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第171話

 夏の海は誘惑がいっぱい。

 男女が織りなす思惑の市松模様。


 カップル同士の旅行でも油断ならない。

 隣の彼が友達の彼女を。

 友達の彼女が貴方の彼氏を。

 夏の陽気に当てられて悪戯に誘うかもしれない。


 恋は夏の海に浮かぶ陽炎のよう。

 一瞬で湧き上がって消える、危険な愛。


「あはははっ!! ゆーちゃん、よーちゃんにだきついてこあらさんみたい!!」


「……なにやってんだゆずこねーちゃん」


「廸ちゃん。ちょっと、流石にそれは人様の前でどうかと思うな?」


 とか、格好つけて言えば、このこっぱずかしい状況もなんとかなるんですかね。


 ちぃちゃんが言ったとおりである。


 俺は今、廸子コアラという謎生物に抱かれたユーカリの木になっていた。

 ユーカリになって真夏のビーチに立っていた。


「やだっ!! 陽介ほっといたら浮気するから離れない!!」


「だから、あれは、たまたまで」


「たまたまかもしれないけどナンパされるかもしれないでしょ!! 陽介スケベだからホイホイついて行くに決まってるもん!! アタシが見てなくちゃ!!」


「いや、俺がナンパされる確率なんて千分の一くらいだよ?」


「いえ、陽介さん、五千分の一くらいかと」


「一万ぶんのいちくらいじゃねー」


「……えっと、一万一千くらいじゃないでしょうか?」


「みんな甘いわね。ようちゃんが結婚できる可能性なんて、八回生まれ変わっても一度あるかどうかよ」


「よーちゃんがもてもてとかゆーちゃんはなんでそんなありえなーことをきーしてるの? そんなのてんちがひっくりかえってもあーわけないよ?」


「君ら援護の言葉を少し選んで」


 自分でもモテないのは自覚している。

 廸子を安心させたいので否定はしないけれど、そこまで言うことないでしょ。

 確かにモテる要素一切ない、ブサメンではかろうじてないけれどイケメンでもない、普通の顔している俺ですけれど、そこまでいうことないでしょ。


 いや、腹を見るな腹を。

 無理して今、ちょっと人様に見せてもいいくらいの体型維持してるんだから。


 そうだよ、全体的に見るとなしよりのなし案件だよ。

 トータルコーディネートで大失敗。

 ジムからしかお声がかからない大惨事状態だよ。


 何が悲しくてこんなこと思わなくちゃならないかね、かーもうまったく。


 しかし、これだけ言っても、コアラ廸子は俺を離してくれない。

 無理もなかろうめ。

 あの出会いはいくら何でも反則だ。


 ――山波さやか。


 彼女の存在については前に包み隠さず廸子に話していた。

 彼女にされそうになったことも。彼女が望んでいたことも。そして、もう二度と彼女と会うことはないだろうということで、俺たちはすっかりと安心していた。


 いや、違うな。


 彼女がもう立ち入ることができない状況に踏み込むことで、俺たちは自分たちの関係が何者にも引き裂くことはできないと信じたのだ。

 そう、実際、信じていたのだ。


 今日このとき、この瞬間まで。


「とにかく、陽介と私は荷物番するから、あとは頼みます美香さん、実嗣さん」


「えー、アタシも運転で疲れたから、ちょっと休もうと思ってたのにぃ。あと、実嗣さんにオイル塗ってもらおうと思ってたのにぃ」


「アラフォーに脚突っ込んでおいて、そんな漫画みたいなことしないでください」


「廸ちゃん!?」


「おい、廸子!! やめろお前、いくら本当のことでも言っていいことと悪いことってのがあるんだぞ!!」


「ようちゃん!?」


 いや、実際、オイル塗りはあかんでしょ。

 あんた、もういい歳なんだから。

 そこは自覚しないといけないでしょ。


 実嗣さん、めっちゃ残念そうだけれど、この人が特殊なだけだからね。

 真夏のビーチでサンオイル塗る展開とか高校生の妄想だからね。

 妄想だから許される訳だからね。


 もう恋愛の仕方が中学生かよ。

 ここまで運転してきて貰っておいてなんだけれど中学生かよ。


 まぁ、チャン美香パイセンの恋愛中学生感はともかく。


 廸子の精神状態的が不安定なのは間違いない。

 彼女をこのまま放っておくことができない。いまこうして、フレンドリーに話しつつも彼女は無理をしており、可及的速やかに二人きりになる必要を俺は感じた。


 震えているのだ。

 さっきから俺の腕を抱えているその手が。


「という訳で、悪いんですけれど、美香さん、実嗣さんお願いします」


「……俺からもお願いできますか」


「んもー、しょうがないにゃぁー」


「えー、ゆーちゃんいっしょにおーがないのぉ?」


「せっかくうみにきてるのにもったいないぜ」


「はいはい、ジャリども、文句を言わない。大人には大人の事情ってものがあるのよ。今日の所はあきらめなさいな」


 なんとなく、美香さんは俺が口添えしたことでいろいろ察してくれたみたいだ。恋愛は中学生レベルの想像しかできない彼女だが、それでも、何かあるんだろうなと、俺たちの様子から察してくれたみたいだった。


 美香さん、助かります。

 ほんと、ありがとうございます。


 頼りになる姉貴分に連れられて、ぞろぞろと歩いて行く子供達。

 最後まで、こちらを心配そうに振り返っていたのは九十九ちゃんだが、彼女もやがて浜辺で遊ぶちぃちゃんに呼ばれて行ってしまった。


 はぁ、まったく。

 とんだ旅行になってしまったものだ。


「……廸子どうしたんだよ。そんな風に騒いだら皆も心配するだろ」


「……それは、私も、ダメだなって思っているけれど」


「なに言われたんだ、山波に」


 一段と大きな震えが彼女の身体から伝わってくる。

 あの短いやりとりで、ここまでおびえるようなことを言われるとは思えない。

 そもそも、山波もそういう風なことを言う奴じゃない。


 確かに彼女は、俺を利用しようとした。

 今日も俺に不意打ちを仕掛けて、俺たちの中をかき乱してきた。

 けれども彼女は彼女で闇を抱えている人間だ。

 自分の中にあるどうしようもない問題を、不用意に周りに撒いたりしない。


 いや、しないと信じたい。


 けれども、廸子はこの通りだ。

 見たことないほどに顔を青ざめさせて、そして、最後には俺の腕にすがりつくような事態になってしまった。


 なんだ。

 いったいどんな言葉をかければ、彼女をここまで追い詰めれる。


 その正体が分からず、俺はただ、廸子に寄り添うことしかできなかった。


 海辺から、楽しそうな喧噪が聞こえてくる。

 その中には聞き慣れた声も混じっている。


 美香さんがちぃちゃんとひかりちゃんをあやし、それを少し離れた所から九十九ちゃんと実嗣さんが見守っている。

 走一郎くんが女の子達に絡まれたかと思うと、颯爽と夏子ちゃんが現れてそれを追い払っている。


 そんな光景を前に、俺たちは何をしている。

 今日は一日、のんびりと穏やかに過ごすんじゃなかったのか。

 どうして、こんなことになる。


 その時、ぎゅっと、廸子が俺の手を握りしめた。

 指先を搦めて、手の甲に指の腹を食い込ませるほどに強く握ると、彼女は、ごめんね、と、意味の分からない謝罪を俺に投げかけてきた。


 顔は見れない。

 だって、きっと、今、彼女は泣いているから。


「……いま、ちょっと、気が動転してて。ごめん、すぐには話せない」


「そんな酷いこと言われたのか。あれだったら、俺、文句言ってきてやるぞ。お前の方が俺にとっては大事だし」


「うぅん、違うの」


 あの人は悪くないのと、廸子は言ってしゃくりを上げる。


 じゃぁなんでお前は泣いているんだ。


 俺が、情けないからか。


 幼馴染みの涙も拭えないくらいに、俺がどうしようもない男だからか。

 だからお前を泣かせるようなことになっちまったのか。

 廸子、どうして何も俺に言ってくれないんだよ。


 俺は、お前のことを――。


「明日、帰ったら、ちゃんと話す」


「……帰ったら?」


「うん。ちゃんと話すから、それまで、お願い。ちょっとだけ待って」


 そう言って、幼馴染みはまた俺の手を強く握りしめた。

 まるでこの世界からこぼれ落ちてしまいそうなのを、必死に耐えるように。

 その痛みを引き受けることしか、俺にはしてやれることはなかった。


 やがて黄昏がやってくる。

 日の沈まない東の海は、濃紺に徐々に彩られていく。


 その闇に掴まる前に俺たちは海岸を後にした。

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