第40話
俺の名前は松田良作。
神戸、三宮はさんセンタープラザに探偵事務所を構える私立探偵だ。
そう、ジーンズとベスパとパイソン(モデルガン)とブルースリーとコーヒー豆をお湯で茹でた飲み物を愛する、どこにでもいる白いスーツ姿の私立探偵だ。
都会の喧騒と闇が似合うこの俺には、いろんなツテから仕事が舞い込んでくる。
仕事と寝る女、あと酒は選ぶのが俺のモットー。
気に入らないなら受けない。
それができる男の証明だ。
そう、証明なんだ。
「良作はん。ええかげん、うちのツケを払ってもらわんと、いくら馴染みや言うても、こっちにも限度いうもんがありますえ」
「そんなー!! 俺、仕事選ぶからツケで酒飲めるのここしかないのに!! ここしか三宮で酒飲める場所ないのに!!」
「言い訳にもなっとりまへんなぁ」
「いいじゃん、ママぁ。将来さ、俺がでかい仕事をしたらさ、いくらでもボトル入れてあげるからさ。なんだったらさ、店も借りてあげるからさ。こんなぼろい居酒屋なんかたたんで真新しい」
「良作はん」
がんという音と共に、一升瓶が割れた。
深緑のガラス片に俺のナイスフェイスが映りこんでいる。
どんな場所でも、俺って男は映えちまうから困るね。
まったく困るぜ。
困り顔さえナイスガイ。
真っ青だけどな。
「未来の金より今日の金。商売の基本でおま」
「……はい、ママ」
「払えへんなら、しかたありまへん。いつも通り、ウチのツテの仕事をしてもらいましょか」
そう言って、ママは着物の中から、今どき珍しい写真を取り出した。
そこに映っていたのは――。
◇ ◇ ◇ ◇
「廸子ちゃんしってた? コーヒーってね、昔は媚薬だったんだよ? 催淫効果があるって言われてたんだ。おそらく、カフェインの興奮作用が、昔の人には刺激的だったんだろうねぇ」
「へー、ぜったいにいきているうえでひつようのないむだちしきー」
「そう思うとさ、今の時代って性に満ち溢れていると思わない。どこに行ってもコーヒーって売ってるじゃない。催淫し放題ってことじゃない」
「ことじゃないとおもうなー」
「そこで思いつきました。『異世界コーヒー無双。美味しいコーヒーを淹れるだけで、オネーチャンがビチャビチャのクチュクチュのキリマンジャロ』というWEB小説を書けば、俺もワンチャン大金持ちの可能性が!!」
「まずあかばんをくらう」
絶対うまくいくって。
ほら、あれじゃん。
こういう、俺だけが知っている知識・スキルで無双するの、今の流行りじゃん。
コーヒーを異世界で淹れられるのって、なかなかのレアスキルじゃん。
むしろ異世界にコーヒーがあるかどうか分からないじゃん。
そして、コーヒー淹れるだけで、女性にモテモテとか、なにそれ青年誌の裏表紙の裏じゃん。一皮剥ける奴じゃん。
絶対面白い。
間違いない。
WEB小説とか読んだことないけど。
「というわけで、俺原作、お前が文ということで、WEB小説やらない?」
「ぶんというざんしんなやくわりぶんたんにしょっくをかくせない」
「分け前は八対二で」
「……私が八に決まってるよな?」
「廸子!! 世の中ってのはな、誰でもできることに対価は発生しないんだ!! いつだって評価されるのは、斬新な発想――アイデアなんだよ!!」
「労働にちゃんと対価を払ってから言え!! アホ!! 誰がやるか!!」
ちぇっ、いいじゃんいいじゃん、ちょっとくらい手伝ってくれても。
俺知ってるのにな。
廸子ちゃん、中学生の頃、小説にドはまりしてたの。
将来小説家になるとか言ってたの知ってるのにな。
それから、公募にちょいちょい出してたの知ってるのにな。
今はもうやってみたいだけれど。
「村上春樹っていいよな。なんか、こう、さ、大人っぽくて。女心が分かっているっていうかさ。なんていうんだろ。とにかく、すごく言葉遣いがいいんだよ」
とか、言ってたの、俺知ってるのになぁ。
今も、新刊を家に積んであるって、知ってるのになぁ。
あぁあぁ、そんなこと言っていいのかなぁ。
ふぅ。
俺は射精するぞ。(さわやかに)
まぁ、冗談はさておき。
今日も今日とて、玉椿町は平和御の字。
我が愚姉が経営するマミミーマート玉椿店と、その看板娘の神原廸子も元気に営業中である。
今日はちょっぴり変則セクハラ。
親父とお袋が、たまには温泉でも行って来るやと、ちぃちゃん連れてお出かけしてしまったので、マミミーマートでお昼ご飯と相成った訳である。
それでまぁ、パンと一緒にコーヒーを買う際にこれと言う訳だ。
我ながらさりげない気遣いのようなセクハラが上手くなったものだ。
このまま、息をするようにセクハラをし、気づいた時にはセクハラをし、もはや存在するだけでセクハラになるのもそう遠くない話だろう。
嫌な話である。
人間こうはなりたくねえな。
まぁ、自分でやっといてなんだが。
「ところで、このレジ前コーヒーって売れてんの?」
「ぼちぼちだなぁ。というか、そもそも飲み物自体があまり出ないから。主幹道路のコンビニなんかじゃ、稼ぎ頭みたいだけれど、うちらみたいな田舎のコンビニじゃ売り上げは知れてるよ」
「……こんなに催淫効果があるのに?」
「そんなこうかはねえ」
コーヒーの匂いに誘われて、村の爺と婆がやってくる。
って、そりゃないか。
アイツら、こんなもん飲んだら、心臓がひっくり返って倒れちまうよ。
まぁそうだわな、コーヒーも場所と人をえらぶものよな。
日本人なら、コーヒーよりお茶だろう。
という訳で、俺は、レジ前コーヒーを諦めた。
諦めて、おとなしくコッペパンと、サラダ、サラダチキン、そして、とある飲み物を手にしてイートインスペースへと移動したのだった。
マミミーマート入り口付近に設置されたイートインスペースはカウンタータイプ。
外の景色を見ながらのご昼食。
つっても、駐車場がみえるだけなんだけれど。
こらまた殺風景柄で、食べる楽しみがなくて嫌になる。
せめて一緒に話す人間でも居たら――。
なんて思っていたら。
「隣、いいかい?」
白い服着たにーちゃんが、俺の隣にやってきた。
なんだい、松田優作のファンかなにかかい。
アンタ、渋いね。
こんな田舎町にさえ現れなければ、さぞ絵になったことだろう。
どうぞどうぞと隣の席を引く。
すると、彼は、買ってしまったのだろう、レジ前の100円コーヒーを揺らして、ふぅとその飲み口に息を吹きかける。
「……ふぅ、暑い日にも、寒い日にも、コーヒーってのは体に沁みるぜ」
「まぁ、そんな白い服を着ていたら」
「いや、零すって意味じゃねえよ」
「え、コーヒージャンキーな方ですか? 私あまりその、コーヒーの銘柄とかショップでマウント取る人ととは仲良くなれないというか。むしろ、そこまで詳しくないというか」
「どういう奥ゆかしさだよ。俺もそんな奴と仲良くなれる気しねえよ」
「けど、一つだけ私、知っているんです。コンビニで、お安くコーヒーを飲む方法」
なんだってという顔をする白スーツの探偵。
なんだか芝居がかった顔だなと思いつつも、まぁ、そこはそれ。
俺は構わず彼に顔を背けると、それから――。
「コンビニって、なんでも売っていて便利ですよね。紙コップ、インスタントコーヒーの素、そして、店員さんの笑顔」
「……おい、まさか」
「そして、イートインコーナーのお湯。そう、こうやって、紙コップにインスタントコーヒーを注いでしまえば、ななななんと、百円以下でコーヒーが」
「勝手にインスタントコーヒー作ってんじゃねえ!! それ、そういう用途のもんじゃないから!!」
廸子にしかられてしまった。
カウンターの中から叱られてしまった。
みっともないからやめろと、赤い顔をしてしかられてしまった。
ふぅ、やれやれ。
まったく、幼馴染のことを心配してそんなことを言うなんて、可愛いじゃないか。ケチってインスタントコーヒーをコンビニで作る幼馴染に、待ったをかけるなんていじらしいじゃないか。
そういうとこ、俺は好きだぞ、廸子。
そして。
「そこまで言うなら、おごってよ廸ちゃん!!」
「それとこれとは話は別だ!!」
「じゃぁ、コーヒーじゃなければいいんだね。コーンポタージュスープにする」
「じゃあじゃねえよ!! インスタント飲料飲むな!! 馬鹿!!」
「分かりました、つまり、こう貴方はおっしゃりたいんだ――ゴミが増えるから飲み物は作るなと。大丈夫、マイ紙カップ、用意してるよ!! ニートだからね、節約は大切!! そして、帰る時にはカタクリ〇にクラスチェンジ!!」
「させるか!!」
俺の紙カップを奪う廸子。
かえせ、かえせよという、子供みたいなやりとりを、白い服のおっさんがじっと眺めていた。
えぇ、眺めるでしょうね、こんな光景。
けど、これが田舎の日常なんだなぁ。
「いいじゃん!! お前が飲んだカップで作らないだけいいじゃん!! 俺の下半身の恋人にならないからいいじゃん!! セルフ恋人なのよ、こっちは!!」
「〇ね!!」
今日も、玉椿町は平和です。
◇ ◇ ◇ ◇
俺の名前は松田良作。
訳あって、人を探してこの玉椿町にやってきた。
やってきた、のだが――。
「……ど変態じゃねえか」
探し人。
渡された写真に載っている男は間違いない。
日本一のクズオブクズにして、女性の敵であるセクハラマン。
名を、豊田陽介というらしい。
「トヨタ創業家とは関係ないよな。関係あってたまるかだよな」
そう信じたい、ファーストインプレッションであった。




