第20話
俺はニートだが約束は守る男、豊田陽介。
前に廸子と約束した通り、彼女の携帯をスマホにグレードアップするべく、ちょっと山を降りた場所にある市まで俺たちはやってきていた。
流石に私鉄の通っている市は都会度が違うなぁ。
道路は二車線。
平日だってのに人が道を歩いていやがる。
高校生の姿がやけに目につくのはもはやご愛敬。
その年頃は、時間と自由が有り余っているから、遊びたくなるのはよく分かる。
しかし、それにしたって――。
「田舎は携帯ショップも少ないときたもんだ」
「専門店、なんか軒並み潰れちゃって、今はイオンの中だけか」
「いざって時に頼りにならねえ奴、ってな。まぁ、お前の携帯をほったらかしにしておくほうが、ますますひどいことになるんだけれど」
とまぁ、そんなことを話しながら携帯ショップへ俺たちは向かう。
本当は格安スマホにしてやりたかった。
やりたかったが、よくよく考えると、廸子の家にはネット回線すらない。
今更、よくそんなんで、このご時世を生きてこれたなというものだけれど、これたんだからまぁすごい。
携帯なんてなくたって、仕事ができるという何よりの証拠だ。
別にだからどうしたというものではあるが。
流れるように機種変更の手続きをして、設定待ちに。
せっかくなので、二人でお洒落なカフェにでも入ることにした。
「奢るよ」
「はい、男だから奢るとか、そういうのナシな。お前、そういうのは、ちゃんと稼いでから言え」
「一応、傷病手当金は貰ってるよ?」
「それは稼いでるんじゃないだろ」
ごもっともで。
廸子さんがそういうの割とシビアというか、男性に対して余計な幻想を抱かないタイプの女性でほんと助かっております。一応、男の務めとして言ってみたけれど、ぶっちゃけ厳しいっちゃ厳しいのよね。
お金ってのは、なんだろうね、不思議なもんだ。
何もしなくても、息を吸っているだけで減っていくんだからさ。生きてるだけで金を払わなくちゃいけないって言うなら、地獄よな、人生なんて。
などと思うと背中を蹴られる。
「おらっ、暗い顔をしてんじゃねえ。せっかくのデートだろ」
「……えっ!? えっ!? 逆セクハラ!? 逆セクハラなの、廸ちゃん!!」
「いや、お前のリアクションがセクハラだよ!! 男女二人で出かけたら、言い逃れ用のないデートだろうがよ!!」
そう言って、廸子は頬を赤らめて、ふいすと明後日の方向を向いた。
◇ ◇ ◇ ◇
レギュラーコーヒーに、桜色したよく分からないフレーバーのマキアート。
ぶっちゃけ、それ、本当に美味しいのと聞きたかったが、廸子が楽しそうなので何も聞かなかった。というか、こんな飲み物ひとつで無邪気になるんだから、やっぱりこんな姿していても、女の子よね廸子ちゃんてば。
二人、顔を突き合わせてのカップル席。
こりゃ完全にデートですわ。
申し開きのできない、デートでございますわ。
「いやー、助かったよ陽介。実は、ちょっと前から、あの携帯調子が悪かったんだよな」
「金出すのはお前だから、別に感謝されることなくねえ?」
「けど、お前が誘ってくれなかったら、たぶんこのままだったぜ」
まぁ、そういうことなら、そういうことにしておく。
物持ちが良いのも考えものである。
物事にはなんにしても寿命というのがある。大切に使うのもいいけれど、どこかで見切りをつけるのも大切なことだろう。
そう。
どこかで、見切りをつけることも、また、大切なんだと――。
コーヒーを飲む。
前に通ったリワークの看護婦さんから、カフェインの摂取はあまりよくないですよと言われたっけか。
知るかお前。
飲みたいときに飲みたいものを飲むんだよ。
俺は手の中の黒い液体を飲み干す。
すると、効果はてきめん。
看護婦が言うからには効果があるのだろう。
なんだか暗い感情が、内側からあふれ出てくるのが分かった。
その感情は容易に言葉にすることができない。
しいて言うなら、日曜日のドライブに感じる寂寞感のようなものだった。
とても耐えがたい、今にも逃げ出したくなるような、どうしようもない寂しい時間。それに俺の心は捕まえられてしまった。
「……なぁ、廸子。お前さ、そろそろ、諦めてもいいんだぜ?」
「あん?」
「俺はさ、もうさ、これからまともに働けるかどうかも、分からないような人間だよ。貯金もろくにないし、田舎じゃ職もまともにないし、なにより前職の辞め方が最悪だ。雇ってくれる企業なんて、たぶんどこもないだろう」
「だから?」
だからって。
そんな風に、俺をいじめないでくれよ。
俺、別にお前にそんな風に、いじわるしたことないだろう。
どうして俺の言いたいことを、察してくれないんだよ。
お前が、どうしてそんな髪をして、どうして未だに結婚せずに、どうして俺のセクハラに耐えてくれているのか。
俺の病気に付き合ってくれているのか。
全部、俺だってもう、理解しているんだ。
ずぞぞと廸子がマキアートを啜る。
桜色が、唇の紅を溶かして、鮮やかに唇をしめらす。
少女の頃を過ぎ、花盛りを過ぎたが、それでも、廸子は美しかった。
女として、人間として、輝くような光を放っていた。
彼女が華なら、俺は、日陰に咲くシダ植物だ。
そんな想いが嫌でも頭を過る。
どうして、二人はこんなにも、違う方向に進んでしまったのだろうか。考えれば考えるほど、お互いがたどり着いた今の齟齬に胸が苦しくなる。
あるいは、もっと早く俺は彼女に助けを求めていればよかったのかもしれない。
あるいは、俺は彼女に対して、見栄を張らなければよかったのかもしれない。
もっと根本的なことを言えば――。
「あんな約束、本気にしているんだったら、やめておけよ。子供の戯言じゃないか。無効だよ無効」
幼い日に、彼女と交わした約束。
大きくなったら、廸子と結婚するというもの。
それを、彼女は愚直にまだ信じているのかもしれない。
俺がもうそんなことができる人間じゃないと分かっているのに。
あるいは、もし復活したとしても、まともに社会生活はおろか夫婦生活を送れるようになるまで、何年かかるか分からないというのに。
廸子の頑固さは、あの爺さん譲り。
筋金入りだ、テコでも治らない。
そんなの分かっている。
分かっている。
けれど、彼女の今後のためには、はっきりと俺は身を引くべきなのだ。
俺は――廸子にふさわしくない。
こんな俺は。
「そういやさー、子供の頃はよく、一緒にお風呂入ったりしたよな」
「……なっ!! なんだよいきなり!!」
「陽介も私も、別にそんなのなんにも気にしてなくってさ。男も女もなかったよな。仕方ないか、幼馴染なんだし。一緒にいると楽しかったんだから」
「もしかして、それに責任感じてんのか? だったら、尚のこと」
「……男とか、女とか、関係なくねえ。陽介と一緒に居ると、アタシは楽しい。だから、一緒に居るなら陽介がいい。結婚するのが女の幸せだとは思わないし、出生率を上げるために結婚するなんてノーサンキューだ。けどさ、世界で一番一緒に居たい人間と、堂々と一緒に居られる名分が得られるなら、アタシはそれも構わないかなって、そう思うんだ」
マキアートを飲み干して、ほぅと息を吐く廸子。
それから、おすそわけと言って、彼女は、マキアートに浮かんでいた、桜の花びらを一つ、俺のコーヒーの上に置いた。
なにがおすそわけなんだか。
思わず、笑いが漏れる。
「という訳で、アタシはまだあきらめないからな。これからもよろしく、陽介」
「お前これ、セクハラ案件だぞ、廸子」
「いつも許してあげてるじゃん。それに、なんだかんだで、嬉しいでしょ?」
壁もなく、自由に話ができるのって。
そうだな。
確かに。
嬉しいな。
「さ、そろそろ、時間じゃねえ。携帯取りに行こうぜ、陽介」
「……廸子」
「……今、無理に返事をしなくていいからさ。まぁ、気長にやろうぜ」
廸子は物持ちがいい。
根気がある。
だからついつい、彼女のそんな所に、俺は甘えてしまう。
このまま甘えてしまっていいのかな。
答えを出せず、俺は桜の花びらが舞うコーヒーを、飲み干した。
「あ、そうだ、携帯のデータ移行、マジでよろしく。私無理だから」
「もういっそパソコンやネット回線も整えちまうか」
「そんな金ねえよ。そうだ、確か陽介、パソコン作ったりしてたよな」
「それこそいつの話だよ。今更無理だっての――」




