第43話
「ふへへ!! どやぁ!! チャン美香さんのニューヘアスタイル!! ブラウンヘアーにゆったりショートボブで、クールビューティ鬼上司から、頼れる先輩お姉さん上司にジョブチェンジ!! 陽ちゃん、廸ちゃん、似合ってるかな?」
「……美香さん。いまさらゆるふわ系目指して、そんなに婚期逃すのが怖い?」
「よし、ようちゃん、久しぶりに全日本プロレスごっこしようぜ!! あたし、アントニオ猪木な!! おめーはグレート・ムタでもやってろ!!」
おりゃさ十文字蹴りと、古いプロレス技を繰り出す美香さん。
やれやれ、今どきプロレスだなんてそんな。
今のご時世は、K-1とかプライドとか、そういう総合格闘技の時代でおますよ。へぶら。
華麗に俺の顔に決まった十文字蹴り。
美香さんの黒タイツの脚を眺めながら、俺は、いつまでたっても畳化されない、マミミーマートの床に今日も沈んだ。
ほんでもってパンティの色は白。
けど、清潔感があってすげーなんかエロいわ。
逆に黒とか赤とか、パープルとか、刺激的な色じゃなくて白ってのが素直にエロいわ。しかも、薄いデニールの黒タイツにこれがまた映えるんだわ。
白と黒のコントラストなんだわ。
三途の川で、いいもん見させてもらっちまったぜ。
「なに見てんだYO!!」
「踵落とし×ヒール×侮蔑の目というご褒美よくばりセット!!」
「……あー、美香さん、ちょっとそれくらいにしてあげてください。このバカに、女の容姿なんて聞いた方が間違いですよ」
「あぁ、言われてみればそだね。ようちゃんに女の子のお洒落なんか分かる訳ないか。童貞だものねぇ」
「なにおう!! 童貞にだってなぁ、お洒落心はあるんだ!! それにな、童貞だからこそな、分かる女心ってのがあるんだ!!」
「どんな心だよ」
「せんせー、あかちゃんはー、どうやったらできるんですかー?」
「「童心じゃねーか!!」」
童貞に分かるのは童の心だけだよ。
だって、大人になるための儀式を済ませていないんだから。
言っててこっちの気持ちがブルーになるわ。
幼児退行起こすレベルの自虐だわ。
ちくしょう。
とまぁ、そんなことはさておいて。
久しぶりに美香さんご来店かと思えば、その髪型があらびっくり。
黒髪ロングのできる女上司スタイルから、ゆるふわ茶髪のフレンドリー女上司に変わっていた。
この変化はいったいいかがしたことか。
もちろんその原因に、先日のレースの件が関わっているのは想像に難くない。
いやぁと、髪と違って変わっていないスーツの前で腕を組む美香さん。
目を瞑って彼女は、私にもいろいろあってねという感じに語り始めた。
「前回のレースで気づいたよ。いつまでも、千寿の影を追っていちゃダメだってね。やっぱり、一人の人間として、ちゃんと自分の人生を歩んでいかないとって。誰かの影を追う人生なんて、むなしさしかないぞって」
「……うん、いいこと言っている感あるけど、相変わらず姉貴への愛が重い」
「……やっと気づいてくれましたかっていいたい所だけれど、なんでもないように言われて、自分のヤバさが理解できてないところが最高に怖い」
「なんか言ったか?」
「「いいえ何も」」
怖すぎるよこの姉貴の親友。
いったい何が好きで、あんな糞姉貴とつるんでるのか分からないけれど、もう愛が重くて仕方ない。だいたいかれこれ三十年以上、その愛を注いでいる訳でしょ。今更捨てるって言われても、もう既に、手遅れの所まできちゃってるよ。
ほんと、そりゃ男っ気がないのも頷けるわ。
あの姉の背中を追っかけてたら、そこいらの男なんて眼中に入らないのも無理はないわ。それについては、本当に、豊田家の落ち度だと俺も思うわ。
けどまぁ、美香さんがあの姉貴に懸想したのがそもそも発端だからな。
幼馴染に抱く感情くらいちゃんとコントロールしてくれ。
男女ならともかく。
ほんと。
男女ならともかくだよ。
「まぁ、そう言う訳で。私も晴れて千寿を卒業。これからは、田辺美香ちゃんとして、アイツの影を振り払いつつ、一人の女として生きていくことにしたんだ」
「へぇ、そうなんですか」
「いいと思いますよ、美香先輩」
「ありがとよ!! へへっ、まぁ、髪型変えたくらいで何がどうなるってものでもないけどさ、それでも、これでちょっとでも前に進めると思えば、な!!」
そう言って力いっぱい笑う美香さん。
ふと、その時、この人の人生は、十年前――姉貴が町を出て行ったときから、止まってしまったままだったんだなと、そんなことを思ってしまった。
幼馴染の姉貴の影を追って。
そんな彼女が消えた町を去って。
去っても忘れられなくて。
いつの間にか、また戻って来て。
それでも囚われて。
そうやって、いったいどれほどの時間を、彼女は無為に過ごしてきたのだろう。
別に張り合う必要のないことだった。
笑って済ませることだった。
なのに。
「けどまぁ、千寿の背中を追っているのも、悪い気分じゃなかったよ。あれはあれで、私にとってのいい青春には間違いないんだ」
「美香さん」
「美香先輩」
「長い青春だけどね。けどまぁ、まだまだ人生折り返しにも辿りついていやしないんだ。こっからが本番って奴だぜ。千寿が旦那を捕まえたみたいに、アタシだっていい男を捕まえてやるんだから。とりま、なんかイケてる男子が居たら、二人とも連絡頂戴ね。よろしくー」
やっぱ婚期焦ってるんだな。
まぁ、レースの時からひしひしと感じていたけれど。
やばいなとは思っていたけれど。
うぅん。
ワンチャン、大企業の役職持ちだし、ほんと名義だけ旦那になるのも、ありかもしれないなぁ。
「……陽介」
「分かってる。分かってるって廸子。大丈夫、冗談だから」
「うん? 何が冗談なのかな、ようちゃん? んー、気にしてないから、お姉さんにちょっと言ってみそ?」
「なんでもありませんってば!! とにかく、まぁ、美香さんだったら、すぐに素敵なお相手をみつけられますよ!! そこは安心してください!!」
あらやだ嬉しいこと言ってくれるじゃないと美香さん。
そうして、彼女はばしばしと俺の肩を叩き、満足そうに高笑いをするのだった。
まったくもう。
姉貴といい、この人といい、ほんと俺の周りの年上は。
けど――。
(よかったな、なんかふっきれたみたいで)
(だな。これで千寿さんともいい感じになってくれると助かるんだけれど)
目で、廸子と会話する。
姉貴のことを吹っ切った、美香さんの表情はすがすがしい。
本当に、これまで姉貴という名の青春に、縛られてきた彼女の人生が、ここで花開いてくれることを切に願うよ。
なんだかんだで、この人も、俺の姉――みたいなものなのだから。
ふと、その時、いつもだったらならないはずの、マミミーマート入店の音楽が流れた。そろそろ交代の時間、廸子と姉貴が入れ替わる時間なのだが。
「あー、みかちゃんだぁー!!」
「おう、マイリトルプリンセスちぃちゃん!! おひさしー!!」
「かみきったおー? まえよりなんかかわいくなったね!!」
「でしょ!! 女はいつだって、かわいくなるのに余念がないのだ!! ちぃちゃんも、かわいくなるために頑張るだぞ!!」
「がんばうー!! ちぃおしゃれさんなるー!! みかちゃんみたいになう!!」
今日はちぃちゃんも一緒に登場という所で、美香さんの目と顔の表情が変わる。
はっは、たいへんご満悦のご様子じゃないか。
美香さん、いったいどこで、その業が深い属性を身に着けてきたんだね。
顔がもうなんていうか、慈しむモノを見る感じの人になってるよ。自分の子供以外で、慈しむモノを見る感じの人になってるよ。
怖い。
「みかちゃん、ここであったがひゃくねんめです、あいすおごってください。もしくは、おかしでもいいよ」
「おっ、ようちゃんに習ったのかな。金がある相手に積極的に強請っていくスタイル。けど、許しちゃう。だってちぃちゃんは、ようちゃんと違ってかわいいから」
「やったぁ!!」
殺られたぁ。
抉るような言葉をいきなりこちらに向けないでください。
不意打ちでちょっとクラっときましたよマジで。
美香さんにすり寄るちぃちゃん。それをでへへと待ち構えてキャッチする美香さん。そんな彼女を白い目で見るババア。
娘を篭絡されたシングルマザー。
彼女は、かつて、全てにおいて勝っていた親友を、この世の者ではないような目で見て一言。
「この、泥棒猫!!」
「やぁねぇ、千寿ったら人聞きの悪い。ただ、ちぃちゃんと遊んでるだけじゃない。ねぇー?」
「ねぇー?」
「くっ、だから会わせたくなかったんだ!!」
あ、これ、全然あきらめてない奴ですわ。
むしろ家族そろって取り込んでやろうっていう、そういう気概がうかがえる。
流石美香ちゃんさま、一筋縄ではいきませんわ。
「よーし、いいこのちぃちゃんには、アイスもジュースも、おかしも、全部買ってあげよう。ケチなお母さんには内緒だぞ」
「ないしょなのー」
「ケチじゃない!! 躾だ!! 我が家の教育方針に口を出すな、美香!!」
「あらあら、子供を取られて嫉妬なんて、みっともなくってよ千寿」
「そうよおかーさん。おかーさんも、ちぃにおごってくれてもよくってよ」
「くっ……しかたない。ホットスナック、好きなの頼んでいいぞ」
「ガバガバな教育方針だなァ」
子の前に、親は、時として無力。
そして、幼女の前に、大人もまた無力。
間違いない、今、玉椿町最強はこの二人ではなく。まだ、最強という漢字の書き方さえ分からない、ちぃちゃんなのであった。
「ふっふっふ、ふたりともちこうよれぇ」
「「ははぁ!!」」
「ノリノリだなぁ」
「……ノリノリねぇ。どこで覚えてくるのかしらね、ちぃちゃんも」
さぁ。爺の見てる再放送ドラマからじゃない。




