第189話
ワイの名前はカルロスいいまんねん。
「千寿さん、廸子さん、今までありがとございました」
「いやいや、カルロスくん、顔を上げてくれ。君は本当に、マミミーマートの店員として、とても頑張ってくれた」
「カルロス。今までありがとうな」
「そんなそんな、皆さんのおかげで、僕もここまで頑張れました。故郷に帰っても、皆さんに受けたご恩は忘れません」
「そうか。向こうで、心機一転頑張るんだぞ。何かあったら連絡しろ。地球の裏側でも助けに行ってやるからな」
「千寿さんが言うと本気に聞こえますね」
今、ワイは別れの時を迎えています。
ついに日本での就労ビザの期限が切れて、業者と喧嘩別れしたので更新もできず、仕方がないので本国に戻ることになったんです。
けどまぁ、ここ数ヶ月、マミミーマートで働いたおかげで貯金はたっぷり。
懐がホットホットって奴ですわ。
「故郷に帰って、お店やるくらいのお金は貯まりました。これでなんとか、向こうで家族とやっていけると思いまス。ホント、マミミーマート、アザッシタ!!」
ワイの人生はこれからや。
新しい仕事、そして、懐かしい家族。
新生活への期待を胸に、今日、ワイはマミミーマートと玉椿町を卒業します。
ありがとう、玉椿。
ありがとう、マミミーマート。
「あとは、徒歩で駅まで行くんが辛いことだけやで」
◇ ◇ ◇ ◇
「え、カルロスくん、故郷に帰っちゃったの?」
「そう。就労ビザが切れたんだって。延長申請するにも、業者さんと連絡が取れなくてさ。お金も貯まったから、帰国してあっちで商売することにしたんだ」
「……へぇ、もうちょっとこっちにいるもんかと思っていたけど」
「はやく家族に会いたかったんだろ。仕事してるときも、よくバックヤードにあるパソコン使って、向こうの家族とテレビ通話してたもん」
それはちょっといろいろ問題のある行動ではないのか。
カルロスくん、結構あれだな。肉体労働系かと思いきや、そういうスキルもあるんだな。びっくりしたよ。
そして、カルロスのことを言いながら、ふと視線をお腹に向ける廸子。
彼女は愛おしげな手つきでそのお腹を撫でた。
まだ、マミミーマートの中だというのに。
ふへへと笑う彼女に、釣られて俺も思わず頬が緩む。
まぁ、カルロスくんの気持ちも分かるな。
家族と一緒の方が楽しいし嬉しいわな。
まぁ、まだ、病院には正式に行っていないのだけれど。
「そうそう、それでさ、カルロスくんいなくなっちゃったから、いよいよマミミーマートに男手がいなくなってさ」
「……ババア、もしかしてだけれど、俺のこと狙ってたりするの?」
「IT周りの管理者とかも欲しいし、陽介さえよければ雇いたいなって言ってるんだ。とはいえ、ほら、やっぱりなぁ?」
そうなってくると一族経営、ほんとにもうマミミーマートが俺んちみたいになっちまうな。さんざんネタにしておいて今更だけれど。
さらに、廸子も豊田家に加わる訳だから――。
うぅん、それはどうなんだろう。
家族経営が悪いとは言わないが、クルーをガッチガッチに固めると、いろいろと都合がつかなくなる。店の経営に意識が行って、家庭が今度はおろそかになる。
正直、それはよくない。
今でも、ババアはちぃちゃんの世話よりも、仕事を優先しているのだ。
それでなくても、家族というのはいろいろな仕事が頼みやすい。
赤の他人には頼めないことも頼めるし、また逆に、赤の他人からは決して分からない内部事情も分かるから、頼まれた方も断りづらくなる。
もし、だ。
ちぃちゃんを盾にして夜勤を頼まれたら。
逆に、俺たちに遠慮して夜勤を頼むのを姉貴が戸惑ったら。
親しい人間を経営者として招き入れるのは間違いではない。
資産や会社の機密をを守るのにそれは正解だ。けれども従業員として招き入れるとなると話が別。親族を労使するというのは時に、厄介事を押しつけることと同義である。それは結果として双方に負担を押しつけることになる。
お互いの幸せを考えたなら。
「……まぁ、単発バイトでマミミーマートの仕事を受けるのはいいけれど、本業は別に持っておいた方がいいだろうな」
「そうだよな」
「ババアのことだからよっぽど変なことは言ってこないとは思うけれど、そこはちゃんと線引きしといた方がいい。親父とお袋も、もうそれほど頼れないだろうし」
これから老いるのを待つばかりの親父とお袋に、子供の世話を任せっぱなしという訳にはいかない。頼るべき所は頼るが、俺たちでやれることはやる。
廸子が不安定な仕事をしている分、俺がある程度安定した仕事に就くべきだ。
彼女を完全に養うことができないにしても、時間的余裕により軽減できる生活上の苦労はあるだろう。
それを考えれば、マミミーマートで働くという、不安定と不安定を重ねるような選択は避けるべきだった。
もっとも、俺が安定した仕事に就けるかどうかという懸念は残るが。
結論は出た。
マミミーマートじゃ働けない。
ババアが誘ってきたとしてもこちらから断る。
そう思って顔を上げると、何故か廸子が気恥ずかしそうに顔を赤らめている。
どうして。
そんな照れるような会話、俺たちの間にありましたっけ。
「まぁ、さ、やっぱり、家族の時間が多い方がいいよな」
「うん、まぁ、そりゃそうだろ」
「同じコンビニに勤めてると、シフトがずれて生活時間がすれ違ったりとか、普通にあり得そうだもんな」
なにそれ、こいつ、そんなことを考えてたの。
どんだけ頭の中お花畑なんだよ。
まったく、どんだけ、かわいいんだよ。
そうね、その通りね、そういうすれ違いは寂しいよね。
そして、悲しいよね。
けど――。
「一緒にシフト入って、どこぞのバカップルみたいに、マミミーマートでラブコメハザード起こすのもそれはそれで嫌だろ」
「それは!! 確かにちょっと気を抜いたらなんかやっちゃいそうだけど!!」
「なぁ、俺らもういい歳なんだから、そこら辺はちゃんとわきまえないと。いちゃつくのはちゃんと家の中だけにしとかないと、ただでさえ玉椿は狭いんだから」
「……だれが、何を、いちゃつくんだって?」
ひゃい、と、俺と廸子が間抜けな声を上げる。
どうしたことだろうか、今日はもう上がったはずの姉貴が、マミミーマートの入り口に立っていた。
あれ、聞かれた?
もしかして、俺たちの話聞かれちゃった?
まだ、正式に挨拶しに行ってないけど、もしかして知られちゃった?
俺の背中に冷たい汗が流れる。
しかし、姉貴はため息を吐くと、手に持っていたヘルメットと、ライダージャケットの前をはだけて、勝手知ったる感じでアイスコーヒーを作り出した。
どうやら、肝心の所は聞かれていなかったみたいだ。
「カルロスくんの私物を預かっていたのを忘れてな、ちょっと届けに行っていたんだよ。その帰りだ。まったく、私としたことが迂闊だった」
「あ、そうなの、ご苦労様です」
「おつかれさまです、千寿さん」
「話の流れは察した、美香と実嗣のことだろう。まったく、あの二人の横暴には、こちらもほとほと困っている。もうちょっと、いちゃつくにしても場所を選んで欲しいというものだ。マミミーマートはそういう場所じゃないっていうの」
「……あははは」
「……そうですね」
すまん、美香さん、実嗣さん。
なんか濡れ衣かぶせてしまって申し訳ない。
けど、貴方たちが所構わずいちゃつくからいけないのよ。
自業自得ということで、ここは勘弁してください。
「それにしても、本当にあの二人の行動は目に余る。そのうち、ウチで子作りでも始めるんじゃないか?」
「「ブーッ!!」」
「そのままここで子育てし出して、家族団らんまでやりはじめて」
「いや、いやいや」
「流石にそんな、千寿さん考えすぎですよ」
「そして、成長しきった美香と実嗣の子供が――お父さん、お母さん、僕もそろそろ自分の部屋が欲しいって言い出して。その流れで、甥っ子が言うなら、私も見捨てられないと、二号店を出店して」
あ、これ、疲れてる奴だな。
姉貴、完全に疲れている奴だな、これ。
おかしなことを言う彼女に、まぁ、もう今日は休みなよと、俺と廸子は勧める。
その後も、壮大な家族計画――美香さんと実嗣さんによる大家族計画七男四女の愉快な早川ファミリー物語――を呟いていた姉貴だったが、最終的には俺たち勧めに従って、すごすごと家に帰るのであった。
いやはや。
「私も甥っ子や姪っ子が出来たら、どういう風になるかわからんからな。つい、かわいさにいろいろとやってしまうかもしれない」
「……まぁまぁ、美香さんたちの子供については、たぶん当分先の話だから」
「そうだな、まだあいつら結婚もしていないもんな」
「そうですよ」
まぁ、そっちはともかく、こっちの甥か姪はもう確実にいるんですけどね。
結婚していないけれど子供ができちゃっているんですけれどね。
あと数ヶ月くらいで、アンタとご対面することになるんですがね。
ババアを送り出しながら、ほんと、早く事情を説明しようと、俺は思った。これは長いこと隠すもんじゃないわ。隠せば隠すほど、厄介なことになる奴だわ。
「……廸子、今週末、時間取れそう?」
「……基本、アタシと千寿さんのシフトって、重なってないんだよね」
「だぁもう、もうこの時点で身内シフト組んでんだもん」
家族になるって、大変だなぁ。