第135話
私の名前は五十鈴川エルフ(ペンネーム)。
ラノベ作家を目指している三重県南勢地区在住のティーンエイジャー。
学校には通っていない。
だって行くだけ無駄だから。
男子も女子も猿並みの知能しかない。
あんな集団の中にいたら、私の感性が腐っちゃうわ。
そう、私のこの明晰な頭脳は、高尚な物語を紡ぐためにあるのだ。
それをあんな猿とのコミュニケーションですり減らす必要なんてない。ないんだから。うん、ないと思うな。ないと信じたい。
ちがうもん。
ひきこもりじゃないもん。
「はっ!! いけないまたなんかひきこもりモードになっていたわ!! ダメよ五十鈴川エルフ!! そんなことじゃ、厳しい出版不況の中で生き残れないわ!! もっと強くしたたかにならなくちゃいけないのよ、ラノベ作家は!!」
自分の過去に傷つくなんてナンセンス。
そんなことをしている暇があったら、原稿、取材、研究。
いろいろやることがあるんだから。
そう、ラノベ作家はやらなくちゃいけないことがいっぱい。
今日もまた、田舎系スローライフ作品の取材のため、三重県の中でも飛び抜けて田舎と言われている玉椿町へやってきたわ。そう、作品にとって大事なのは読み手に伝わるリアリティ。それを得るためなら私は何処にだって行く。
そう――。
「自転車で!!」
原付免許くらい取りたいけれど、パパが許してくれないからしょうがないのよ!!
◇ ◇ ◇ ◇
「田舎あるある。ニートのおっさんが平日昼間っから田んぼの用水路でザリガニ取りしていても誰もとがめない」
「とがめるわ馬鹿たれ!!」
はい、俺の尻にキックが炸裂する。
蹴られて用水路に顔から突っ込むまで数秒。
その間に、俺はこれまでの人生のハイライトを見ました。
走馬灯だこれ。
「いってえなクソジジイ!! なにしやがんだこの野郎!!」
「なにしやがんだじゃねえよ!! お前がなにしてんだこの馬鹿息子!! 昼間から三十過ぎたおっさんがザリガニ釣りとかやめろ!! みっともねえ!!」
「……だって、俺、渓流釣り下手クソだから。ザリガニしか釣れないから」
「そういうこと聞いてんじゃねえよ!! 世間体を考えろって言ってんだ!!」
へいへーい、分かってますよ。
ちょっと反省している風に、とぼけたこと言っただけなのに、そんなつかっかることないでしょ。ほんと、これだから冗談の分からないおじいちゃんって嫌いよ。
黄色い帽子に黄色いジャンパー。
手には横断中の旗を持ち、俺の後ろに立っているのは親父。
水がしたたるいい男になった俺をにらみつけ、親父はふんすと息まいた。
田舎あるあるその2。子供の登下校の時間に会わせて、現れる黄色いおっさんとおじいちゃん。そう、子供見守り隊の皆さんである。
地域の子供たちの安全のため、残り少ない余生を供出してくれるありがたい爺。この人たちのおかげで、子供たちは安心して登下校できるし、親も安心して学校に通わせられるんだな。
まぁ、この町で活動しているの、親父と誠一郎さんくらいなんだけれど。
なぜなら登下校しているのが、ちぃちゃんとひかりちゃんくらいだから。
他はだいたい車で送っちゃうんだよね。
まぁ、仕方ないっちゃ仕方ない。
人口がそもそも少なくて、集団登校しようと思ってもできない時代なのよ。
今時、田んぼを仲良く歩いて登下校する小学生なんていませんよ。
水の滴るいい男を、Tシャツを脱いで絞ってリセットすると、俺は親父に視線を向ける。むくれ面の彼をまぁまぁとなだめすかし、ごくろうさまとおだてる。
実際、いい歳してこの炎天下の見回りは大変でしょうよ。
「もうちぃちゃんとひかりちゃんは帰った感じ?」
「あぁ。さっき家まで送り届けたよ。その途中で、お前が田んぼでなんかしているのを見かけたからな、どついてやろうと戻ってきた」
「子供の見守りごくろうさまでございます」
「うるせえ。お前みたいなでかい子供想定しとらん。いい加減働けごくつぶし」
「……あー」
それなんだけれどね。
実はちょっと、そこいらの話をしたくって、今日はわざとザリガニ釣ってたんだわ。親父を釣ろうと思って、わざとこんなことしてたんだわ。
それについて話があるんだよねというと、そこは仲が悪いと言っても親子。
なんだよ、そういうことかという感じに親父は後頭部を搔いた。
土手に並んで座り込む。
いつぞや、誠一郎さんと話した時もこんなだったなぁ。
俺は青い玉椿の夏空を眺めながら、ぽつりぽつりとその話を始めた。
「医者からさ、就労許可でたんだよ。そろそろ、働いてみてもいいんじゃないかってさ。俺も、そうっすねって答えてきた」
「……大丈夫か?」
「不安。だから、いきなり就労はちょっとまずいかなって思ってる。今度ハロワに顔出してさ。どうしたらいいか相談するけど、まずは職業訓練かなと」
「……職業訓練か」
「親父詳しいだろ。結構、頻繁に通ってたから」
うっせえぼけと俺の背中を叩こうとして、やっぱりやめる親父。
事実だから怒るに怒れない、そういう葛藤が表情に見て取れた。
そう、親父が社会人としてダメダメなのは、前からも言っている通り。
何度となく仕事を辞めて、自営業をやろうとしては失敗し、借金こそないけれどぐっちゃぐっちゃに家族と親戚に迷惑をかけたのは間違いない。
そしてそんな彼は、公的機関の頼り方も詳しい。
特に職業訓練校。
いや、何度かっていうか、失業するたびに通っていた。
むしろ職業訓練していた時間の方が、仕事してた時より長いくらい。
爺さんもそんな親父にあきれて、そんなところに行かず家で働けとか言ってたくらいだ。まぁ、親父には親父の考えがあるらしく、結局家業は継がなかったが。
まぁ、そんな訳で。
「なに受ければいいかな。機械系か、電気系か。情報系は、俺そういう専門出てるから、受けられないよな、たぶん」
「あー、まぁー、そんな厳密なもんでもねえぞ。もう一回、業界入り直したいから勉強したいとかでも全然通ったし」
「マジで?」
「そんなかしこまったもんじゃねえよ。あれも結局、すぐに失業保険が出ない人向けのセーフティーネットみたいなもんだからさ。それに、半年ちょっと勉強したくらいで、モノになるようなもんじゃねえよ、職人仕事なんざ」
「一年たたずでやめまくってる親父が言うと説得力があるぅー」
「舐めてんのか!!」
と言いつつ、目は俺を心配するものに変わっていた。
なんだかんだいいつつ、親父が俺のことを気にかけてくれてるのは知ってる。
家族の中で、たぶん、一番、俺のことを心配してくれている。
お袋も俺のことを心配してくれているけれど、親父の方がたぶん勝っている。
普通こういうの、お袋の方が強いと思うんだけどね。
なんで、逆転しちゃったのかね。
たぶんきっと、昔の自分と重なる部分があるからなんだろうな。
なにやっても長続きしなくて、家族と親戚と玉椿町に支えてもらった、過去の親父に――。
「陽介。まぁ、俺はまだこの通り元気だからさ、あんまり気負うなよ」
「……何の話さいきなり」
「玉椿には仕事がないからな。無理して自分に合わない仕事をすることはねえってことだ。いざとなったら、俺ら見捨ててまた都会にでも行っちまえ」
「馬鹿言うなよ。俺はここでの生活、結構気に入ってんのよ」
「……そうかよ」
そう言って、親父は俺の頭に手をかける。
ぐしぐしと頭を引っかき回した親父は、それから、いつだったか、遠い昔に俺に見せた屈託の無い笑顔を向けてきた。
あの頃から、ずいぶんと親父も老け込んでしまった。
けれど、その心根の奥にある優しさは、ちっともかわっちゃいねえ。
「好きに生きろ。楽しく生きろ。結局、それが一番だよ」
「……わかってらい」
ならいいんだ、そう言って立ち上がる親父。
その小さくなった背中を眺めながら、俺は、どうにかしてこれから人間として自立していこうと、決意を新たにするのだった。
青々とした空には雲一つない。
男が、再起するのに、うってつけの日だ。
そう感じた。
◇ ◇ ◇ ◇
「一日取材して見かけたのが、おっさんと爺が田んぼでなんか青春している光景とか、それ、どうなん」
私、五十鈴川エルフ。
田舎に小学生とか、スローライフとか、そういうものを求めていたけれど。
そんなものはないことを今日知ったわ。
田舎には爺とおっさんと、よく分からない哀愁しかない。
うん――。
「やめよう、これはライトノベルのネタにはならない」
私は必死に書き留めたネタ帳を破り捨てると、玉椿町を去ることに決めた。
せめて、幼女の登校シーンに遭遇できればよかったのだけれど。
おっさんと爺が空を見上げて哀愁よろしくしか得られないなんて。
世の中、難しいものね。
ラノベ作家の道は険しいわ。