第29話
「九十度カーブノンストップノーブレーキ慣性ドリフト野郎?」
「はい。ご存知ないですかお兄ちゃん?」
「聞いたことないなぁ。廸子は聞いたことある、そんな走り屋の話?」
「んー、千寿さんが全盛期に言われてた『峠の降り龍』って二つ名なら知ってるけど、ドリフトってことは四輪なんだろ? 心当たりはないなぁ?」
「だって」
しょぼん、あきらかにしょぼくれた顔をする走一郎くん。
どうやら走一郎くんが、はるばるこんな山奥の田舎町にまでやって来たのは、その男が関係しているらしい。
いやまぁ、噂だから、本当に男かどうかは分からないけれど。
はぁしかし。
「お兄ちゃんたち地元の人なら、何か知っているかもと思ったけれど、ダメかぁ」
美少年のしょんぼり顔って、ここまで人の心を打つものがありますかね。
涙目浮かべて落ち込む走一郎くん。
その表情に、俺も廸子も思わず、先輩心というか保護者心というか。
なんかいろいろな心を動かされてしまうのであった。
顔がいいってのは卑怯。
性格もいいんだけれどさ走一郎くんはさぁ。
もうとってもおくゆかしい感じで、なんでこんな子がバイクに乗っているのって、疑問に思っちゃうくらいいい子なんだけれどさぁ。
まぁ、昨今は美少女がバイクに乗るアニメや漫画も多い。
美少年がバイクに乗っててもおかしいことなんて何もなかろう。
護りたい。
美少年とバイクという禁断の組み合わせ。
メカとショタは昔から相性がいいんだ。
俺は知っているんだ。
詳しいから。
とか、まぁ、そういうのは置いといて。
「ごめんね、あんまりお役に立てそうになくって」
「アタシも、こんな形だけれど、走り屋とかとは縁がないもんで。千寿さんとかなら、もしかすると何か知っているかもしれないけど、申し訳ない」
「と、とんでもないです!! むしろ、お兄ちゃんたちに頼らず、僕が自力で解決するべきことですから!! すみません、変なこと聞いちゃって!!」
真面目だなぁ。
ほんと、どういう理由で九十度カーブノンストップノーブレーキ慣性ドリフト野郎を探しているのかは分からないけれど、走一郎くんてばほんと真面目。
そんな風に言われちゃうと、お世話せずにはいられなくなっちゃうじゃない。
どうする。
俺と廸子は顔を合わせる。
この件、一番情報を持っているとすれば――。
「ババアに話を聞いてみるか?」
「まぁ、ここら一帯の族というか走り屋をまとめてたのは千寿さんだしね。今の走り屋事情についても、何か知っているかもしれない」
「……えっと、さっきから言っている千寿さんっていうのは?」
うちの不肖のババア、もとい姉貴でございます。
とは、なかなか言いづらいものがあるんだよなぁ。
そう、何を隠そうあの元ヤン経営者。
若い頃は、地元で名の知られたやんちゃなバイカーだったのだ。
暴走族ではない。
あくまでも走り屋。
峠最速を極めんとする、そういう感じの奴である。
ちなみに、アマチュアの大会に出て優勝したりしてる、結構ガチのライダーだ。
そして、そんなババアが全盛期につけられたあだ名が『峠の降り龍』。
その名前につられて、各県から名うてのバイカーが勝負を挑みに来たが、ことごとく返り討ちにして峠最速の名を護って来た。
そういう伝説がババアにはあるのだ。
なお、その時に使っていたバイクは、今も形を変えて受け継がれている――。
閑話休題。
そんな身内の恥を、いったいどのように話したものかな。
思いあぐねいていると。ドルンドルンと、重苦しい排気音が山奥に木霊した。
この鈴鹿八耐を思い起こさせる重低音は間違いない。
「私、出勤!!」
「ババア!! ちょうどいい所に!!」
「噂をすれば千寿さん!!」
姉貴である。
彼女はマミミーマートまでいつもバイク出勤。
かつての降り龍伝説をちょっと封印して、安全運転でやって来ているのだ。
もっとも、本気を出せばいつでも最速で峠をぶっ飛ばせるそうなのだが。
最近はガソリン代が高いのでどうとかこうとか。
と、ここで走一郎くん、青い顔をする。
これはいったいどうしたのだろう。
「そ、そんな馬鹿な!! あの、排気音はまさか!! なんでこんな所に!!」
「あっ、姉貴のバイクの音ね。わかっちゃうんだ、すごいなぁ」
「流石はバイクの本場、鈴鹿育ちだけはあるね」
「ほう。なんだ美少年、君もバイクに乗るのか?」
同じバイク乗りとして、興味があるという感じの表情をするババア。
おいおい、シンパシー感じてんじゃねえよ。
お前と違って、走一郎くんは、野蛮な走り屋じゃないんだよ。
もっとこう、バイクとの一体感とか、風を切って走る感じの爽快感とか、そういうのを求めているバイク乗りなんだよ。
そうだよねと問おうとするより早く、走一郎くんがマミミーマートの外へと飛び出す。
どうやら、居ても立ってもいられないくらいに、血が騒いだらしい。
仕方ない。
だって、姉貴の乗っているバイクは――。
「う、嘘でしょ!!」
「まぁ、誰でも最初はそう言うよね」
「というか、つっこまない方が神経どうかしているというか」
「ふふっ、古馴染みのバイク屋に無茶を聞いて貰ってな。強引にエンジンの換装をしてもらったのさ――」
そう、それこそは。
ホンダが世界に誇る名機にして、この世で最も乗られている原動機付自転車。
に、ゼロ年代最速のエンジンを搭載した、モンスターマシン。
に、更にお子様シートをくっつけたママチャンバイク。
その名も!!
「ホンダスーパーカブRC11V仕様ちぃちゃん複座型だ」
「ぎゃぁーっ!! 伝説の、伝説のバイクのエンジンが!! 伝説の原動機付自転車に!! 伝説と伝説の悪魔的合体!! しかも後部座席に赤ちゃんシート!!」
「原付の二人乗りって確かダメだよな」
「原付だけど、排気量的にバイクだから問題ないらしいよ。よく分かんないけど」
へなへなとその場に膝を折る走一郎くん。
まぁ、バイク好きなら、そのあまりにもあんまりな魔改造ぶりに、絶句するのは仕方ないってもんだろう。
姉貴もこの改造をするのに、珍しく眠れぬ夜を過ごしたというくらいだからな。
けどまぁ、やっぱり人の親になっちゃうと、子供が最優先になるのよね。
お子様シートは、しかたないのよ、やっぱり。
「小さい車体に大馬力のエンジン。さらに、後部に赤ちゃんシートを載せたことで、バランスは最悪。まさしく、融通の利かない赤ちゃんみたいなモンスターマシン」
「……でしょうね!!」
「しかし、それを愛と勇気とテクニックでカバーするのが真のライダーというもの。君も、走り屋ならば、私のこのバイク愛と娘愛の、分かちがたいもどかしさを分かってくれるだろう?」
「分かりたくないです!!」
ですよね。
解せぬという顔をするババアに、当たり前だろと言う顔を向けてやる。
ほんと、このババアは頭のねじがぶっ飛んでるから困るよまったく。
「……ところで、今日はセクハラがまだな訳だが。廸子ちゃん、俺という名のモンスターベイビーを乗りこなしてみる気はありませんか?」
「……こどものころからせいちょうしてないの?」
失礼な。
子供の頃からモンスターじゃい。
今はちょっと薬の加減でおとなしめだけれど。




