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第70話

 さて、女将は去った。

 残されたのは若い男と女。


 まだ明るい有馬温泉のホテルに、年若い――と言うには微妙な年齢の幼馴染が揃えば、なんかちょっともやっとした空気にもなるだろうさ。


 えぇ、そりゃもうなるだろうさ。

 もやっと。


 そわりそわりと肩をゆする廸子。

 目を逸らして茶を啜る俺。

 さて、これからどうしたもんかな――ってもんである。


 一応、旅館に荷物を置いて、それから温泉街を観光という予定ではある。あるが、まぁ、ちょっとくらいゆっくりしてもいいかな、とも思う。

 というか今更なんだけれども。


 ――これから廸子と二人っきりなのか。


「ど、どうした、陽介。なんかいつもと雰囲気違わないか」


「な、な、な、なにをおっしゃるやら廸子さん。俺はいたって普通。いつも通り、平常運転の豊田陽介ですが何か?」


「セクハラにいつものキレがないぞ!! どうしたんだよ、二人っきりになった途端にこう――二人っきりだね、とかなんとかさー!!」


 真っ赤な顔してそんなこと言う幼馴染。


 無理して冗談言おうとしている感がかわいいよね。

 ほんとかわいい。

 くっそかわいい。

 もう世界一可愛い。

 宇宙一愛している。


 たまらん。


 ってなって、俺は顔をそむけた。


「……廸ちゃん。ごめん、今日俺ちょっとスランプみたい」


「……ごめん、アタシもなんか旅行でテンション上がっちゃってるみたい」


 お互い、ちょっと冷却期間を置きましょう。

 スーパー銀河一可愛い幼馴染廸子ちゃんを部屋に残して俺は外に出ると、ちょっと飲み物でも探してみることにした。


 部屋は高級感たっぷりだが、通路は古臭い普通のホテルである。

 通路の突き当りか、はたまたエレベーターの横辺りに、きっと自販機でもあるだろう。そこでお茶でも買って帰れば、あのもんもん雰囲気はもおさまっているはず。


 廸子のことだ。きっとうまくおさめてくれている。


 さて。

 そんな幼馴染を信じて、部屋に残してきた俺だったが、エスカレーターに近づくにつれて、なにやらその周辺がやけに賑やかなことに気が付いた。


 同じフロアの宿泊客だろうか。

 なんだ、平日なのに割としっかり客は居るんだな。


 はてさて、どんな客じゃろかい。

 俺たちみたいな若い旅行人か。

 それとも熟年夫婦の銀婚旅行か。

 はたまた外国人観光客だろうか。


 エレベーター前を通り過ぎてちらりと横に目を向けるとそこには――。


「なんや兄ちゃん。ワイらになんかようけえのう」


 はい、めちゃくちゃ不穏な感じの奴らがおりましたよ。

 堅気の仕事してない感じの奴らがいましたよ。

 もうなんというか、こんな奴らが泊まっているというそれだけで、このホテルの信頼感が揺らぐ、そんな感じの奴らでしたよ。


 遠目に見た時気が付くべきだった。


 アロハシャツ着た陽気な南国パンチパーマ外国人たちかなって思った俺のことをぶってやりたい気分だった。

 アロハシャツなんて日本に来てまで着ないよ。


 むしろ侍とか、日の丸とか、新選組のイラストとか。

 そういうのが描かれているTシャツを着てくるよ。

 外国人旅行者はそういう服装だよ。


 なまじ日本人でも、ここは有馬温泉。六甲おろしのお膝元。

 タイガーススタイルだっておかしくないはずだよ。


 そう、気が付くべきだった。彼らの異様なその感じに。あきらかに、ヤのつく感じのお仕事を彷彿とさせる奴らの存在に。


 どう、躱す。

 コミュ力が南無っている俺が、この手の人たちに絡まれてしまったら、回避するのは難しい。いや、もう既に絡まれてしまっている。


 これはもう絶対絶命。

 有馬温泉に沈められて、スケキヨになってしまう宿命なのか。


 いや、部屋で、廸子が待っているのだ――。

 こんな所で、非合法組織に負けてなどいられない――。


「……ポゥ!!」


「……なんじゃ?」


「……ムーンウォークじゃのう」


「……踊りは、今夜はビートイットのそれじゃのう。若いのによう知っとる」


 やっててよかったダンスの授業。

 そして、好きでよかったマイケルジャクソン。


 中学生時代に培ったダンステクニックが、まさかヤの字の人たちから気を逸らすことに役立つとは。俺はそのまま、絨毯張りの床を、つつついと動いて、エレベーターの前から移動した。


 移動しつつ、しっかりと視線を逸らして、これ以上関わらないように留意した。


 うん、ヤベー奴だわこれ。


 このホテル。

 ヤベー奴らが泊まっている奴だわ。


 いやまぁ、老舗旅館である。そういう人たちとずぶずぶというか、商売上筋を通すのならばそれを受け入れるという、昔な営業をする所もあるだろう。

 なくはないけれど、本場のここでこの連中を入れたらあかんわ。


 具体的には露天風呂とか、大浴場に入れたらいかん奴やわ。

 入れ墨が、サウナの中からもーくもく。


 おう、兄ちゃん、どっから来たんやってもんである。


 最悪のパティーンの旅行になる奴である。


「おう、女将の奴、なんて言うてた」


「借金を返すアテがついについた言うてたが、どうじゃろうなぁ」


「さっさとこんなホテル潰してまえばええのにのう」


「ほんにじゃ。何を拘っとるんじゃか」


 はい、そしてホテルの経営状態が悪いという情報も手に入れてしまいましたよ。


 なるほどこのホテル。

 怪しい怪しいと思っていたら、そんな経営状態だったのね。

 女将が小学生みたいな子だったら、ここまでこじれるのもやむなしですわ。


 したって、こんなヤの字の人を泊めなくてもいいじゃないの。

 暴力団NO宣言を守ってどうぞ。


 とほほと思いながら、俺は通路をあてどもなくさまよう。

 そうして、その突き当りに、ドリンクコーナーがあるのを見つけると、そこで六甲名物、天然水をポチって部屋へと戻るのだった。


 エレベーター前にたむろしていた集団はもういない。

 けれど、おそらく彼らは同じ階。

 迂闊に出歩いたらこれは廸子が大変なことになりかねない。


 女性的な魅力は――まぁ、ぼちぼちな感じの彼女だけれど、やつら埒外、女だったらどうでもいいと手を出すかもしれない。


 冗談じゃない。

 そんなことは、絶対にさせないからな。


 廸子はなんといってもしょ――女の子なんだから。


「今から女将さんに言って部屋を変えてもらおうかしらん」


 そんなことをごちりながら部屋に戻る。

 サンダルを脱いで、ひょいと上り口に乗っかって襖を横に開けると――。


「あ、ちょっと陽介!! まだまだ!! まだちょっと着替えてないから!! ちょっとタンマ!!」


 勝負下着なんてなにそれ美味しいの。

 パルカラー空色の実用的なブラとパンティを身に着けた廸子が、温泉宿の浴衣に袖を通していた。


 ほんと、旅行なんてろくにしたことないんだろうね。

 いったいどうやりゃそんな、アタシがプレゼントみたいな着付けになんの。ほんと、廸子ちゃんてばドジなんだから。


 アタシがついてないと、なにもできないんだから仕方ないこよね。


 現実逃避している場合じゃない。


「……なんで出ていく前よりエッチな雰囲気が上がってるんだよ!!」


「なんだよエッチな雰囲気って!! いいから、ちょっと向こう向いてて!!」


「向くよ、向いてるよ!! ほんともう、なんなの!! この旅に出てから、逆セクハラばかりなんですけれど!! 俺がセクハラされる側なんですけど!!」


「着替え覗くのは立派なセクハラだろ!!」


 そうかもしれんね。

 そうかもね。


 けれども廸子ちゃんや、無防備な君が悪いと俺は思うよ。

 無防備に、そんなよく見える所で着替えていた、君が悪いと俺は思うよ。


 あと、パステルカラーって、割とエッチだよ。それは、抑えたようにみせて、逆になんかこう大人の色気を醸し出す感じの奴だよ。


 勝負下着より、普段の下着の方が、ちょっとこう、男としてはそそるよ。


 本当だよ。

 俺だけかもしれないけれど。


 はぁ……。


「これから、廸子と、一晩過ごすのか」


 間違ったことにならないか、ほんと、不安。

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