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第80話

「という訳で。怒涛の有馬温泉旅行編に幕が降りることになった訳ですが」


 その後、まぁ、いろいろとありましたよ。


 本当にいろいろと。


 まず、九十九ちゃんについて。


 廸子の奴に説得されたがそれでもあきらめきれない彼女に、引導を渡したのは廸子の爺さんこと誠一郎さんだった。

 彼は、一族の長兄の役目とばかりに、末の娘の九十九ちゃんに言い聞かせた。


「九十九。お前は今、家族を失って自棄になっている。ホテルという自分の居場所を失うことに恐怖している。ただそれだけだ。安心しろ、悪いようにはしない。あの親父はクソ野郎だったが、俺たちは兄弟同士憎しみあってるわけじゃねえ。それこそ廸子が言った通り、俺のところでお前を預かったっていいんだ」


「けど、それでは、炭泉閣が」


「そこは信頼できる人間にお前が成人するまで預ける。お前がちゃんと学校を出て、それでも女将をやりたいと思ったなら、その時返してもらえばいい」


 任せた相手が渋るようならと不安そうに尋ねる九十九ちゃん。

 そんな彼女に、俺たちを誰だと思ってやがるんだと、ドヤ顔で肩を並べる埒外ども。どいつもこいつも、人の一人や二人くらいぶっ飛ばしてますという感じの、アクション洋画大作に出てきそうなやつらが、肩組んで微笑めばそりゃ納得。


 誠一郎さんの言葉を受けて、九十九ちゃんはようやく、いろいろなことをあきらめたらしかった。


「やはり、私に女将はまだ務まらなかったということですね」


「いろいろ勉強しろ。それからでも自分の未来を決めるのは遅くない。それまでは俺たちが全力でお前を守ってやる。兄妹だからな」


「……誠一郎兄さま。みんな」


 とにもかくにも、ろくでなしの親父のせいでさんざんにかき乱された三津谷兄妹の絆は、これによりいったんの終息を得たのだった。


 うわんと泣きべそをかいて兄たちに抱き着く九十九ちゃん。


 年相応。

 それまでの気張った態度はどこへやら、彼女は子供らしい表情になっていた。


 それくらいがちょうどいいと思うよ。

 そして、ホテルのスタッフもそんな気持ちだったのだろう。

 いつの間にか屋上に集まって来ていた彼らも、目元を涙で拭って、若すぎる女将の決断を受け止めたのだった。


 さて、これで、ホテルの件については終わり。


 とはいえ、他にもいろいろと問題は残っている。

 そう、廸子の家のお家騒動以外にも。


 たとえば――。


「すまんな陽介。ずっとお前のことをだましていて」


「工藤ちゃん、いや、松田ちゃん」


 松田ちゃんのことである。

 こっそりと、身分を隠して、俺に近づいてきた松田ちゃん。


 九十九ちゃんに頼まれて、俺がこの炭泉閣の後継ぎとして問題ないか、そんな情報を彼はずっと流していたのだ。


 だが、不思議と、怒りの感情は沸いてこなかった。

 やはり玉椿町での思い出が尾を引いているのだろう。

 けれども許す言葉も出てこない。


 どうしていいかわからず、俺と松田ちゃんは、しばらく黙ったまま向かい合った。


 先に沈黙を破ったのは松田ちゃんの方だった。

 彼は白い帽子を脱ぐと、それを胸に当てて述懐するように俺に語り始めた。


「……俺はさ、こういう仕事をしていることもあって、人間の後ろ暗い部分を見てくることが多かった。だいたい、調査対象はくずばっかり。まぁ、今回もそんな相手かなと思って、ちょっと腐っていた部分もあったさ」


「松田ちゃん。マジで、探偵なのね」


「マジ以外のなんだってのよ」


 探偵物語にあこがれている痛い三十代。

 いや、ワンチャン、それと同じ感性を持っている三十代。

 なんにしても、探偵の衣装にしてはそれ目立ちすぎってもんですよ。なんなの、白スーツって、逆に目立つよそんなの着たのが町中を歩いていたらさぁ。


 探偵なのにそういうところは分からないらしい。

 まぁ、いいけどね。そういう抜けているところ、俺は好きだよ。


 で、なんだっていうのさと、俺はちょっとそっけない素振りで彼に尋ねた。


「お前と初めて会った時、電撃が走ったね。なんていうかさ、思ったんだ。世の中に、こんなレベルのクズがいてもいいのかなって。これ、許されるレベルのクズなのかなって。社会的にいない方が、いい感じのクズなんじゃないのかなってさ」


「よし、松田ちゃん。吐いた唾飲むなよ。そして、その台詞、松田ちゃんにだけは言われたくなかったぜ」


「いや待て、早まるな陽介。この話には続きがある」


「続きがあるからってなんだってんだー!! あげて落とす、落としてあげるは話し方のテクニックだけれど、落とされたことに変わりはない!! そのダメージで、俺は死ねる!! 豆腐メンタルを舐めてもらっちゃ困りますけんのう!!」


 もう松田ちゃんとは絶交。絶交よ。

 これだけ気の合う友達は、久しく会ったことがないと思ったけれど、それも全部演技だったのね。俺に近づいて信頼を勝ち取るための演技だったというのね。


 だとしたら、もうアタイ、何も信じられない。

 松田ちゃんのこと、親友だって思っていたのに、何もアタイ信じられない。


 そんな芝居がかった感じで彼からそっぽを向いた俺だったが――。


 次の言葉で思わず彼の方を俺は振り返っていた。


「けどよう。付き合っていくうちにさ、お前が確かにどうしようもないクズなんだけれど、ただのクズじゃなくってさ。なんとかして、まともになろうとしている、そういうクズだって、そう気がついちまったんだよな」


「……松田ちゃん」


「自分のことをクズだって開き直ることって簡単だよな。俺もさ、こんな仕事していていいのかって、人の闇を暴く権利が俺みたいな奴にあるのかって思いながら、結局変わることができなかったクズの中のクズだよ。だからさ、お前がそういうの諦めないで、いい方向へいい方向へ、ちょっとずつでも進んでいこうってしているのがさ、なんか見ていてまぶしくってさ」


「……そんなことねえよ。俺なんて」


「いや、さっきの啖呵見事だったぜ。陽介。お前、今はそんなだけれどさ、きっと誰かのためになら、熱くなれる男なんだよ。俺みたいな日陰者と違って、お前はまっとうな人間だよ。ダメ人間だけれど、心の性根は真っ直ぐなんだよ」


 だから、誠一郎さんに迫られて、クライアントの情報をげろっちまったと、情けない感じに頭を掻く松田ちゃん。


 それは探偵として恥ずべき行いだったのだろう。

 きっと彼も葛藤した末でのことだっただろう。


 廸子の爺さんが怖いにしても、いくらでも逃げようがあった。

 それでも、答えたのは、俺のことを認めていたから――。


 そこまで言われると、なんかむず痒い気がしないでもないな。もうすっかりと、俺の心は松田ちゃんを許しきっていた。

 

 いやいやそれほどでもなんて、言って頭を掻く俺。


「そして、そのちょっとおだてりゃすぐ調子に乗るところも、ほっとけないんだよなぁ……」


「え? なんか言った?」


「いや、別に。とにかく、お前はいいやつだよ。陽介。確かにニートかもしれないが、胸を張れよ。仕事のできるクズより、仕事のできない優しい奴の方が、俺はよっぽど社会のためになると思うぜ」


 どうなんだろうね。

 まっ、そこのところは、後世の人がきっと決めてくれるだろう。


 なんにしても。

 これで、俺と松田ちゃんの間にあったいざこざもまた解消された。


 差し出された、松田ちゃんの手を握り返して俺たちは、お互いの感情を確かめ合う。力強い手の感覚から、お互いに信頼を感じ取ると、俺たちはそれを離した。


 どうやら、友情はまだ、もうちょっとだけ続くみたいだ。


 さて。

 そんないざこざがあった訳だが。

 目下、一番やっかいないざこざに俺は直面している。


 そう――。


「陽介ぇ!! なぁ、陽介ぇ!! ご飯も食べたし、お風呂も入ったし、あとはもう寝るだけだな陽介ぇ!!」


「そうだね」


「えっちなことするのかぁ!? なぁ、えっちなことするのかぁ!? ダメだぞ、そういう旅行じゃないから!! そういう不純な旅行じゃないんだからなぁ!! わかってんのかぁ!!」


「わかってる!! わかってるから、胸元開けた状態で近づくなよっぱらい!!」


 はいこれ。


 酔いどれ廸子ちゃんなのでございました。


 はーもう。

 昔から、酔うと絡み酒になるのは知っている。

 知ってるけれど、知人がいないからって大変なことになってる。


 こいつは性質が悪い奴だぞ。


 これ、本当に、なんかまずいことになっちゃうんじゃないのか。


「陽介。心配だったら、わしらの部屋で廸子預かるぜ?」


「とかいいつつデバガメしに来てんじゃねえ爺!! 安心しろ、健全旅行だから!! ただのちょっとした言葉のスキンシップだから!!」


「あーあ、ついに俺もひ孫持っちゃう歳になったか」


「ならねえから!! 全力でならさないから!!」


 有馬温泉の夜は、長くなりそうであった。

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