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第134話

 どっひゃぁ酷い目に遭った。


 俺と廸子はマミミーマートから少し離れたところにある公園へと逃げ込んだ。

 おそらく今頃店では、血で血を洗う闘いが繰り広げられているだろう。そして、たぶんそれを契機に、姉貴は美香さんと実嗣さんとの関係を認めるだろう。


 まぁ、すぐに、どうこうなる訳ではないだろうけど――。


「美香さんと家族かぁ、これからいろいろと大変だな」


「美香さんの千寿さん熱は相当だったもんな。けど、まぁ、なんか彼氏さんの方に今は向いてるし、案外そんなことにならないんじゃないの?」


「言うて、ちぃちゃんの問題も残ってるんだよ。まだ、実嗣さんと匡嗣さんの違いが分かっていないちぃちゃんに、これどう説明すりゃいいのよ」


 お父さんが美香さんに浮気している。

 なんてことを言い出した時には、もう豊田家は大惨事。

 また姉貴と実嗣さんの熱いバトルが始まるよ。


 そうならんことを俺には願うことしかできない。


 はぁと、公園のベンチに腰掛けてため息をつく。

 すると廸子が少しその場を離れて、缶コーヒーを買って来てくれた。

 きのきくやつ。


「お金、持ってきてないよ?」


「知ってる。地獄から救出してくれたお礼」


 先に廸子が自分の缶コーヒーのプルタブを上げる。

 キンキンに冷えたそれを口元に近づけて廸子はくいっと飲み干す。

 そして、えっほえっほと突然咳き込んだ。


 のぞき込めば、ラベルには無糖の文字。

 苦いの苦手な廸子ちゃんにそれは飲めないドリンクだった。


「あれ!? これ、おかしいぞ!! ちゃんとカフェオレ買ったのに!!」


「……こっちがカフェオレだな。缶のラベルが似ているから、間違えたんだよ」


「あぁー、もう、なんでそんな凡ミスするかねぇ」


「まぁ、まぁ、気にすんなよ。ほれ、俺のやるから」


「いらねーよ!! 間接キスになるだろ!!」


 と、言って、廸子が我に返る。


 なるほど間接キスね。

 交換したらそうかもね。

 けど、俺が飲まなかったら成立しないよね。


 お前も、それで結構繊細ね。


 なんだよ、と、こちらを見てくる廸子。

 俺が飲まなけりゃそれでいいだけだろうというと、なぜか彼女はしょぼくれた。


 ホワイ、なぜ。


「……せっかく買ってきてやったのに」


「あ、そういうことね。いや、まぁ、お前がいいならいいんだけれど」


「いや、けど、やっぱ間接キスになるからそれは」


「なんでそんな中学生みたいなことでドギマギしなくちゃいけないんだよ。そういうのはあの恥ずかしい親戚だけでもうお腹いっぱいだってーの」


 飲むぞと、廸子が口をつけたブラックコーヒーを口に含む。


 苦い。

 けれど、ほんのりと、廸子の香りを感じる。

 それは、ちょっと必要以上に俺の心臓を興奮させた。


 俺も中学生がどうとか言えないな。


「……ふふっ」


「なんだよ」


「いや、陽介でよかったなって。美香さんと実嗣さんみたいなの、ちょっとできる自信がないから」


「あんな大ノロケ、できる奴なんてこの世に何人もいないよ。あの二人が特殊なだけ。というかそんなん気にするなよな、ほんと比較したってはじまらないぞ」


「そうだね。アタシらはアタシらだもんね」


 そう言って、俺が腰掛ける椅子の隣に座る廸子。

 なんだろうか、含みのある感じの言い草が気になる。


 何かあっただろうか――と、ここ数日の行動を思い返す。

 別に、妙なことは無いように思うが、どうしたのだろう。


 はてはてと、首をかしげる横で、再びカフェオレを開けて飲み出す廸子。


 はやくも蝉が鳴き始め、熱い風が背中に吹き付ける初夏の頃。

 彼女はうつむいたまま、ぽろりと零すように言葉を紡いだ。


「ダメダヨね。なんていうかさ、アタシってばちぃちゃん任されたのに、話に夢中で忘れちゃって。なんていうかさ、前の仕事がシビアだったから、大丈夫だろうって思ってた。そしたらこれなんだもん。ちょっと、自己嫌悪」


「……お前、もしかして、あの時のこと」


 廸子が俺たちに合流したときのことだ。

 顔面蒼白の廸子に、俺は結構な口調でちぃちゃんと美香さんについて問いただした。あの時は彼女たちに迫る危険に、俺も気遣っている余裕がなかったのだ。


 きつい言葉だったように思う。

 思い出せないが、俺は廸子の自尊心を折るようなことを言ったように思う。


 もう事件から数日がたっている。

 事件は解決したし、美香さんも、実嗣さんも、そしてちぃちゃんや姉貴も、自分たちの日常を取り戻している。

 なのに、今更、なんでこのタイミングでこんなことを。


 いや、すべて終わった、このタイミングだからこそ、か。


「もうちょっとさ、アタシ、みんなの役に立てるかなって思ってた。みんなのお姉さんできると思ってた。けど、全然ダメで。テンパって、結局陽介に頼っちゃった」


「……馬鹿、お前、そんなの気にするなよ」


 そんなこと言い出したら、俺はお前に頼りっぱなしの人生だろ。

 お前に顔向けできないような、そんな人間じゃないか。

 そういうことを言い出したら、お前の顔をみれなくなるのはこっちだ。


 それは嫌だよ。

 勘弁してくれ。


「考えすぎだぜ、廸子。俺も、結局はなにもできなかった」


「そんなことないよ。陽介が、冷静に行動してくれたから、実嗣さんに連絡してくれてたから、万事上手く収まったんじゃない」


「ないない、偶然。全部実嗣さんのおかげ。俺は結局なんもできなかった――」


 そんなことないよと、ちょっとうわずった声がした。

 何か間違ったことを言っただろうか。慌てて振り返った俺を、廸子はぎゅっとその体全体を使って抱きしめてきた。


 おい、ちょっと。

 こんなところで何すんだよ。

 町の人に見られたらどうするつもりだ。


 そんな戸惑いを吹き消すように、俺の胸の中で廸子は泣きだした。

 いつもの強気はどこかへ消し飛んで、少女のように俺の胸の中で泣きだした。


 なぜ。

 あのとき、俺に言われた言葉が耳から離れないのか。


 いや、違う――。


 廸子は人に言われなくとも、自分で自分を責める真面目な女だ。本当に、彼女のせいじゃないというのに。それでも呵責の念に堪えられない、繊細な娘だ。


 それは幼馴染みの俺が、一番よく知っている。


「……深刻に考えすぎだ、廸子」


「けど、あのとき、もっとアタシ、いっぱいできたよ。いろんなこと、きっと、できたと思うの。なのに、てんで足手まといで」


「いいんだよそれで。お前が一生懸命やってくれるから、俺だって負けないように一生懸命やろうって思える。そういう真面目さが、巡り巡って周りをよくしてる」


「信じられないよ、そんなの」


「信じろよ、もう」


 涙でくれる幼馴染みの手を取って上を向ける。

 ギャルのくせに化粧の薄い廸子の顔は、涙でもまったく崩れていない。

 そんな彼女の顔を見据えて、俺は優しく微笑んだし。


「お前が、車にやってきたとき、俺、怒ったよな」


「うん」


「ごめんな。今思うと、お前が来てくれてよかった。もし、お前が来なかったら、俺たちは、熊とちぃちゃんたちが出会うのに遅れてたかもしれない」


「……うん」


「お前はよくやったよ廸子。だから気にするな。誰にもできないことはある。だから、みんなで力を合わせるんだ。俺がお前を頼るように、お前も俺を頼れよ」


「……陽介。頼っていいかな」


 もちろん。

 そう答えると、廸子は俺の胸に顔を埋める。

 それから、嗚咽でもなく、懺悔でも無く、彼女はしばらく無言のまま、俺の胸で静かに泣いたのだった。


 しばくらして。


「ありがと、陽介。ほんと、お前には頼りっぱなしだな。ちょっと落ち着いた」


「だから、俺もお前に頼ってるっての」


「何が。いつもセクハラばっかりするくせに」


 完全復活した廸子。

 いつもの調子で俺をなじってくる。

 けれどもちょっと、まだ、本調子では無い彼女。


 そんな彼女に、俺も勇気がもらいたくて。

 そして、彼女に俺が頼っていることを伝えたくって。


「それじゃとびっきりのセクハラ、させてもらおうかな」


「……ふへっ?」


 俺は廸子の唇を奪った。

 重ねた彼女の唇は、やっぱり柔らかくて、暖かくて。

 フレンチキスだというのに、どうにかなってしまいそうなくらい興奮した。


 しばらく、お互いの熱を感じるように唇を重ねて離す。

 突然のことに驚いたのだろうぽけっとした廸子に。


「これでこれから、間接キスごときでどぎまぎしなくていいな」


 なんてことを言ってやると、彼女は手に残っていたカフェオレの空き缶を、俺に向かって投げてくるのだった。


「この、馬鹿陽介!! 変態!! スケベ!! セクハラ男!!」


「おぉ、怖い怖い」


 けど、背中に当たった空き缶、ちっとも痛くなかったぜ。


 先ほどまで触れていた廸子の唇の柔らかさを味わいながら、俺は、この責任感が強く、どこまでもひたむきで、時にもろい幼馴染みを、愛おしいと思った。


 美香さんと実嗣さんのように、まだ、その時では無いとは思う。

 けれど、彼女たちのように、絶対に俺たちも――。


「廸子、結婚しような!!」


「……昼間から言うことじゃない!! もう、セクハラ治してからそういうのはいえ!! この馬鹿陽介!!」


 初夏の風が玉椿の町に流れ込む。

 からっとしたその風に、蝉の声が混じり始める。

 陰鬱な梅雨はあけていよいよ――暑い夏が町には訪れようとしていた。


 そう、心弾む玉椿の夏が。


【第三部 了】

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