第165話
普通に職業訓練が始まった。
いや、普通にと言っても戸惑うことは多く、まさか入所に当たって制服やらなにやら買うことになるとは思いもしなかった。
私服で緩くやれるかと思っていたら、そんな感じでもないのね。
あとやってくる人も十人十色。
年齢もバラバラ。
動機もばらばら。
「まぁ、次の就職先決まるまでの繋。ぶっちゃけ給付金がもらえればいいかって」
「長いこと事務の仕事してきたんだけれど、ほら、このご時世それだけじゃね。前の会社も業績が怪しかったから、ちょっと新しい分野も勉強しようかなって思って」
「働くのめんどくせえ」
「俺これで四回目だよ。いやー、いったい何回受けんのって面接の時に言われちゃったよね。けど受かっちゃうから不思議なもんよ、あはは」
「前の仕事で全然知識ないのに電気系の部署に回されて。わけわかんなくなってやめたんですよ。けど、これくらいしか職歴なくて、復習がてらに受けた感じっすね」
いろんな動機があるんだな。
同時に、まぁ、みんな普通に生活苦しそうだなって感じであった。
とまぁ、そんなやりとりをしつつ、職業訓練校は緩い感じで始まった。
正直――。
「こんな調子で本当に俺ら、再就職できるんですかね?」
と、思ったが。
「「「さぁ?」」」
と、一緒になった同年代っぽいメンバーに返されてしまったら、もはやそんなもんかで受け入れるしかない。
まぁ、なんとかなるだろう。
一応、就職率は、九割あるそうだし。
どういうとこに就職したかどうかはしらんし、その後どうなったかも知らんけど。
初日は校内の説明と一緒に仕事をすることになったメンバーへの自己紹介。
あとはテキストを配布されて、はいお開きということになった。
ほんと、なんていうか、緩いシステムだ。
「あー、あとですね、明日から三日間は、違う学科の入試日程が入っておりますので、授業は休講になります。こんな感じで、ちょいちょいお休みという日がありますので、その日を使って皆さんは就職活動など頑張ってください」
「「「やりぃ五連休じゃん!!」」」
「はいそこ、正直なのはいいけれど、もっと危機感持ちましょう。皆さんは再就職のための技術を学びに来ているんですよ――」
とは言われたが、ぶっちゃけ、実感は沸いてこなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「つー訳で、明日から五連休入った。土日基本休みなんだけれど、この連休はマジで貴重でございますし、これからの職業訓練のモチベーションを上げるために、大切な休暇かと思いますので、いかがいたしましょうか廸子さん」
「……い、いかがいたしましょうかって、お前。話が急なんだよ」
学校帰り。
割と普通にコンビニに寄った俺は、廸子と顔を合わせるなり予定を聞いた。
季節はまさしく夏真っ盛り、そう、サマーシーズン。
浜辺がまぶしい季節である。
いくしかない、この夏の誘惑に。
とはいえそこはコンビニ勤務の廸子さん。
うぅん、うぅんと、目を回す辺り、どうやらシフトが詰まっている様子。
これはやっぱ、いくらなんでも急だったかな。
とはいえ、スケジュールを貰ったのが今日なのだから仕方ない。
うぅんと、俺と廸子は顔を揃えて顔をしかめた。
まぁ、なんです。
前回の温泉旅行は、俺も覚悟が決まっておりませんでしたから、しっぽり大人なアダルト旅行にはならなかった訳ですよ。ハマコー的にはならなかった訳ですよ。
けど、ここ最近ハマコー的なハードルを越えてしまった俺たちですよ。
そら当然二人で旅行に出かけたら、ハマコー的な感じになる訳ですよ。
もう、ハマコー出張回みたいな感じですよ。
というか、ぶっちゃけしたい訳ですよ。
もちろんラブホでもそういうのは味わえますよ。
えぇ、それはもちろん。
けれども、やっぱり、旅行先は旅行先で憧れじゃないですか。
出張先のホテルで、旅館で、しっぽりとか、男なら憧れる奴じゃないですか。
それでなくても夏じゃないですか。
そして、廸子もまんざらでもない感じじゃないですか。
だから押す。
あえて押し通す。
ここで中途半端に引いてしまったら負けだ。
「なんとか、連休、今からでも作れないかな、廸子」
「って言っても。玉椿もサマーシーズンだからさ、キャンプとかしに来る客の相手で忙しくって、シフト簡単に外せないんだよね」
「じゃぁもう、ババアに夏風邪引いたって言っちまって」
「いや、流石にそれはバレるだろ」
「じゃぁ、あの日だってことにして」
「おまえそれ普通にセクハラだし、そんな状態の女を旅行に連れだしたら、もう何言われるかわかんねーぞ!!」
くっ、万策尽きたか。
月のネタも出ただけに。
そうなんだよな、なんだかんだでコンビニ勤務って激務なんだよな。
シフトを組むのも大変っていうか。
一人抜けるだけで大変っていうか。
それが分かっているから、やっぱ難しいんだよなぁ。
「……あ、けど、かろうじて金曜と土曜日なら、なんとか時間的に」
「まじで?」
「金曜日が休みで土曜が昼からだから――無理さえしなければ」
無理をしにいくんじゃろうがい。
そら普通の観光になっちゃうじゃろがい。
そして、それじゃ近場にしかいけないじゃろうがい。
やはり万事休すか。
ぽこっと沸いて出た休みである。
そんなのにすぐ対応できるようなものではない。
一週間前ならば話もスムーズに進むが、調整している時間もないのだ。
いや、そもそもどうやって調整しろというのか。
恋人とアバンチュールな夜を過ごしたいのでシフト変えてくれませんか。
そら、雇い主が赤の他人だったらできるかもしれないが、あの姉貴だぞ。
絶対に勘ぐってくるし、要らないちょっかいかけてくるに決まっていやがる。
やはり万事――。
「なんだ陽介。連休になったのか。なるほど、それで廸ちゃんと遊びに行きたい訳だな。まったく、破廉恥な奴め」
「ババア!! なにしれっと立ち聞きしてんだよ!! まだシフト前だろ!!」
「別にシフト前だろうと後だろうと、私の店なのだから居たって構わないだろう。お前のような迷惑な客が居座るよりよっぽどマシだと思うのだが」
ちょっと強い口調で迫られてしまった。
これ、ババア結構怒っているぞ。
いやけど別に怒られる必要なくない。
どちらかと言えば、俺らの話を盗み聞きされた訳で。
俺たちのプライバシーはと逆に注意したいくらいだ。
まぁ、言う勇気はないけれど。
「ふむ。まぁ、しかし、この夏場にふいに出来た休みだ。遊びに行きたいという気持ちは分かる。加えて、マミミーマートには夏休みがないからな」
「え? ないの?」
「……代わりに秋休みなんだよ、お盆は基本的に人が帰ってくるから開けておかなくちゃだろ。それでまぁ、それが一段落ついた頃に休みはずらしてんの」
「しかし、私の裁量で、土曜日のシフトを変わってやってもいい。このマミミーマート玉椿店、店長の私の権限で土曜日のシフトをずらしてやってもいい」
お、なんだよ、話が分かるじゃん。
ババア、たまには社員を思いやったことをするな。
とでも言うと思うたか。
お前がなんか企んでんのは百も承知の介。
どうせこっちにまた厄介ごとを任せるつもりなんだろう、そうはいくか。
けど、一応聞いておく。
「なんだよ、その条件って」
「私たちでできることならば飲みますけれど」
「ふふふ、なぁに簡単なことさ」
そう言って、邪悪に微笑む我が姉貴。
いったいなんておそろしいことを言い出すのかと思いきや彼女は――某志摩の方にあるアトラクション施設のチラシを俺たちに差し出してきたのだった。
うん?
「ちぃの奴が、遊園地に行きたいと言っていてな。連れて行ってやりたいのはやまやまなのだが――流石に最近身体にガタが来ていて」
「……あ、おつかれさまっす」
「ババア、本当に体力までババアになったのかよ。草はえぷぎゃぁっ!!」
ババアのパワーボムが俺の喉に炸裂する。
マミミーマートの床に久しぶりに俺を沈めて、まるで汚いモノを触れたような感じに腕を拭いた彼女は、つまりだ、と、直接的に要求してきた。
そう――。
「私に変わって、ちょっとちぃを連れて行ってくれないか。遊興費については出そう。流石に夏休みに遊びに連れて行ってやれないのは、可哀想なのでな」
なんともいじらしく、そして母親らしい、お願いを。
もちろんこの申し出を、断る理由なんてありはしなかった。
大人のしっぽり旅行は、ちょっと慎む必要はあるけれど。
それはそれ。
ちぃちゃんの笑顔には変えられなかった。