第60話
俺の名前は松田良作。
もう何度も言っているが神戸三宮在住の私立探偵だ。
さて、細工は流々、仕掛けは上々、後は仕上げをご覧じろってなもんだ。
こんなことを自分で言うのもなんだが、見事に依頼人の指示通り、陽介とアイツの彼女を有馬温泉にご招待することに俺は成功した。
探偵ってのは何も内偵ばかりが仕事じゃない。
こういう風な小細工をこなせてこそ一流ってもんだ。
人を自由に泳がせるのと同時に、人に思ったように泳がせるのも探偵の腕の見せ所ってものである。
近々開かれるカラオケ大会。
その主催者の家におあつらえ向きに招待チケットを放り込む。
どうにも偏屈そうな爺さんであるし、一緒に行くつれあいもいなさそうだから、優勝賞品にするだろうことは予想ができた。
で、後は、周りをたきつけるだけだ。
陽介が勝てば御の字。
あいつの彼女が勝っても同じ。
姉貴は自分の娘の可愛さを喧伝できればいいからこれも同じ。
守銭奴の爺さんはいざとなったら金で都合をつけるだろう。
豊田家の縁者を四名、エントリーさせればどれかが引くだろう。
もちろん、駄目になる可能性もあったが、そんときゃそんとき。自腹切って温泉チケットを用意すればいい。
むしろ、そっちの方が都合がいいだろう。
誘いたかったんだろう彼女を、と、陽介に申し出れば、考えなしの奴のことだ、すぐに飛びついたことだろう。
泣いて喜ぶアイツの顔が瞼に浮かぶってもんだ。
ほんと――。
「なんで俺、この仕事引き受けたかね。後味が悪い」
探偵稼業ってのは因果な商売。
どこかで人間関係を割り切らなくちゃやっていけない。
けれども今回は、豊田陽介という男に深入りし過ぎた。
自分でも驚いているくらいだ。
いったいあんなアホのどこに、惹かれちまったというのだろう。
なんにしても、自分のことを本当に友人だと思ってくれている調査対象を裏切ることに、俺は生まれて初めて罪悪感を覚えた。
たぶん。
「似てるんだろうな、俺たち」
◇ ◇ ◇ ◇
温泉旅行のチケットは手に入れた。
おっそろしく厄介なミッションも一緒についてきたがそれはそれ。
あんなもんさっくり無視してやればいいんだよ。
というか、俺たちはそういうんじゃないから。そういうのにはまだもうちょっと段階を踏まなきゃいけない感じだから。
まだ、二人はただの幼馴染だから。
そう、そうやって自分に言い訳をしていて、ようやく気が付いた。
「……幼馴染温泉に誘うって、なにそれちょっとやらしすぎねえ? どう思う、工藤ちゃん?」
「……え、今更?」
マミミーマート玉椿店フードコート。
そこで、いつものようにいつものごとく、ドリップコーヒーを飲んでいた俺は、同席していた頼れる親友――工藤ちゃんにそんな話を切り出したのだった。
いや、だってさ。
「普通に考えてさ、幼馴染を海に誘うとか、スキーに誘うとか、そういうのは別によくあるイベントじゃんよ。漫画とかでも鉄板の、サービス回じゃんよ。編集に言われてしぶしぶ入れる感じの奴じゃんよ」
「……いや、俺はそういう今風の漫画とか読まないから分からないけど」
「逆に今風の漫画じゃない方が分かりやすいじゃん。ハマコー的にも、部下や女上司と温泉って言ったら、もうなんかそういう流れじゃん」
ハマコー。
課長伝説浜島耕助の愛称である。
その独特の絵柄と、人情噺で絶大な人気があり、ドラマ化もされた漫画だ。これを知らない漫画読みは居ないと言っていいだろう。
漫画読みでなくても、知っている作品だ。
特に、第一話アジフライ一本釣りの話は本当によくできていて、漫画のお手本みたいに言われている。
そう。
ハマコーはそんな伝説的な作品なのである。
そして、その作中で温泉旅行に行くと、たいていそういう流れになるのである。
部下や女上司、あるいは取引先、ゆきずりの女とそんな感じになるのである。
そう!!
SE〇の前振りなのである!!
温泉旅行はハマコー的にSE〇の前振りなのである!!
そして、それが幼馴染でも、その法則は発動するのである!!
「温泉旅行はやべーよ!! 流石にちょっと、大人の階段を昇りすぎだよ!!」
「いや、別に、普通だろそれくらい」
「普通じゃねえよ!! 男と女が温泉旅行なんて、もうそういうことしに行きますって言っているようなもんじゃねえかよ!! というか、ほぼほぼ直喩だよ!! 温泉旅行は、SE〇とイコールで結ばれる――卑猥な言葉だよ!!」
「はっそうがちゅうがくせいなみ」
「中学生はハマコーなんて読まないよ!! あれは、大人が読む漫画だよ!!」
とにかく。
ハマコー的にちょっと、温泉旅行は危ない。
それこそ、姉貴にからかい混じりに言われたが、SE〇が廸子との間で発生してしまう可能性がある。
もちろん廸子はしっかりした大人の女性である。その辺りの分別はついているし、俺とそういう行為に至ることが、ちょっと時期尚早というか、幼馴染的にそこは越えちゃまだいけない所だと、分かってくれているに違いない。
違いないけれど。
間違いが起こらないとも限らないじゃないか。
だって、俺たちいい大人なんだよ。
「俺たち、いい大人なんだよ工藤ちゃん!!」
「だったら別に割り切ってやっちゃえばいいじゃねえのよ。なんだよ、お前、そんな童貞みたいなこと言っちゃってさ」
「童貞だよ!! 童貞だから困ってるんだよ!! 廸子も処女なんだよ!!」
「嘘だろ!? 三十越えてんのに!?」
そうなんだよ。
いろいろあって俺たちそういうの守って来ちゃったこじらせ男子と女子なの。
そういう感じの世にも珍しい感じの幼馴染なの。
そんな防御力特化型幼馴染が、温泉なんていう大人の社交場に顔出したらどうなると思っているんですか。
性が――ゲシュタルト崩壊するぞ!!
俺は腕を組み、そして深くその中に顎を沈めた。
遠く、マミミーマートの駐車場は彼方、玉椿の田園を眺めて俺は思考する。
本当に、廸子を誘っていいのかと、自分に問いかける。
やはりどれだけ考えても答えはでない。
童貞の思考能力では、これが限界なのだ。
なので、頼るしかない。
童貞とかとっくの昔に捨てていそうな都会人に。
「やっぱり、幼馴染と一緒に温泉旅行なんて、エッチすぎるんじゃないだろうか。工藤ちゃん、そういう訳で俺と一緒にいかない?」
「いやだよ!! なんで男と温泉旅行なんていかなくちゃいけないんだよ!!」
「……やさしく、してね?」
「なにする気だよ!! しねえよ!! というか普通に幼馴染誘えよ!!」
◇ ◇ ◇ ◇
俺の名前は松田良作。
やっぱ、こいつ、全然にてねーわ。
というか、似ていたくねえ。
「いいじゃん工藤ちゃん!! 一生のお願いだからぁ!! 一緒に有馬温泉行こうよ!! ねっ、ねっ、おねがぁい!!」
「女声やめろ!!」




