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第30話

 時は午後八時。

 玉椿町の峠に夜の帳が落ちる頃。

 ふきすさぶ山嵐の中でハイビームが飛び交ったかと思うと、二つの単車が姿を現した。


 一つ、ホンダが世界に誇るベストセラーバイク。

 スーパーカブをベースに改造に次ぐ改造を施したモンスターマシン。

 今は愛する娘を運ぶために、荷台に赤ちゃん椅子を結わえ付けた、名付けてちぃちゃんスペシャル。


 一つ、ヤマハが海外向けに作り出した大馬力マシン。

 某アニメでも使われて超有名。スポーツバイクと違い、ゴテゴテとしたザ・イージーライダーという感じのバイク乗りのためのバイクという感じのそれは、かつて玉椿町に君臨した伝説の走り屋集団――「女輝走アマテラス」のステッカーが貼られているVMAX。


 集まったのは地元のお爺ちゃんお婆ちゃんと、ちょっと離れた所にあるクレシェンド工場に勤務する者たち。

 一同、不安と期待が混ざったようなそんな顔つき。


 とにもかくにも。

 その二つの単車、そしてそれに跨る二つの影を誰もが見ている。


 そんな中。

 俺は、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、簀巻きにされながらとほほとため息を吐いた。


 ほんと、なんでこうなるのよ。


「……逃げずにやって来たか、千寿ゥ!! てっきり、娘可愛さに芋ひくかと思ってたぞォ!!」


「ふっ。愚かとはいえ我が弟。救わねば人の道にもとるというもの。娘を持つ身として、恥ずかしい行いはできないさ」


「スカしやがって!! 昔っからその余裕しゃくしゃくって感じが気に入らなかったんだよ!! しかし、今日こそお前の泣きっ面を拝ませてもらうぜ!!」


「はてさて、泣き顔になるのはいったいどちらかな――美香」


 はい。

 もうお察しでございましょう。


 ちぃちゃんスペシャルに跨る女こそは、俺の姉貴こと相川千寿。

 走り屋集団「女輝走アマテラス」のリーダーにして、降り最速の女。


 そして、ヤマハVMAXに乗る女こそはキャリアウーマンがまるで嘘のよう。

 若い頃に着ていた特攻服姿に身を包んだクレシェンド生産企画開発室課長補佐。


 走り屋集団「女輝走アマテラス」の副頭サブリーダーにして、かつてストレートニトロガールの異名を持っていた女。

 田辺美香さんに間違いなかった。


「あわわ、あわわわわ。これはいったい、どういうことなんですか、お兄ちゃん」


「ふむ、走一郎くん。どうやら鈴鹿住みの君は、ここ玉椿町の峠にまつわる伝説を知らないようだね」


「いや、普通知らんだろ。こんなローカルネタ」


 隣に走一郎くん廸子と並んで俺だけ簀巻き。


 勝者に捧げられるウォートロフィー。

 逃がすなということでこんなことになった。

 別にこんなエロ漫画みたいに乱暴しなくても俺は逃げやしないのにさ。


 というか、人を勝手に景品にしないでほしい。

 ほんと埒外ヤンキーはこれだから困るってもんですよ。


 姉貴も、そして美香さんも。

 昔っからちっとも変わらない。

 増えたのは皺の数だけってなもんだ。


「「陽介ようちゃん、死にたいのかな?」」


「とんでもございませんマイビッグシスター、イエスアイアム。私、陽介は、二人の忠実な弟分でございますれば。失礼なことなぞ微塵も思っておりません」


 ほんでもってこっちの考えてること読んで殺気放って来るし。


 やめてほんと、アンタたち。

 出てくる漫画を間違えてんだよ。


 俺はほのぼの芳文社系の四コマ漫画みたいなキャラクターなのに、アンタらマガジン・オア・チャンピオン系なんだよ。

 世界観、ちょっと統一してくださいってもんだ。


 とにもかくにも。


 すわ、今から始まろうとしているのは、かつての伝説の再演。夜ごと、玉椿の町をにぎわせた、二人の走り屋の因縁の対決に間違いなかった。


「まぁ、簡単に説明すると。うちの姉貴が昔ここの峠で走り屋やっててね。なんか続けていくうちに暴走族みたいに規模が大きくなっていって」


「それをまとめ上げて組織化したのが、今、千寿さんにメンチ切ってるあの人。美香さんなのよ。あの人も、千寿さんに次ぐ走り屋なのよね、厄介なことに」


「……走り屋!! あのお二人がですか!?」


 走一郎くんが驚愕する。

 額から走る汗が、ハイビームに照らされて輝く。

 とても信じられないというその表情に、俺も廸子も、そうだろうね、けど、本当なんだよなという、諦観の籠った顔を向けることしかできなかった。


 そう。

 何を隠そう――ふたりは走り屋。(あのトーンで)


 この峠最速を競い合った仲であり、共に峠の伝説を守った仲である。

 戦友にして好敵手。信頼と同時に常に相手を上回らんと、虎視眈々とマウントを取り合う、マウント女ゴリラたちなのであった。


「まぁ、挑まれた勝負は受ける。受けるがいいのか、美香。今の所、勝負は私の百戦百勝、お前が勝ったことなどただの一度もないというのに」


「うるせぇっ!! 十年ぶりの勝負だわからねえだろ!! なにより、お前が走り屋を引退してからも、私はコイツで各地に遠征に赴いていたんだ!! 十年のブランクの差が、お前と私の間にはある!!」


「それを刹那で埋めるのが真の走り屋というものだろう。まったく、そうやって努力で自分を補強しなければ吠えることもできない、臆病なところは昔のままだな」


「……ぶっ潰す!!」


「……その顔、百一回目ともなると流石に飽きるな」


 美香さんが姉貴に勝ったことは一度もない。


 そう、ただの一度も。


 天才というのは、才能というのは、時に恐ろしいほどに残酷なものである。

 努力の人、根っからの理論派。玉椿に産まれた稀有の天才に必死に追いつこうとしていた美香さんはしかし、ただの一度も真の勝利の味を知らなかった。


 それ故の天才。


 降り最速。


 玉椿の『峠の降り龍』は、旧友の憤怒の表情を鼻で笑うのだった。


「さぁ、さっさと始めよう。店を長いこと空けておくのも心配なのでな」


「この期に及んで店の心配かよ!! 負けた言い訳でも考えたらどうなんだ!!」


「……しっかしまぁ、ほんと、美香さん、姉貴を前にするとキャラ変わるよな」


「……ねぇ。なんであんなオラつくんだろう。普段は普通にいい人なのに」


「いい人なんですか?」


「「姉貴(千寿さん)がからまなければ」」


 昔から、姉貴と顔を突き合わせると、こうなるんだよ。

 だから会わせたくなかったし、姉貴も会おうとしなかったし、会った瞬間こうなるんじゃないかなと嫌な気がしたんだよ。


 もうなんていうか、美香さんのイメージこれでガッタガッタじゃない。

 なんか工場の人たちも見に来ているのに、こんなあられもない姿見せちゃって、大丈夫なの美香さん。


 ほんと、今もなんか独身なんでしょ。

 これ、輪をかけて独身に磨きがかかる感じのイベントぞ。


「……まさか、鬼の田辺課長補佐が元走り屋だったなんて」


「……くっ、あと数年若ければ!!」


「……全盛期!! 少女時代だったなら!!」


「……綺麗系だけれど、おばさんバイカーでなければ!!」


「あ、なるほど、工場勤務だからそういうのに寛容なのね。けど、やっぱり、キャラ的に無理が」


「よ・う・ち・ゃ・ん?」


 はい、すいません。

 おとなしくしています。

 おとなしくしていますが、ひとつ言わせてください。


「なんでもいいから早くしてくれ!! 俺はもう、さっきから、尿意がゲシュタルト崩壊しそうなんだ!! 簀巻きにされてからこっち、尿酸値も尿も溜まる一方なんだ!! このままだと俺は――三十歳おもらしプレイヤーになってしまうじゃないか!! アタイ、そんなマニアックな属性、自分でも受け入れられない!!」


「……お兄ちゃん」


「最悪な煽りだな」


 かくして、ここに、姉貴と美香さんの尊厳、俺の童貞、そして尿意を賭けたレースが始まろうとしていた。


 つづく!!

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