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第153話

「豊田陽介さん。えぇっと、病気事由で退職されて最近まで療養されていたと。前職から離職した際に雇用保険は使われておりませんし、病気の治療で待機期間は過ぎておりますから――大丈夫ですね、失業手当給付の適応要件は問題ありません」


「本当ですか!! よかった……」


「あれ、親元に同居され――あっと、すみません、失礼しました」


「いえ。実際、親におんぶに抱っこで。預金もあまりなかったので助かるといいますか。ほっとしたといいますか」


「……重ね重ね申し訳ございません」


 いやいや俺が無職なのが悪いからね。

 そんな丁重に謝られるようなことじゃないからね。


 とはいえ、実際おっかなびっくりだったのは事実。


 なにせ前の仕事を辞めて、一度再就職してからの受給である。

 次の仕事を一年も経たずに辞めたこともあり、大丈夫かと気にしていたのだ。受給の仕組みを調べて、失業給付を貰わずに再就職したパターンなら受給できると知っていたのだが、それでも大丈夫かなと心配していたのだ。


 こうしてハローワークで失業給付が受給できると聞いてほっとしている。


「えっと、病気事由で受給延長をしていますので、就労可能の診断書をいただいた後、待機期間を経ての受給ということになりますが、それはよろしいですか」


「はい」


「診断書は本日お持ちですか?」


「持ってきています」


 お預かりしますねと、俺より若く、有能そうなハローワークの職員さんは、封筒に入れられた診断書を受け取る。


 中身をあらため、はい、間違いありませんねと頷く。

 少々お待ちくださいと言付けて、彼女はカウンターの前を去った。


 ハローワークに来たのは初めてではない。

 もっとも、以前訪れたのは大阪のハローワークだったが。

 場所が変わっても、なんというか緊張する施設だ。


 前に訪問したときには、再就職先が決まっているんですと、それだけで話は済んでしまった。できれば長居したくないというのが正直な感想だ。

 俺のようなダメ人間には胃が痛い。


 いよいよ医者から就労許可が出て、図書館通いも安定してできるようになった。就労許可が下りたといっても、あくまで医者と俺の間で交わされた口だけのことで、実際には生活リズムができあがってからと医者からも言われていた。


 それも、昨日の診察を持って無事にクリア。


 一ヶ月、しっかりと昼間に生活できること証明した俺は、正式に診断書を貰って、本日、失業保険の受給延長を解除しに来た次第である。


 これを解除したら、後はもう、本格的に就職活動再開だ。


 そうなると、もうぶらぶらしているのは難しくなってくる。


 それこそ、廸子のコンビニに通うのだって、これからは難しくなる。

 送り迎えも手伝ってやれなくなるかもしれない。


 いろいろ葛藤はある。

 けれども、いいかげん再就職への一歩を踏み出すべきだ。

 そう感じたから、俺はこうしてハローワークにやって来た。


「就職活動か」


 はたして、こっちで就職が上手くいくかなんて分からない。

 そもそもとして、希望する職種に就職できるかも分からない。

 生活のリズムも、一ヶ月、ほうほうの体でなんとか持ちきったというのが素直な感想で、また乱れないかと言われれば自信は無い。


 なにより仕事のストレス。

 これが怖い。


 仕事の難易度よりも、タイトなスケジュールや偶発的な割り込みイベントで、ストレスが蓄積されたという実感がある。仕事でなくても、それは俺の身に起こる。

 これから就職活動で、それらと付き合わなければならないのは素直に恐怖であり、今日の夜にでも俺はまた不眠を再発しそうな不安があった。


 やはり、急ぎすぎたんじゃないだろうか。


 もうちょっと時間をおくべきだったんじゃないか――。

 そんなことを思って顔を蒼くした俺に。


「はい、それじゃぁ、今日で受給延長解除の手続きは完了しました。あとは7日間の待機期間の後、説明会がありますのでそれを受けてからの受給になりますね」


「ズコー!!」


 梯子を外すような言葉が飛んできたのだった。

 なんじゃいそら。


 まぁ、制度なら、仕方ないわよね。

 気構えてきてちょっとびっくりした。


「他、何か質問などございますか?」


「あ、えっと、できればですけれど、職業訓練を受けたいなと思っていまして」


「ほうほう。具体的なコースなどは何かお考えで?」


「恥ずかしながら、何も分かっていなくって」


 それでしたら――。


 そう言って、カウンターの職員さんは、机の下からパンフレットを取り出した。


◇ ◇ ◇ ◇


「溶接、機械加工、電気工事、建築。へぇ、いろいろあるんだな、職業訓練」


「親父からも話は聞いてたけど、電気工事と建築辺りが楽らしいわ」


「楽らしいって……」


「就職するために行くんじゃねえのかって言いたいんだろう。俺も言った」


 したら親父の奴はこう返してきたのよ。

 馬鹿野郎、そんな付け焼き刃で役に立てるような世界じゃねえ、そんなの教える側も織り込み済みだって。


 本人の実感から来る言葉なのか。

 それとも実際向こうが言っていたのか。


 ぶっちゃけ、そこんところは分からない。

 けれど、とにかく親父は俺の真面目な質問を軽く鼻で笑った。

 さらに、自分と同期になった人たちが、そりゃもう自由な感じに職業訓練をやめて行ったのを嬉々として語った。


 結局、親父の頃で最後まで職業訓練に通いきった人は半分もいなかったし、その半分も、所属していた学科と全く関係の無い――自分が前にいた業界だとか、その時人気だった業界だとかに散っていったそうだ。


 ほんと――。


「職業訓練の意義とは」


「とは」


 セーフティーネットをやる上での必要な建前だよと親父は言った。

 ぶっちゃけちょっと理解できなかった。


 まぁ、これからお世話になる制度に、いちゃもんつけるのはどうかと思うが。


 いやしかし一方で真理よね。

 そんな簡単に就職できたら、世の中苦労はしませんわ。

 新卒の時にも思い知ったけれど、世の中そうそう優しくはできておりませんわ。


「まぁ、今度見学会があるみたいだから、それ受けてくる」


「それが一番だな。やっぱり実物見ないと分かんないだろうし」


「……そんだけ?」


「うん?」


 廸子は不思議そうに首をかしげた。

 俺が何を言いたいのか、何を問うているのか、ちょっと分からない感じの顔だ。


 えっと。

 俺としては、結構今回の件、勇気を持って切り出したんだよ。

 廸子には就労許可出てたこと黙っていたし、図書館に通っているのは言っていたけれども、こんなに早く働けるようになるとは言っていなかったし。


 なので、当然。

 文句くらい出てくるかなって。


「やればいいんじゃない。ぶっちゃけ、私もおじさんの話を聞いちゃうと同じ意見かな。お金を貰うために行くような場所でしょ、こんなの」


「それ絶対怒られる奴だよ、廸子ちゃん」


「いやけど、ごりごりの工業系の職業訓練ばっかりじゃん。これまでの陽介の人生とか経験とか、まるで無視してのこれでしょう。ちょっとねぇ」


 どうせ働くなら、ちゃんと自分の納得した環境で働きたいだろ。

 と、廸子。


 随分とまぁ、優しいことを言ってくれるな。


 それが嬉しくもあり、ちょっと辛くもあった。

 なんだか我慢させているみたいで。


 本当は、なんでもいいから働けくらい、言ってくれてもいいのに。

 黙っていたことを怒ってくれたって構わないのに。


 カウンターの中で、荷物を整理するフリをして、そういう本音を隠す。

 幼馴染みのけなげさや思いやりが、その時ばかりは少し重たかった。


 いや。

 その優しさから逃げちゃだめだ。


「まぁ、なんにしても、そういうことだからさ。俺、ちょっと頑張るわ」


「おー」


「朝、送り迎えとかできなくなっちゃうけど、ごめんな」


「大丈夫だよ。最近はシフトの融通がちょっと利くようになってきたし」


「けどなんかあったらすぐ駆けつけるから、頼ってくれていいからな」


「大丈夫だって」


「……あとなんか失業保険で小金が入るから、そろそろホテルとか行こうか」


「行こう行こう」


 と、俺の誘導にすっかりひっかかった廸子。

 顔を真っ赤にしてこちらを振り返った彼女に、やぁいひっかかったと、俺はとびっきりの悪い笑顔を浴びせてやるのだった。


 ははは、ほんと隙の多い奴。


「いかねえからな!!」


「えぇ、行くって言ったじゃん。いいじゃん、行こうよ廸子ちゃん。俺、玉椿町に住んでるのに、一度も入ったことないの、実は地味にショックなんだ。三重一のラブホテル山岳都市、玉椿町に住んでいるのにラブホテル入ったことないの」


「別に入らなくてもいいだろ!!」


「え!? 流石にそれは――ちょっと初めてにしてはマニアックじゃねえ!?」


「そういう意味じゃねえよ!!」


 そうやって、また、セクハラで誤魔化して。

 俺はちょっとむなしい気分に浸ってしまうのだった。


 こんなどうけを、いったいいつまで、おれはつづけるんだろうかね。


 再就職という名の審判の日は、もうすぐそこまで迫っているのに。

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