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第77話

「さて、ことのきっかけは先ほど申した通りです。当ホテルを長らく経営してきた、有馬温泉一の好色男。炭泉閣オーナー三津谷鉄幹が、天寿を全うしたのが始まり」


「最後まで服上死なんだからほんと嫌になる親父だよ、まったく」


「誠一郎さん。それ、要らない情報」


「幾多の離婚と結婚を繰り返し、多くの血縁者を作り上げた鉄幹父さまでしたが、後継者には恵まれませんでした。兄さまは出奔、次兄の新太兄さまは六十歳にして脳卒中で先にこの世を去りました。他、多くの離縁した子供たちや、私生児がおりましたが、すでに家庭と仕事を持っており、父の後を継ぎたいという者は誰もいなかったのです」


「半分本当で、半分嘘。親父が若い娘が好きで、とっかえひっかえ結婚と離婚を繰り返したもんだからよう、兄弟一同、誰があんなクソ親父なんかのために働いてやるかとムキになったんだよ。これで結構、兄弟間の仲はいいのよ。親父憎しで」


「いやだなぁ、そんな親子・兄弟関係」


 けどまぁ、そりゃキレるよな。


 若い奥さんがいいから今の奥さんと別れるわで、すぱっと離婚なんてされたらたまったもんじゃない。子供の方も、母親の方も、次の日からどう生活していけばいいのやらってもんである。

 まぁ、金持ちっぽいから、そこら辺の保障はするだろうけどさ――保障すりいいってもんでもなかろうめ。


 人間としてどうかしている。


 昭和とか大正とか、古い時代だからどうにかなったが、今でもやったら大問題。

 ほんと、よくもまぁニュースとかにならなかったなという、あまりに酷い三津谷一族の実情に、俺はドン引きした。


「けど、やっぱ俺がそれで呼ばれる理由がわからないんだけれど?」


「……陽介。こいつは簡単なトリックだぜ。よく言うだろう。将を射んとすればばまずは馬からって」


「なに。それじゃ、俺はなんかのダシに使われたってこと」


「その通り。廸子を引っ張り出してくるためのダシにな」


 女将の顔が険しくなる。

 おそらく、松田ちゃんと誠一郎さんの推理に間違いはないのだろう。

 俺は廸子を説得するために、ここ、炭泉閣に呼び出された。

 

 どうしてか。

 ちょっと、想像がつく。


「……この生きてるだけで大損害。どこの会社に入ったとしてもつぶしの効かないダメ人間を社長に据えることは非常に腹立たしい。どうして仕事のできない人間に、社長の椅子を明け渡さなければならないのか、その葛藤はあります。けれども、それで誠一郎さまの正当な血統が手に入るのなら」


「ちょっと言い方に容赦ってものを加えてくださってもよろしいんではございませんでしょうかねぇ」


「なんにしても、廸子さんの想い人である陽介さんが、職を持ったとなれば話はとんとん拍子に転がります。職がないので結婚に踏み切ることができなかった陽介さんも、これで廸子さんと大手を振って結婚できるというもの。しかも、誰に恥じることもない、有馬にその名を燦然と轟かす炭泉閣。またとない良縁でしょう」


「……」


「長兄である誠一郎兄さまの孫の旦那さまであれば、古くからのスタッフはもちろん親類縁者も納得してくれます。また、廸子さんとの間にお子が生まれれば、正当な血筋が次代の社長になるわけです。まさしく、うってつけ。炭泉閣の社長の椅子に座らせるのに、あなたを選んだのはそういう理由」


「……ほかにも、アホでなんもできないから、使いやすそうとか思ったんだろう」


「安心してくださいませ。社長業と言っても有名無実。実務はこの私、お父様の最後の娘である九十九がつつがなく執り行います。陽介さまと廸子さまは、有馬に構えたお父さまの邸宅で、ゆるりとリタイア生活を送っていただければそれで。大切なのは、年相応の経営者の存在でございますから」


 そう言う九十九ちゃんの表情は、ちょっと寂しげだった。

 それこそ、ここ今日に至るまで、彼女が受けてきた様々な仕打ちが、その肩に透けて見えるようなそんなしおらしさがあった。


 想像できない方がどうかしているだろう。

 まだ、成人していない、未成年のホテルの女将である。


 若女将ならともかくとして、地域内の他のホテルたちから舐められることもあっただろう。取引先の銀行やらなにやら、コケにされることもあっただろう。


 ホテルも、内装こそ立派だが、外装に手が回っていないのは、明らかに修繕するだけの金がないから。


 大人の経営者――すくなくとも見かけで侮られない存在がどれだけ大きいか。

 前の会社で、取締役・部長職がほぼほぼ名ばかり、実務能力がないのはいやというほど思い知った。


 けれども彼らは一方で、ハンコ押すのに格好つく奴らなのだ。

 地元や他社に顔の効く人たちなのだ。


 社会とは、そういうもの。


 九十九ちゃんがこれまでどのような苦難の道を歩んできたか。

 ありありとその光景が俺には想像できた。


 けれど――。


「ふざけんな」


「……陽介?」


「ほぉっ、怒るか、陽介。またとないチャンスだぞ。社長になれるなんて。これで結構、炭泉閣は優良物件。今でこそ、信用できる経営者がいないから寂れているが、それでも熟練のスタッフを抱えていられるのは、内部留保の賜物ってやつだ。あのろくでなし、色事を抜きにしたら経営者としてはまぁ一流だったからな」


「だからなんだ。それがなんだ。どうしてそれが、俺と廸子が、結婚する理由にならなくちゃいけねえ。ふざけんな。馬鹿にすんな。人をなんだと思ってやがる」


 松田ちゃんを睨めば、彼は俺に向かって初めて心底驚いた顔を見せた。

 今まで、どこか道化じみた反応ばかりする彼が、初めて見せる表情だ。


 たぶんそれくらい、今の俺はひどい顔をしているんだろう。


 続いて、九十九ちゃんを見る。

 自らの身の上を話し、高圧的な態度を見せながらも、最終的には俺たちにすがってきた彼女に、俺は容赦なく拒絶の視線を浴びせかけた。


 きっと、この話に食いついてきてくれるだろう。

 そう思っていた彼女は、絶望を額からにじませて俺から視線をそらす。


 最後に――誠一郎さん。

 彼だけは腕を組んで、俺の目をまっすぐに受けて止めてくれた。そして、白髪頭を縦に振って、それでいいと無言で首肯した。


 ありがとう、誠一郎さん。

 貴方が頷いてくれることがどれだけ頼もしいことか。


 再び、俺は九十九ちゃんに向き直る。

 社長就任要請――それに対する答えを、俺は告げるために。


 ここでふざけて、よろしくお願いしますなんていうのが、いつもの俺だが。


「廸子の尊厳のために言わせてもらう。断る。俺たちは、俺たちの勝手で今こうして生きている。結婚しないのも、一緒に暮らさないのも、俺たちの意思だ。お前たちにとやかく言われる筋合いはないし、利用されていい気な訳がねえ。つまるところ、馬鹿にしてくれるなってなもんだ」


 本当にいいのか。

 心の中で自分に問う何かがいた。


 きっと、その生活は、この不幸で哀れな俺の人生に、突然舞い込んだご褒美のようなものだ。

 まだ遠いと思っていた廸子との結婚生活に最短でたどり着く蜘蛛の糸だ。


 けれども、一度つかんだならば、がんじがらめになって、身動きの取れなくなる、そういう手合いの罠でもある。


 自由なき幸福か。

 不幸な自由か。


 どちらが大切かなんて言われなくても分かってる。

 もし、自由なき幸福になじむことができたなら、俺も廸子もこんな風に生きちゃいないんだ。


 俺たちは、それができないから、こんな風にしか生きられない。


 だから、要らない。

 その幸せは要らない。


「俺たちの幸せは俺たちで見つける。納得のいく、これでいいって思える奴をな。お前らに押し付けられた幸福なんて必要ない。というか、あの町でぐだぐだとやっているのが、俺たちにとっては幸せなんだよ」


「……正気ですか?」


「正気じゃなけりゃ、とっくの昔に、俺は廸子に愛想つかされてるよ!! 舐めんなよ!! 幼馴染の絆を!! 俺の幼馴染はな――廸子はな、口でなんとでもいうが、最後にゃ笑って許してくれる、そういう優しい女なんだよ!! こんな俺になっちまっても、まだ俺を信じてくれる!! 強い女なんだよ!!」


 だから、俺はあいつを守る。

 俺のことを信じてくれる廸子のために、声を張り上げる。


「そんな廸子の幸せのためだったら、俺はなんだってしてやる心意気だぜ!! そして、彼女が泣くようなことは、俺は絶対にしない!! とにかく、廸子は絶対に、こんな話には乗らない!! だから、俺がお前らの話に乗ることはない!! 以上だ!! この馬鹿野郎!! 大人を舐めんな!!」

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