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第82話

「つう訳でだ。九十九の面倒を見てから俺は玉椿町に帰るから。お前らはゆっくり神戸観光でもして帰りな」


「……爺ちゃん。アタシの目がないからって酒飲んだりするなよ」


「九十九ちゃん。このクソ爺が酒飲もうとしたら白い目で見てあげてね。それが本人のためだから。人との約束を守れないとか、人間のクズだから」


「人との、約束を、守れない」


 はい、お約束のように俺の方をみんな見る奴。

 俺が誠一郎さんに釘を刺したら、こうなることはだいたい分かっておりましたよ。えぇ、分かっておりました。


 けど、言わなくちゃいけない時ってあるじゃない。

 今がその時じゃない。


 なのにこの針のむしろである。

 コミュニケーションって難しいや。


「まぁ、陽介の話はさておいて。事後処理は誠一郎さんと俺に任せときな。なに、神戸にゃ知り合いは多いんだ。なんとでも根回しはしてやる」


「頼むわ、松田ちゃん。あと、姉貴から引継いでもいいよっていう経営者についても連絡来てるから、その人との交渉もよろしく。あ、くれぐれも九十九ちゃんの負担にならないようにお願いね」


「人使いが荒いなぁ。まぁ、いいけどさ。乗りかかった船だし」


 着々と大人たちが子供の未来を固めていく。

 本来であれば、彼女のやりたいようにしてあげるのが大切なのかもしれないが、その分別ができるほど九十九ちゃんはまだ社会経験がない。

 それを判断するのは、彼女がちゃんと成長して判断ができるようになってからでも遅くない。それまで彼女を守ってあげることこそ、僕たち周りの大人の義務だ。


 女将服から着替えて、年相応の女の子らしい服装になった九十九ちゃん。

 と言っても、一点モノという感じのドレスである。

 流石お嬢さまである。


 そんな衣服の裾をつまみ上げて、ぺこりとお辞儀をする。

 所作までなんと優雅なことか。

 ほんと、これ、神原さん所のご親戚かとちょっと不思議な気分になった。


 そんな訳で。

 誠一郎さん、松田ちゃん、九十九ちゃん。

 あと、誠一郎さんの兄弟とその縁者を残して有馬温泉を去る俺たち。


 いつまでも手を振る九十九ちゃんに、また、玉椿町で会おうなと廸子は叫んだ。

 再会はそう遠くないだろうに。

 これだからまったく。


 さて――。


「神戸観光!! 温泉は堪能したし、あとは神戸観光だな!! 陽介、なんかいいとこ知ってるか!?」


「ぶっちゃけ神戸って、そこまで観光するところないんだよね。山沿いに洋館とか立ってるけど、そういうの行ってみたい?」


「行ってみたい!! なにそれ、超気になるんだけど!!」


「……うぅん、この見た目で少女趣味ってそれはそれですごいギャップ萌えなのかもしれない」


 うきうきとした顔で俺に言ってくる廸子。

 どうやら、まだまだ俺たちも、玉椿町に帰るまで時間がかかりそうだ。


 なんだったらもう一泊。

 今度は、身内のいないホテルなんかで、ゆっくりしていくのもいいかもしれない。けどまぁ――。


「ほら!! 早くしようぜ!! 明日は普通に出勤なんだからさ!!」


「……あぁ、はいはい。分かったからそう慌てなさんな。つっても、俺も有馬温泉以外、あんまり詳しくないから調べながらな」


「なんだよ。都会住みの癖に情けないなぁ」


 なんだい、もっと遊んどけってか。

 贅沢なことを言う幼馴染だな。


 どうせパチスロと競馬くらいしか都会では学びませんでしたよ。

 えぇ、そりゃどうもすみませんでした。


 けどさ。


「そういう手探り感がデートっぽくていいだろ」


「……だな!!」


 納得してくれたらしい廸子の手を握り返す。

 ホテルから有馬温泉駅へと至る坂を二人、肩を並べてゆっくりと降りていく。冷たい風が吹く有馬の山の中に、二人の足音が甲高く響く。

 握る手のぬくもりを懐炉代わりにして、俺と廸子は駅へと一緒に移動した。


 後ろから追いかけて来る者はいない。

 まったく、本当に気の利く爺さんだこと。

 俺が廸子なら、ビールの一本くらい、飲んでも許してやりそうだ。


「帰るまでがデートだからな陽介」


「へいへい、分かっておりますよ、お嬢様」


「あとなんか美味しいもの食べたい。神戸名物って、なんかこうあるの?」


「都会っぽい食べ物ってことなら、バーキンとか二郎系とかいろいろ知ってるけど。女の子の食べるもんじゃないなぁ」


「そうそう、女の子として扱いたまえよ、陽介くん。お姫様のように丁寧に扱のうじゃ、おほほ」


「なんのキャラだってぇの」


 お姫様願望とかあるのと鼻で笑ってやると、うるせえと手を強く握る廸子。


 言われなくても、いつも扱っているだろう。

 セクハラしてもちゃんとフォローしてるじゃんか。

 とか、思いつつもプランを練る。


 洋館めぐって、洋食食べて、時間があればルミナリエ見て。そんな感じかね。

 あぁ、なんだか本当に、普通にデートっぽいな、これ。


「やっぱ、もう一泊してくか、廸子」


「だから、明日は出勤日だってえの」


「適当に嘘ついとけば大丈夫だって。終電なくなったとかさ。俺が盛って大変だったとかさ。そういうの」


「なんでアタシがそんな言い訳をしなくちゃならないんだよ!!」


 やっぱダメか。


 じゃぁ、まぁ、できる範囲で。

 このデートを楽しもう。


 有馬温泉駅のゲートをくぐる。


 振り返れば、湯煙は立ち上らないが、静謐な森林広がる有馬の町。


 また、来たいものだ。

 今度はそう――俺たちの子供を連れて。家族で。


◇ ◇ ◇ ◇


「……で? 日付をまたいで家に帰ってきたのは、電車に乗り遅れたからと?」


「はい、すみません。俺としたことが、乗り継ぎ案内のアプリの更新を怠っておりまして。見事に終電になってしまいました」


「しんぱいしてたんだよ、よーちゃん」


「そうだぞ陽介。お前、いくらたきつけたからって、本気でセッ……したんじゃないかって、俺ら気が気でなかったんだから」


「困るわねぇ、そんな家族になんの相談もなしにセッ……されたら」


「家族にセッの同意を求める必要あります!?」


「おかーさん、セッ……ってなーいー?」


「ほら、ちぃちゃんに悪影響!! やめようよ、そういうの!!」


 けどまぁ、気持ちはわかるよ。

 終電だからね。ほんともう、最後の電車にぎりぎり走りこんで、どうにかなったけれども、もう少しで本当にもう一泊の可能性があったからね。


 いやはや、なんば土産を買いたいとか言い出して、廸子が駅から降りてうろつきだしたときには肝が冷えたよ。直通が出ていたから助かったけれどさ。


 まぁ、本当。

 大変な旅だった。

 この大変さ、説明しようとすると、またしんどい――。


「悪いけれど、土産話はまた今度ということで。廸子の奴がまだ自動車で寝てるから、起こしてちょっと移動させてくる」


「ふむ。まぁ、廸ちゃんは、明日早出だからな。仕方ない、今日のところはそれで見逃してやろう。しかし、覚悟しておけよ」


 大丈夫。


 びっくりするほど何もなかったから。


 もう本当に、男として情けないくらいに、何もないふしだら旅行だったから。

 ほんと、なんだったんだこの旅行ってくらいのもんである。


 だから何も心配しなくていい。


 俺はババアに背中を向けると堂々と玄関を抜けて、前に停めてある軽自動車の助手席のドアを開けた。

 もうすっかりと、廸子専用のベッドと化しているそいつの上で、肩をゆすって幼馴染の彼女を起こす。


「おい、ほら、着いたぞ廸子。おーきーろー」


「んー、ついたぁー? なんじー?」


「12時ちょっと過ぎ。ほれ、立ちなはれ」


「んー、だめっぽい。足に力が入らないや」


 足に力が入らないやって。

 おい。


 完全に眠たいだけやろがい。

 お前、ちょっと数時間前まで、難波の街を歩きまわっとったじゃろがい。

 その元気はいったいどこにいったというのか。


 いや、そこで使い果たしたのか。


 まったく。

 仕方ないなと彼女を抱えて俺は軽自動車の助手席から体を出す。扉を閉めて、そのまま廸子の家の玄関へ。


 玄関口の灯りのボタンを手探りで探す。

 明るくなった通路に靴を脱いで上がると、そのまま廸子の部屋へ――。


「ほら、着いたぞ」


「……んー、ベッドー」


「どこまで甘えるんだよ。それくらい自分でしろよな」


 と言いつつ、帰るまでがデートと言ったのは俺である。

 相当おつかれのご様子の廸子さんに、あれこれ言ってやるのは酷かもしれない。


 むぅんと、何も言わずに黙りこくった彼女に、俺はため息を吐きかけると、仕方ないなとベッドまでその体を運ぶのだった。


 昔から変わらないベッド。

 スプリングのよく聞いた、薄い黄色のシーツがかかったそれの上に、彼女を乗せる。足元から布団を引き寄せて、廸子にかけるとその顔に近づく。


「じゃぁな。明日は早出なんだから。忘れずにちゃんと起きろよ」


「わかってるよぉ」


「よし、それじゃ、また明日――」


「陽介」


 急に首元に手を回されたかと思うと、かがんだままの俺の体を引き寄せられる。

 顔が近づいて、ゆっくりと、鼻先が交差する。


 唇に温かい感触があって、それから、しばらくして離れた。


 にへへ、と、笑うのは、幼馴染。


「今日のデートのエスコート代。これで許してくれよな」


「……なに、やってんだよ、もう、馬鹿」


 最後の最後で不意打ちとか、卑怯なんじゃないか。


 お前ね。

 お前はそれで寝れるかもしれないけれど、こっちは男よ。

 唇の柔らかさとか、お前の肌のにおいとか、いろいろと想像して、今夜は悶々しちゃうの間違いないじゃないのよ。


 悶々しちゃうじゃないのよ。


 まったく、なんちゅーことをしてくれるのだと、身を離した俺を、ちょっと寂しそうに見る廸子。


「嬉しくなかった?」


 そう、問う彼女に、俺は。


「眠れなくなるほどうれしいから、勘弁してくれって言ってんだよ!!」


 隣の家に聞こえるのもはばからず、大声で叫んで、大胆な幼馴染を叱った。

 なお、この夜の出来事を、深くセクハラ家族から追及されたのは、言うまでもないだろう。


 もう、まったく。


 旅行ってのはさ、人を惑わす媚薬だね。


 けど、まぁ、それくらいでもないと、俺らみたいな奥手の幼馴染に、効果はないのかもしれないな。


 唇に残る廸子のぬくもりと残り香。

 それを感じながら、俺もまた自分の部屋に向かうのだった。


 寝れる気はあまりしない。


 明日、起きれるかな。

 廸子と顔を合わせられるかな。

 そんなしょうもないことを思って、俺はちょっと不安になった。


 まぁ、会うんだけれどね。


【第二部了】

 

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