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第150話

 図書館生活も随分慣れてきた。

 やっぱ人間、規則正しい生活って大事だな。

 図書館で日中過ごすようになってからめちゃくちゃ体調がいい。


 コンビニに通っていた時期も悪くなくはなかったが、デスクに座って本読んだり勉強したり、そういうのが効いているんだろうな。

 睡眠の質がだいぶ改善されたように思う。


 ほんと、図書館さまさまだ。


「あ、豊田くん。今日も来てたんだ。いい加減、次の仕事見つけなよー」


 あとは同級生が図書館で働いてさえいなければ、言うことは無い。

 言うことは無いんだけれどなぁ。


 山波さやかさんは今日も今日とてフレンドリー。

 俺の姿を見つけると、こっちの「同級生とお話しするなんて無理でおじゃる」という気配なぞまったく気にせず接近してくる。


 ほんと、このパーソナルスペースのえぐいくらいの狭さはなんなのだろう。

 元陰キャの者とは思えない。


 いったい大学で何があったら、こんなコミュニケーションモンスターになるの。


 けど、今の俺にとっては迷惑至極、勘弁してくれ。

 高校時代の同級生に今何してんのとか聞かれるの拷問じゃないです。

 俺はそう思うな。

 みんなはどうか知らないけれど、俺はそう思っちゃうな。


 というか、拷問ですよ、マジで。


「あー、いい会社があればいいんだけどね。なかなかねぇ」


「選り好みしてるからダメなんだよ。仕事なんて慣れだよ慣れ、慣れたもん勝ち。あと、仕事に夢を抱いててもご飯は食べられないよ」


「分かっておりますよ。そりゃ分かっておりますけどね」


「なんて、流石にいい大学行った頭のいい人は考え方が違うか」


「いや、そんな言うほどたいした大学じゃなかったですけど」


 むしろ堅実に地元の市役所に勤めて、健康に仕事をしていらっしゃる、山波さんの方がよっぽど頭がよいと思いますけれど。


 ほんと、人生設計しっかりしているといいますかなんといいますか。

 俺なんて、これからはITだよと、勢いで進路決めたような所ありますからね。


 そしてこの、田舎に帰ってきたらどこにも居場所がない感ですからね。


 マジで、地元に帰ってくることをちゃんと見越して、大学選んでおくべきだった。今から巻き返すのは、常識的に考えて難しいものがあるってもんですよ。

 はー、ほんとつらみ。


 こういうことを、山波さんと顔を合わせると思うから、辛いんだよね。


 そして、そういうのって顔に出ちゃうんだよね。

 困ったことにさ。


 俺って、そういうの下手クソだから。


「あっ、ごめん、もしかして、結構気にしてた?」


「いや、別に? というか、まぁ、本当のことだから、俺も何も言えないっていうか、なんていうか。とりあえず、山波さんは何も悪くないよ」


「素直だねぇ、相変わらず豊田くんは」


 そんな言うほど素直だったっけか。

 というか、俺、彼女とそんなに関係を持っていた覚えがないのだけれど。


 くすくすと笑う山波さやか。

 時間は人間を簡単に変えるなと戸惑う俺を残して、彼女は業務に戻った。


「あ、そうだ。今日、午後から大雨らしいよ。気をつけてね、陽介くん」


「マジか。あぁ、まぁ、けど、俺、車で来てるから」


「車まで移動するのが大変なんじゃない? なんてね?」


 いたずらっぽく笑う山波。

 そんな彼女の顔を、俺は高校時代、一度も見た覚えが無かった。

 ほんと、時代は残酷に人を変える。


◇ ◇ ◇ ◇


 雨は午後十四時頃から降り始めて、やがて十七時に滝のような大雨になった。

 もともと三重県を含む東海三県は、地形的に伊勢湾からの湿った空気が流入するようになっており、梅雨から夏場にかけては夕立になることが多い。


 今日俺が遭遇したのも、まさしくそんな感じの大雨。

 大粒の雨が鉛色した雲から降るのを眺めながら、俺は後ろ首を搔いた。


 図書館の入り口から見える俺の車はすでにずぶ濡れ。

 どうしてもうちょっと近くに止めなかったのかねと後悔する位置にあるそれを見据えて、俺は仕方なく走って行く覚悟を決めた。

 いろいろと、復職に向けての参考書――仕事に役に立つかは分からないが――を持ってきていたのだけれど、こりゃガビガビ待ったなしだな。


 なんて思ったときだ。


「あちゃー、すごい大雨。こりゃバスも停まる訳だわ」


「山波?」


 俺の隣にひょっこりと、知っている顔が現れた。

 高校時代の陰気な感じをどこかに置いてきた山波さやかに間違いなかった。


 おかしいな。

 まだ、図書館は開館時間のはずなのだけれど、もう上がるのだろうか。

 そんな疑問がやっぱり顔に出ていたのだろう。

 山波は俺の顔をみて人の悪い笑顔を向けてくる。


「今日は早上がり。ウチは結構、市街地の図書館だから人手については足りているんだよねぇ。パートさんも多くってさ」


「……そうなんだ」


「けど、やっぱり正社員扱い――地方公務員だと目が厳しくってね。週一が限度かな。けど、そんな日に雨に降られたらたまったもんじゃないよ」


 そう言って、にんと彼女は携帯傘を俺に差し出す。

 なんとなくコミュ障気味の俺でも、彼女が何を欲しているのか分かった。


 どうしたらいいのか。

 迷うより早く、山波が距離を詰めてくる。


「よかったらさ、家まで送ってくれない、豊田くん」


「……いや、それは、流石にちょっと」


「冷たいなぁ。この大雨の中を私に歩いて帰れと。きっと風邪引いちゃうなぁ。それだけで済めばいいけれど、もしかしたら事故とかに巻き込まれて」


「……分かった送るよ。けど、断じて下心とか、そういうのからじゃないからな」


 分かってるよ、と、そう言って、彼女は俺に傘を握らせる。

 いかにも、高そうな携帯傘は、模様も何も無い無地のもので、女性っぽさもない濃いグリーンのものだった。

 広げれば、どうにかこうにか自分の体が入る。

 本当に小さいものだ。


 代わりに荷物を預かってくれるというので山波に鞄を預けた。

 ざぁざぁと降る雨の中を、俺は傘を差して、水たまりをよけて車へと移動する。


 イモビライザーでロックを外す。

 運転席に入ってから傘をしまう。

 そのまま助手席にたたんで傘を置くと、車を発進させて山波が待つ図書館の出入り口へと移動した。


 停車するや。

 すぐに山波はこちらに走ってくる。

 そのまま、俺の後部座席に座るかと思ったのだが――何を思ったか、山波はわざわざ車を回り込んで、助手席の方へと上がり込んだ。


「ひゃぁ、冷たい。もう夏なのに、雨は冷たいねぇ」


「……いや、山波、後部座席に座ればぬれなかったじゃん」


「……あぁ、そっか」


 そっかって。

 言いながら、彼女はぱたりぱたりと、羽織っているセーターを揺らす。

 膝の上に待避させた折りたたみ傘を、ちゃんとたたんで足下に置く。


 水に濡れたブラウスの奥。

 ベージュ色とは違う、またパステルカラーとも違う、大人の色が見えて、俺はどきりと胸をならした。汗ばんだ肌が、ブラウスの開けた襟の中から見えている。


 強烈な、女の匂いに、俺はどうにかなってしまいそうになった。


「……嫌だねぇ、梅雨って。ほんと、嫌い」


「梅雨が好きだなんて奴、この世には居ないだろ」


「それは人類に対する大いなる偏見だよ豊田くん」


「そうかねぇ」


 俺は君のように、地方公務員試験を受かるほど頭がよくないので分からないよ。そんな冗談が浮かんだけれど、どうして口には出なかった。

 無言で、俺はエアコンを切って送風にすると、車を出発させた。


 濡れた山波に、冷たい風は流石に毒だろう。


「家、どの辺り?」


「駅前」


「んじゃ、駅の前にある銀行でいいかな?」


「いいよ。そこからならほとんど濡れずに帰れるし」


「たしか、実家はもっと南だったよな? 今は一人暮らし?」


 うぅん、と、山波は首を振った。


 その否定が、どういうった意味合いを持つ否定なのか、俺にははかりかねた。


 ただ単純に、一人暮らしではないということなのか。

 それとも、もっと深い意味があるのか。

 こうして俺と一緒の車に乗ることが背徳的に感じられるようなことなのか。


 俺にはどうにも判別がつかない。


 ふと視線の行った山波の指先には、やはり、彼女の今の身持ちについて証明する装飾品は何もつけられていない。


 そんな俺の視線を、彼女はやはり読んだのだろう。


「仕事、忙しいんだ。私のメッセージも見れないくらいに」


「……そう」


「まぁ、お互い様な部分はあるんだけれどね。仕方ないよね、一緒に暮らすってさ。いろんなことの妥協の積み重ねだから」


 そう言って、山波は何もつけられていない、左手の薬指を眺める。

 それもきっと彼女の言う、妥協の一部なのだろう。


 一瞬、高校時代の山波――俺と同じ陰気な空気を友達にしていた――の姿が今の彼女に重なって見えた。


 どれだけ変わったように見えても、やっぱり、彼女はそうなのかもしれない。

 いや、もしかすると、高校時代の彼女も、今の彼女も、全部かりそめで、本当の山波さやかなんてものは、存在しないのかもしれない。


「……陽介くんはさ、いいね」


「なにが?」


「自由で」


「それは捉え方次第だよ。俺は確かに時間的には自由かもしれないが、金銭的には不自由している。自立している山波さんのほうが、俺からしたらいいなと思う」


「……そんなことないよ」


 これ以上、この話を続けてはいけない気がした。

 深入りしては、取り返しのつかない間違いを犯す。

 そんな予感がした。


 だから、俺は黙り込んだ。

 ラジオをつけて、女性パーソナリティーのトークに耳を傾けているように装う。


 雨はしとどに俺たちの頭上に降り注ぐ。

 ラジオの声も、俺たちの会話も、息づかいも、沈黙の中に隠された思いもかき消すように、夕立は激しく降り注いだ。


 やがてたどり着いた駅前の銀行で、俺は駐車もせずに山波を降ろした。

 警備員に見咎められれば怒鳴られるが、雨は相変わらず激しいままだ。警備員達は駐車場のことよりも、テレビから流れてくる気象情報の方が大切らしい。


「ありがと」


「どういたしまして」


「……よかったら、うち、上がっていく?」


「遠慮しておくよ」


 そう、言って、俺は山波さやかに手を振った。

 昔からは想像がつかないくらいに美しく、そして、女になった少女に。


 少女は、なんだか寂しそうに笑って、そっかと言って車の扉を閉めた。

 時刻はまだ十七時を過ぎていない。

 ほんの一時間のできごとだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「……他の女の匂いがする」


「すみまちぇん、図書館で同級生が働いていまして。大雨だったので乗せて家まで送ってあげました。浮気とかそんなのでは断じてないです」


「……ほんとだろうな」


「ほんとだよ、マジで!! というか俺のようなニート道をひた走る男に、そんな浮ついた話くると思ってんの!! 廸子ちゃん、ちょっと冷静になろうよ!!」


 ほんでもって廸子も勘がいいのな。

 すぐ、自分以外の人間を車に乗せたの分かりやがるの。

 はーもう、はーもう、女性って怖いわ。


 ほんと、怖い。


「……浮気すんなよ」


「したらどうなるの?」


「……めっちゃ怒る」


「じゃぁしない」


 ほんで、怒りながらデレるから反則だわ、こんなの。

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