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第84話

 有馬温泉旅行を経て一つ屋根の下を経験した俺と廸子。

 前から幼馴染として仲の良かった俺たちだが、あの旅行をきっかけにしてさらに二人の仲は深まることになった。


 そう、よりなんでも素直に言い合える、理想の幼馴染に俺たちは近づいたのだ。


 理想の、幼馴染に――。


「廸子!! なんかこう昔あったよな!! ファックスで局部をコピーしてツイッターで炎上するとかそういう風な奴!!」


「やらせねーよ!!」


 やるとは言ってないじゃん。

 あったよなって言っただけじゃん。


 ちょっと勇み足でズボン脱いでいるけれど、別にそれはそういう感じのフリなだけであって、別にそんなウェーイ系のツイッター情弱ムーブかます感じの流れじゃなかったじゃん。


 もう、廸子ちゃんてば勇み足なんだから。

 俺がそんなババアにばれたら半殺しにされるようなことすると思ってるの。


 心外だぞ。


 ずるり。

 俺はずぼんをつり上げると股間のファスナーを締めた。


 ふぅ、やれやれ。

 もう少しで危ない所だったな。


「所で廸子ちゃん、これも一時期コンビニで流行ったよね、アイスコーナーに寝そべったりする奴」


「さっきから不謹慎ネタばっかり振ってくるけど、こっち真面目に仕事してるんだから、そういうのやめてくれる。普通に迷惑なんだけれど」


 いや。

 まぁ、さ。

 本気でやるつもりはなかったよ。


 なんていうかさ、こう上着をはだけて胸板を出して、ふぅという感じで。

 それでちょっとちょっと陽介、何見せてるんだよ、やめろよ――ってくらいで終わらせようと思っていましたよ。


 違いますよ、違います。

 断じて、そういうお店に迷惑かける系のネタをやりたいんじゃありません。


 もう、なんでそういう先入観で俺のやろうとすることを見るかな。

 廸子ちゃんてばさ、もうちょっと幼馴染の俺のことを信じてくれたっていいと思うんだよ。


 ぷんすこ。


「あとさ、あれだよな、アルバイト店員がホットスナックの調理失敗して、なんかその映像が監視カメラに映っててとか、そういうのもよくあるアレだよな」


 なんかこれまでの話の流れから、こういうおふざけはなし方向。

 あきらめて、今日は世間話でもして帰ろうとした矢先。


 廸子がすごい目を見開いてこちらを見てきた。

 ちょっと、まつげ大丈夫なのって言いたくなるくらいに、目を大きく見開いて俺の方を見てきた。


 なんでなんでなんで。

 なんでそんな顔する廸子さん。


 顔をうつむけて表情がうかがえないようにする廸子。

 陽介と、小さな声で俺を呼ぶ。


 抜き差しならないその雰囲気に、これは何か俺は踏んではいけない地雷みたいなものを踏んじまったんだろうなと、ちょっとばかり後悔した。


 けれどもその地雷の心当たりがない。

 いったい、俺は何を踏んでしまったというのだろうか。


「バックヤードの映像が世界の衝撃映像で流れるのは確かによくある」


「だ、だよね。けどまぁ、あれってほら、アメリカとかそういうちょっとおおらかなところがある国がメインだから。日本じゃちょっとなかなか見ないよな」


「……まぁ、基本的にはな」


 基本的ってなに。

 基本的にはなってなんなの。


 まるで、時たまにはそういう例外があるみたいな感じの言い草じゃないの。


 え、なに、もしかして廸子ってば、なんかストレスたまってあんな感じの事しちゃってる感じの店員さんなの。


 ホットスナックに唾吐きかけたりとか。

 わざと落としたのを戻したりとか。

 そういうことをする感じの奴なの。


 違うよね。

 俺の知ってる廸ちゃんは、そういう曲がったこと大嫌いな純真娘だよね。

 むしろ、そういうの見かけたら注意する、正義感の権化だよね。


 三十年の月日が、もしかして彼女を変えてしまったというのか。


 だとしたら、俺は、俺は。

 有馬温泉のことで分かり合えたと思ったのに。

 ちっとも、廸子のことを思ってあげられていなかった。

 理解してあげていられなかった。


 なんて薄情な人間なんだ。

 こんな奴は、幼馴染失格だ。


「廸子ぉ!!」


「ひゃいっ!?」


 思わず俺は叫んでいた。

 廸子の抱えている心の闇に気づいてあげられなかったことが、悔しくって、情けなくって。そして今からでも彼女を救ってあげることが俺ならできるんじゃないかと思って。気が付けばその手を握っていた。


 廸子。

 いつも、どんな時でも、一生懸命だった廸子。


 思えば昔からあまり器用な方じゃなかった。

 調理実習とかやると、割と高確率で食べられない料理とか作って、ちょっと周りから顰蹙買う系女子だった。


 もちろん、それでも俺にとっては廸子は大切な幼馴染だったさ。

 彼女が造った料理を、俺が一手に引き受けたこともあったさ。


 たしかにまずかったけれど、彼女はいつだって一生懸命だった。

 作る料理には愛情をこめていたし、誰かのためにモノを作るという行為に、喜びを感じている、そんなけなげな女の子だったんだ。


 そんな彼女の料理は、確かに世間一般的に言えばおいしくないのかもしれない。

 けれども、幼馴染のけなげな思いがこもった料理は俺に効くんだ。


 幼馴染の想いは最高の調味料なのだ。


 だから俺は――。


 だから、俺は――。


「廸子!! やっちまったもんはしょうがねえ!! お前が踏んずけたり、唾を吐きかけたり、なんかいろいろしちまったホットスナックを俺によこせ!!」


「え、いや、いやいや、何言ってんの陽介!?」


「お前にも何か事情があったんだろう。お前がそんなことをわざとするはずがない。だったら、その悲しい想いと共に、俺がそれを食べてやる。受け止めてやる。心配するな――長い間お前のクソまず料理を食べてきたおかげで、俺の胃袋と舌はいつだって、お前の料理を受け止める用意ができている!!」


「誰の料理がクソまずじゃボケー!!」


 砂ぎもっていうけど、ほんとに砂食ってるようなのは初めてでした。

 豚レバーってこんなゴムみたいな味する食べ物でしたっけ。

 チャーハン。これはコメを炒めたものの間違いでは。


 数々の天才料理人廸子の料理を受け止めてきた俺ならば、彼女がやらかしちまったホットスナックくらい受け止められる。

 きっと悪意なんてそこにはないのだ、ちょっとやらかしちまっただけなのだ。

 だったら、この幼馴染の俺が、それを含めて受け止めてやる。


 さぁばっちこい。

 そんな覚悟でカウンターの廸子に向かう俺。


 すると――。


「あー、あのな。ちょっとな、その、サービスの一環として、どうかなーと思って練習していたんだけれどな」


 カウンターの横からのっそりと出てきた廸子。

 その手に握りしめているのは、ドリップコーヒーのカップ。

 エスプレッソ、しっかりとした泡が出る奴を選んだ彼女は、それが出来上がると、ちょいなちょいなとマドラーでそこをかきまわした。


 いや、描きまわした。


 コーヒーの茶色と牛乳の白色が混ざり合い、複雑な波紋を描いているそこにマドラーが精細な線を引いていく。そして、その幾条もの線はやがて、綺麗な幾何学模様となって、俺の目の前に差し出された。


 それこそは、ほのかな茶色をしたハートマーク。

 かわいらしい、そして、飲むのが惜しくなるようなラテアート。


 そういえば廸子、美術の成績はよかったんだよな――。


「ってことを、ここ最近勉強してたんだけど、これって不謹慎かな?」


「……不謹慎に決まっているだろう!! ハートマークだなんて!! そんなエッチなマークを描いてどういうつもりなんですか廸子ちゃん!!」


「いや、エッチっていうか。というか、エッチか、ハートマークって?」


「おじいちゃんおばあちゃんを勘違いさせちゃだめでしょ!! まったく、もっとこう、無難なラテアート描けるようになるまでやっちゃダメなんだからね!!」


 と言う訳でこれは没収。

 俺は廸子のハートを一息で飲み干した。


 ――ふぅ。


 よかった。これで、廸子の秘密は守られたし、彼女のハートも俺のものだ。

 幼馴染が訳の分からぬ輩に取られなくて本当に良かった。


「あ、陽介。飲んだからには、ちゃんとドリンク代払ってくれよな」


「え、このハート、有料なんですか?」


「まぁ、練習中だから、気持ちと技術料はまけといてやるよ」

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