第114話
『ちぃちゃん。お誕生日おめでとう。また大きくなりましたね。小学校でお友達はできましたか? きっとちぃちゃんのことだから、いっぱいできたでしょうね』
「ひといー!!」
亡き父が娘にビデオメッセージを送るという、鉄板感動シーンをぶち壊す台詞を放つ我が姪ちぃちゃん。
この幼女、流石はあの暴君として知られた玉椿の一角鬼こと姉貴の娘である。
まったくもって言葉を選ばぬ。
ちぃちゃん、そういう時はね、嘘でもいっぱいっていうものよ。
あるいは、うんって言ってごまかしちゃえばいいのよ。
光ちゃんしかいないものね、今のところお友達。
そりゃひといーって言うわ。
素直だもん、うちのちぃちゃん。
まさかたった一人――しかも年上――だなんて思っていなかっただろう画面の中の男は、そうかいそうかいと微笑んだ。
その痩せた頬をせいっぱい楽しそうにつり上げて。
もう、だいぶステージが進行してきた頃の動画だ。
俺が撮った奴だ。この時、確か発作を起こして、危ないことになったんだった。
動画に映っている人物を俺はよく知っている。
早川匡嗣。
ちぃちゃんのお父さんにして、姉貴の旦那。
つまり俺の義兄であり、こんなうだつのあがらないどうしようもない男を相手に、割と丁寧に付き合ってくれた気のいい人である。
姉貴は人類史上最悪の暴君だと俺は思っているが、そんな彼女と結婚した匡嗣さんは人類史で讃えられるべき英雄だと思っている。実際、彼と出会ったことで、姉貴はなんていうか――破天荒こそ残ったが、人間としてまともになった。
もし、彼と出会っていなかったならば、今でも美香さんと一緒にバイク乗り回してやんちゃしていたかもしれない。それこそ、峠を夜な夜な攻めては、やって来た挑戦者たちにいろいろとたかっていただろう。
うん。
後ろから俺を睨みつける圧が強い。
見破られている。考えていることを見破られている。
これ、一応、姉貴にも秘密のサプライズビデオだから、もっと集中して。
『ちぃちゃんごめんね。もう、分かるころだろうと思うけれど、お父さんは病気にかかってしまいました。詳しいことはお母さんに聞いて貰うとして――とにかく、お父さんは今、天国からちぃちゃんに語りかけています』
「おぉ!! そこがてんごく!! なんかどっかでみたきがする!!」
そういうことじゃない。
ほんと、ストレートにモノを言うし、モノを受け取るし、素直な子だなぁ。
とても姉貴の血が半分入っているとは思えない。
はい、そこ、また眼光を鋭くしない。
なんにしても、ちぃちゃんは、画面の中の父親――匡嗣さんが、既にこの世の人ではないことをちゃんと理解してくれているようだった。
匡嗣さんが倒れたのは、ちぃちゃんが生まれてすぐのことである。
ちぃちゃんの誕生と入れ替わる形で、匡嗣さんは病気に倒れた。
白血病。
家族に同様の病気になったものはおらず青天の霹靂だった。
事実、彼はそれによる諸症状を、働きすぎあるいは娘が生まれることへの気負いからくるものだと考えており、倒れるまでそれが分かることはなかった。
気が付いた時にはもう既に回復不能の状態まで病状は進行していた。
彼は子供を産んだばかりの嫁を十分にねぎらうこともできないまま総合病院に入院、そして、ちぃちゃんとほとんど言葉を交わすこともなくこの世を去った。
ほんとうに、あっという間の出来事だった。
残された姉貴はしばらく茫然自失となった。
そんな状態で子育てなどできる訳がない。
母や父の勧めに従って、玉椿町に戻った。
その後なんとか立ち直り、マミミーマートを開業するのは2年後のこと。
そして、それに前後して、俺もまたこちらに帰ってきた。
「よーちゃん、このころはまだげんきそうだねぇ? いいことあったの?」
「そんなことないよー。ようちゃんはその頃、プロジェクトのリーダーを実質的に押し付けられて死にそうになりながらも、割り切った生活をしていたんだー。メンタルを強く持たなければ、死んでいたからそんな顔をしているんだー」
「よくわかんあい」
「わからなくていいよ」
俺はこれで結構、匡嗣さんのことは好きだった。
高校の図書館に勤務している本の虫で、稼ぎは姉貴より悪かったんだけれど、とにかく頭がよかった。
いや、頭がいいというよりは、いろんなことを知っていた。
俺たちが悩んでいると、それはこう考えればいいとか、こういう話があるとか、そういう俺たちにない知恵を、どこからともなく仕入れてきては、教えてくれる人だった。もっとも専門的な話になると別なのだけれど。
俺たち姉弟は、匡嗣さんにいろんなことを教えてもらった。
逆に俺たちも、箱入り息子で世間を知らなかった彼にいろんなことを教えた。
本当に、仲が良かった。
俺も働いていたから、姉貴に気兼ねすることなんてなかった。
姉貴も、匡嗣さんのことを深く愛していた。
けれど、そんな幸せは一瞬にして崩れる。
砂糖菓子のように崩れる。
彼が病床に伏して、姉が狼狽えて何もできなくなったとき、俺は――このビデオを未来のちぃちゃんのために残そうと、義兄に向かって言い出したのだ。
それからかれこれ五年の歳月が経った。
ちぃちゃんは、歳をとるごとに、俺たちが病室で撮影した映像を誕生日に見る。毎年、まったく変わらない格好の、まったく変わらない父の姿に、いつの日か彼の愛を知ることになるだろう。
けれどもそれは、まだだいぶ先の話。
願わくば、二十歳、最後の動画まで、彼女が見てくれることを俺は願っているが、それがどうなるかはいざ成長してみないと分からない。
けれど、ちぃちゃんは――きっと見てくれると俺は信じている。
『何か困ったことがあったら、陽介おじさんに相談しなさい。あの人は、おかあさんはろくでもないとよく言っているけれど、本当はとても気の利く人だ』
「ようちゃん、ほめられてるよー?」
「くっ、匡嗣さん!! そこまで俺のことを!!」
「いやけど、今のお前の現状を知ったら、あいつも言葉をひるがえすと思うぞ」
「……ひどくね?」
姉の冷徹なツッコミ。
しかし、実際そうだよな。
今の俺見たら、きっといろいろと思い直すよな。
『お母さんと仲良くね。千寿さんは、強いように見えて実はとても繊細な人だから。だから、ちぃちゃんがちゃんと支えてあげるんだよ。お父さんの代わりに』
「わかったー!! ちぃ!! がんばる!!」
「……繊細だってよ」
「繊細以外の何者であるというのか? 匡嗣が間違ったことを、これまでに一度だって言ったことがあったか?」
繊細な女性は、拳を握りしめてボキボキ鳴らさないと思うの。
あぁもう、やだやだ、ほんとこのメスゴリラ。
自分のことを鏡で見たことがないの。
俺は逃げるように居間を後にした。
年に一度の家族団らんの時間だ。
湿っぽいのは俺は苦手だし、まぁ、あとは二人で楽しんでもらうとしよう。
その間に。
「廸子の奴と九十九ちゃんも、ちぃちゃんの誕生日パーティに呼んでやらないと」
俺は隣の神原家を訪れることにしたのだった。
その時――。
「リンリン」
「……はっ?」
滅多に鳴ることのない固定電話が鳴り響く。
昼間、一度として鳴らなかったそれに面を喰らう。
これでも社会人経験有り〼。
積極的に電話は取っていた俺であるが、今回は三コール、余裕で見逃した。
結構いい時間だぞ。
誰だよ、こんな時分にかけてくる奴。
というか、親父もお袋も携帯持ってるんだから、そっちにかけるだろう。
どうなっているんだという疑念と共に受話器に手を伸ばす。
もしもしと、まずはおきまりのあいさつをすると――。
「豊田陽介か?」
聞きなれた、そして、もう絶対に聞くことのないはずの声が、俺の耳に飛び込んできた。




