」
くっそ死んだ目で俺を見る廸子。
隣を歩きながら、じと目を俺に向けてくる廸子。
その瞳の名を軽蔑と呼ぶのを俺は知っている。
まぁ、社会人生活がそこそこあるとね。女性の視線には敏感になるよね。
いやぁ俺もまぁ、会社人してた頃は、そんな女性社員の視線にびくびくとしていたよ。一度こじらせるとえらいことなるからね、女子社員との関係ってさ。
なのでまぁ――それと比べりゃ幼馴染とのあれこれなんて軽いもの。
ぶっちゃけ胸の一つ揉んだくらいで問題ないだろう。
そう思っていたらこのザマである。
いやほんと、走一郎くんのところも、彼の幼馴染の所も、揃っておかんむりというから申し訳ない。申し訳ないったら申し訳ない。
「俺と廸子の間なら、もう、しょうがないにゃぁ、もみもみで済むのになぁ。なぁ、廸子さんや」
「しょうがないにゃぁ、ぼきぼきの間違いじゃないか?」
「骨折る系ですか? 関節技までにしといてくれませんか? 愛情の裏返しが肉体言語って、コミュニケーションとして破綻してません?」
「そもそも破綻したコミュニケーションをしてきたのはお前――」
なんて話し込んでいると、俺の胸に人が飛び込んできた。
おっとっと。
いかんいかんと慌てて抱き留める。
体勢を崩して倒れる前に掴まえたその体は、なんというか華奢には違いないのだけれど、妙にがっちりとしていた。
どういえばいいのか。
枯れた大木とでもいうのだろうか。
鍛えられた体幹に、しっかりとした骨格、そして、老いて衰えはしたけれども、往年の逞しさを彷彿とさせるシルエット。
そんな爺さまが、俺の腕の中でふがっと目を覚ましたように声を上げる。
「おぉう、すまんすまん。歩いたまま寝てたみたいだ。迷惑をおかけした」
「おいおい爺さん、夢遊病は夜だけにしときな。昼間は車も人も通るんだから」
「陽介。お前、ぶつかっといてそういうこと言うかね」
じとりと軽蔑の視線を向けてくる廸子さん。
まぁよそ見してたのは事実だけれど、ぶつかったのはお互いさまというか。
むしろ、俺がぶつかったおかげで事故にならずにすんだみたいな。
痴ほう老人てのは厄介だからね。
大事になる前にで済んでよかったじゃないの。
側溝やら水路に落ちて大けがしてからじゃ遅いってもんですよ。
なんて言い訳がましく思っていると――。
「いやいや、寝てたのはワシの方じゃからのう」
なんともはや驚いたことに助け船を向こうから出してくれた。
こいつはいい爺さま。
いやぁ、こんな都会にも、菩薩のような心を持った爺様はいるんだねぇ。
思わずほっこりとした気分になってしまいましたよ。
いや、なんか言われるかなと、ちょっと身構えてたのに肩透かしだ。
ほらなと俺はすぐさま爺様の方に身をひるがえす。
「ほれほれ、爺様もそういってることだし、いいってことじゃないのよ。いやー、話が分かるねえ、寛大だねえ。よっ、シャッチョサン」
「いやはや、よしてくれやい」
「お前のそういうとこほんとどうかと思うぞ。ほんとすみません、こんなバカで。根はいいやつなんですよ」
「いやそれは分かっとるよ。でないと咄嗟に手なんて出んじゃろ。今のご時世、ぶつかった相手を思いやれる人間の方が少ない。お前さん、言動はともかく行いは立派じゃよ。男ってのはそうでなくっちゃ」
おぉっと。
なんだなんだこの爺さん。
いきなり俺を持ち上げてきてくれるじゃないのよ。
そんなおだてても、俺はニートだからなにも出せないのよ。
そして、そんな男でも、職にはあぶれるのよ。
もっと小狡い奴の方が、立身出世するのが今の世の中なのよ。
けど、僕、このおじいちゃんスコ。
「今時にしては珍しく話の分かる爺さんじゃないのよ。廸子のところのクソ爺とはえれえ違いだ。いやはや、やっぱり鈴鹿と玉椿じゃ民度が違うね」
「人の爺さん引き合いに出してディスるな。まぁ、ろくでもないのは認めるけど」
「認めるんかい」
「玉椿? あんた、玉椿からこっちに来たのかい?」
「おっと、お爺さん、玉椿町をご存じ?」
ご存じもご存じよとにっこり笑う爺さん。
なにやら深い縁があるらしい。
不意に漏れ出た笑顔に、こちらまでころりとやられる。
立ち話もなんだし、あそこの公園でちょっとどうじゃと誘われる。
まぁ、お家に伺う時間まで、まだあるし問題ないか。
廸子に確認を取ると、俺は爺さんと共に公園へと向かった。
「玉椿はのう、若い頃に世話になってのう」
「へぇ、戦争かなんかで?」
「腕のいい職人が居てなぁ。特殊なろう付けさせるなら県内ではこの人にしか頼めんちゅう、それくらいの人だったんだわ。それでな、何度も頭を下げにその人のところに行ったもんさ」
「ろう付けねえ」
「あー、玉椿って結構町工場あったもんな。そういや、陽介んとこも、爺さんが小さな工場みたいなのしてなかったっけ?」
「だいぶ前の話だぞ。俺が小学生の頃に畳んだ奴じゃん。玉椿鉄細工」
はっと爺さんが目を見開く。
それまでぼやぼやとしていた彼の瞳に生気が満ちる。
かと思えば、ほろりほろりとなぜだか目の端から涙をこぼすではないか。
なんだこれ。
なに、なんのフラグ。
そう思っていると、いきなり爺さんは俺の手を握りしめてきた。
「おぉっ!! 言われてみればそっくりじゃ!! 若いころの徳治郎さんにそっくりじゃよアンタ!!」
「……徳治郎爺ちゃん?」
「そういや陽介、徳治郎さんとは隔世遺伝でめっちゃ似てるって言われてたよな」
ってまさか――。
「懐かしいのう。徳治郎さん。仕事はできるが女好きの酒好きで、金はいいからいい店連れてけ、遊ばないといい仕事はできねえと、面白いことを言う人じゃった」
「……まちがいねえ、その口ぶりは爺ちゃんだ」
「おまえのいえはじいちゃんのころからどうしようもなかったのな」
「ワシが会社を大きくするときも手伝ってくれてな。その時、役員にならないかって誘ったんじゃが――ワシはこの小さい工場を守るのが仕事だからなと、玉椿からうごかなかったんじゃよ。いやぁ、後にも先にも、ワシが腹の底から尊敬している職人は、徳治郎さんだけじゃ」
いやぁ、そこまで言われると、照れますなぁ。
どこの誰かは分からないおじいちゃんですけれど。
そこまで自分の爺をほめてくれると嬉しいもんですな。
ぶっちゃけ、徳治郎爺ちゃんは好きだったしね。
煙草のせいで若くして死んじゃったけど。
そっか。
今も爺ちゃんの知り合いとか居るんだな。
しかもこんな鈴鹿なんて遠い土地で。
なんか、それはそれで、ちょっと嬉しいな。
ほうと気の抜けた顔をする爺様。
はにかんだ彼の顔からは、どこか眠たげというか危なげな感じが取れていた。
どうやら、昔話により、何か思い煩いでも解消したのだろう。
「いやはや、連日の心労もふっとびましたわ。玉椿に悩まされ、玉椿に癒される。本当に縁の深い土地じゃて」
「玉椿に煩わされる?」
「なんかあったんですか?」
「いや実は――孫が玉椿に悪い友達を作ったらしくてのう。何をたぶらかされたか、取引先の娘さんの胸を強引に揉みしだいて、ちょっと問題に」
「申し訳ございませんでしたァ!!」
走一郎くんのお爺さんだこれ!!
今から謝りに行く家のお爺さんだこれ!!
そして事実は小説より奇なりな話だこれ!!
すまん徳治郎爺ちゃん。
いい話をいい話のままにすることができなくて。
俺、あんたと違って、やっぱできの悪い孫だよ。
五体投地で爺に土下座する。
ほぁとまた驚愕の顔をする爺さんを盗み見つつ、俺は、ほんと、人の縁って奴は不思議だなと感じるのだった。そして、この不思議のまま、なかったことにできないかなと、今更思うのであった。
うん。
胸揉みしだけは流石にダメだよね。
知ってた。
けど、本当に走一郎くんがやるなんて思わなかったんだから――。
しかたないじゃん許してちょうだい!!




