第133話
さて。
まぁ、そんなこんなでいろいろなことがあった訳だけれども。
『無事に早川家のお家騒動も美香ちゃんの問題も落着してよかったなぁ陽介』
「よかったなぁって、そんな言葉で済まないくらい大変だったんだよ。もう、なんていうか、当事者としてはこんなことってありますって感じ」
『ははは』
「ほんと笑い事じゃないって。ちょっと玉椿町に来てよ、現在進行形で大惨事よ」
『それ聞いてわざわざ行く奴いると思う?』
いないでしょうね。
俺だってそんな話を聞いてのこのこ行きません。
そして現在進行形でイートインコーナーで繰り広げられる、目を向けるのもはばかられる惨状から、逃げれるものなら逃げ出したい気分です。
そう、マミミーマート玉椿店イートイン。
俺のくつろぎスペースと化していたそこに、最近、異物が二人紛れ込んだ。
もうほんと、排除するのが厄介な異物が。
「実嗣さん。もし海外旅行に行くならどこがいいですか?」
「……そうですね。やはり、北極には一度いってみたいですね」
「分かります。いいですよね、北極熊」
「えぇ、一度戦ってみたい」
「地上最強の生物に対してどこまで熊倒館の技が通じるか試してみたい」
うふふと、お互いを見つめ合うバカッポー。
知ってます。
あれ、まだ、友達段階なんですよ。
ラブホテルの一つも入ってないんですって。
三十越えたらもう男女の仲なんて、肉体関係前提なのに、なにを中学生みたいな甘酸っぱいやりとりしてるんですかね。
けどあれ、どっちも俺の身内なんだよね。
身内だから注意できないんだよね。
はー、マジ勘弁。
「やっぱり私たちって気が合いますね、実嗣さん」
「……どうです、美香さん。よかったからこれから一緒に」
「いいですね、私も誘おうと思っていたんです」
「「道場で寝技の練習でも」」
「お前らが行くべきところは道場じゃなくてラブホテルだよ!!」
思わずバカップルのじゃれ合いに首を突っ込んでしまった。
不毛だと分かっていても、突っ込まずにはいられなかった。
もうこれはフリだろうと、頭で理解していても口が勝手に動いていた。
バカップルってほんと厄介。
勘弁してよマジで。
「やぁねぇ、ようちゃんったら、そんなこと昼間から大声で言わないでよ。ほんと無職童貞ってこういうとき気持ち悪いわね」
「陽介くん。美香さんが悲しむ発言はやめてくれ。いや、セクハラはやめてくれ」
「お前らの会話の方がよっぽど俺たちの精神状態に悪いわ!!」
なぁ、廸子と、レジの中で地蔵のように固まっている幼馴染みに同意を求める。
しかし、全身体育会系の金髪ヤンキー幼馴染みは俺の言葉をスルーした。
関わるな危険である。
自分の上司の親友と義兄。
そのむつみごとに茶々を入れてはならぬ。
さわらぬ神にたたりなし。
こいつのように完全に心を殺すことができたら、俺はどんなに楽だったろうか。あぁ、自分のツッコミ気性が憎い。
「あ、けど、ごめんなさい、無職童貞は実嗣さんもだったわ。私ったらうっかり」
「いいさ、そんなこと。それくらいの事実で心が折れるような柔な男じゃないよ」
「実嗣さん」
「それに、美香さんも三十路処女なんだろう。お互いさまじゃないか」
「えぇ。きっと、貴方のために、この操を護ってきたのね」
「私もいま、そうなんだろうなって、実感してるよ」
「どうやったら自らの経験不足をそこまで肯定的に捉えられるの。もう不思議を通り越して、あきれとしかいいようがない」
というか美香さんまだおとめやったんかい。
もうてっきり、若い男食い散らかしてるかと思ってたわい。
実嗣さんも、そんな顔して経験ないんかい。
そりゃ三十にもなって中学生みたいな恋愛になるわ。
けどまぁ。
この二人がくっついてくれたおかげで、いろんなものが解決したのは事実。
ちぃちゃんを巡る早川家の後継者問題も。
美香さんのクレシェンド内部派閥問題も。
もはやすっかりと、後腐れなく。
いや、いっそすがすがしいほどに解決した。
まず、早川家について。
これはもはやわざわざ説明する必要がないだろう。本家の正当な血筋であり、勘当されていた長男坊が、いきなり将来の嫁候補を連れて帰ってきたのだ。
「結婚資金がないので早川家当主を私が継ぐ。家業も母が興したファンドについても、社員の意見を尊重してやっていこうと思う。いざとなれば、面倒ごとは私が一切引き受ける。こう見えて、職歴はないがいろんなところに伝手はあるんだ」
と、啖呵を切れば、もうみんな黙るしかなかった。
どうも彼の母――ちぃちゃんの祖母とはひともんちゃくあったらしいが、流石に今回の件とちぃちゃんと会えないことが堪えていたのだろう。
「いいのか母さん。俺が無事に早川の家を継ぎ、美香さんと結婚して子供をもうければ、念願の孫を抱くことができるのだぞ?」
という殺し文句で黙らせたらしい。
ばあさん相手にひどい話である。
ほんと、ひどい話である。
なお、その話を俺に聞かせてくれた美乃利さんは、ゲタゲタと腹を抱えて笑っていた。よっぽどちぃちゃんのお婆ちゃんは身内から恨みを買っているらしい。
で、次。
美香さんの方についてだが。
「……なんかね、クレシェンドの産業医がいきなり変わったの。それで、復職OKのサインもらえちゃった。いやぁ、なんか不思議なことってあるものよね」
と言っていたが、バチクソ実嗣さんが裏工作を仕掛けていた。
国内有数の造船会社の社長にして、謎のコネクションを世界各国に持っている実嗣さんが、美香さんをはめた直上の課長を徹底的に追い詰めたのだ。
もうなんというか、集団提訴とかかわいいもんだというくらいの。
黒塗りの車にカマを掘ったところからはじまり、地位と人脈と金を失った彼は、派閥と家族に見捨てられて、今や天涯孤独の身に落ちぶれた。
もちろん、そんな人間を野放しにすると何をするか分からないので、実嗣さんの知り合いの漁業会社が拾い、現在海外に長期出張中なんだとか。
今頃、太平洋の上でどうしてこうなったと叫んでいるだろう。
あくがこのよにさかえたためしはないということである。
さばいたのもあくなきがしないでもないが。
なお、実嗣さんの名誉のために補足するが、彼がカマを掘った奴らは、誠一郎さんのご兄弟曰く、頼もしい商売相手らしいので、犯罪性はないそうである。
とまぁ、そんな訳で。
「美香さんの復職を邪魔する人もいなくなったし、ちぃちゃんが狙われることもなくなったし、万々歳っちゃ万々歳なんだよな」
松田ちゃんの電話を切って、いちゃつくカップルに視線を向ける俺。
もはや手詰まり、どうしようもないと思われた玉椿町を襲った晴天の霹靂。
それは、たった一人の男により、冗談のような鮮やかさで解決された。
めでたしめでたし。
と、素直に言えない。
「うぅっ、美香の奴、実嗣と楽しそうに。アイツは結婚しないと思っていたのに」
「……姉貴」
どんよりとした負のオーラを発して落ち込む影がバックヤードから。
その発生源は――娘に迫る危機こそ知らなかったが、幼馴染みの変貌に胃を痛めていた我が愚姉こと早川千寿である。
ちらりちらりと物陰から親友を見て、涙を流すその姿は完全に愛が重い人。
うぅん。
美香さんだけじゃなかったんだな。
こいつらほんとめんどくせえの。
「しかも、アイツのいい人が実嗣とか――私はもう、嫉妬で、シット、どうすれば、どう、どうにかなって」
「やばい、修羅場だ、逃げるぞ廸子」
先輩と雇い主に挟まれ、機能停止した幼馴染みの手を引いて俺は駆け出す。
これから起こるであろう、数年ぶりの実嗣さんと姉貴、そして美香さんの乱闘の巻き込みを食らうのはごめんだった。
拝啓、天国の匡嗣さん。
あんたの嫁も弟も娘も、すこぶる元気です。
「美香!! そいつから離れるんだ!!」
「なによ千寿!! いまさらあんたが私になんのよう!!」
「そうだ千寿!! 俺たちの愛に茶々を入れないでくれ!!」
「えぇいうるさい泥棒猫!! 私の美香を返せ!! うがぁーっ!!」
「ほんと、元気すぎるわ」
三十後半の奴らがやることじゃないと思うな。
マジで、マジで。