第101話
九十九ちゃんが学校帰りにマミミーマートに寄るようになった。
一緒に暮らしていても財布は一緒ではない。
有馬温泉の老舗ホテルの財政はまだまだ健全。ババアから紹介して貰った経営者も優秀らしく、そこそこのお小遣いを彼女は持っているらしい。
それにたかりにくる悪い奴らがいるんだ。
彼女が小金を持っているのでおごってくれと群がる奴らがいるんだ。
そう――。
「なぁ、九十九ぁ。ノンアルコールビールでいいからさぁ、買ってくれよぉ。廸子はノンアルでもちょっとは入ってるからダメって、買ってくれないんだ」
「つづちゃん、このちょっとおたかめのおちょこーれーと、かってもいい? かってもいいよね? トランプのおともにはおちょこれーと」
神原家のボロボロ大黒柱の誠一郎さん。
そして玉椿町のプリティエンジェル早川千絵ちゃん。
この二人であった。
九十九ちゃんめっちゃ困ってるじゃん。
二つの方向性で困っているじゃん。
かたや自分より年上。
尊敬する爺(実の兄)に、ビール買ってとねだられる。
情けないやら、尊厳崩壊やら、いろいろな感情に苛まれている。
かたや自分より年下。
かわいい隣の妹分に、金づるとして認識されている。
なんともやるせない感情を抱くのは無理もなかろう。
俺もありますよ。
ちぃちゃんにねだられたこと。
金づる扱いされたこと。
無邪気さ故の過ちよね。
しかし、それが時に、必要以上に人を苦しめることを子供は知らない。
九十九ちゃんは、どうしたらいいのという視線を、俺と廸子に向けてくる。
マミミーマート、夕方の出来事であった。
「おいこら爺ちゃん!! 九十九ちゃん来てるの待ち伏せして、ビールねだるとはどういう了見だ!! 恥ずかしくないのかよ、そういうことして!!」
「だって仕方ないだろ!! うちの財布はお前がにぎっちゃってるんだから!! 毎日麦茶と牛乳だけじゃ、たまには麦ジュース飲みたくなるぜ!!」
「ちぃちゃん、だめだよ九十九ちゃんが困ってるでしょ。おねだりなんてしたらメっだよ。そういうのは、よーちゃんにしなさい。ねっ」
「えー、だってよーちゃんは、たかいおかしかってくれない」
ごめんね、金持ちじゃなくって。
そして、その理由は九十九ちゃんにも刺さるからやめようね。
高いお菓子買ってくれるおねーちゃんと認識されているとか、そういうの、地味に人の心を傷つけるやつだからやめようね。
ほんと、子供って残酷。
うんうん、邪気がないからいいんだよ。
無邪気ってね。って、それで済ませられない。
さすがはちぃちゃん。
今は可愛くてもあのババアの子である。
どうか、将来、あんな人の心の分からぬモンスターババアになりませんように。
祈ることしか俺にはできない。
爺と幼女に迫られて困惑する九十九ちゃん。
追いすがる金の亡者どもをはいはいはいと俺と廸子で引きはがす。
もうほんと、どうしようもねえなこいつらは。
「とにかく、九十九ちゃんにせびるのはよしなさい、みっともない」
「遠目に見てカツアゲだぞ。幼女と爺じゃそう見えないかもだけれど」
「カツアゲて。そんな、なぁ、九十九。わしらただの兄妹なのに」
「いえ、兄妹間でも金の貸し借りは控えるべきかと。そういうのは」
えっと驚く誠一郎さん。
苦虫でもかみつぶしたような顔だが、九十九ちゃんの方が正しいからね。
というか、借金関連のトラブルは兄弟間のものが最も多いからね。
俺は詳しいんだ。
友達がその手の調査をする探偵をやっているから。
「反省しろ爺さん。いくら何でも、妹に甘えすぎ」
「……ちぇっ、分かったよ」
誠一郎さんはぶつくさと言いつつたかるのをあきらめたようだった。
さて、次はちぃちゃんだ。
このくらいの歳の子が、親兄弟におかしをねだるのはよくある話。
そして、ほぼ姉妹と言っていいような仲睦まじい二人。そういうことになってしまったのは、もはや自然の成り行きだろう。
けれどもやっぱり、金銭の貸し借りはよくない。
ちぃちゃんの情操教育上もよくない。
そんな金銭感覚にルーズな子に育ったら――将来どんな目に合うか。
あのババアの血が入っているから滅多なことにはならないだろ。それでも、ここでその金銭感覚をただす必要がある。
俺はちぃちゃんと、やさしい声と共に彼女に近づいた。
ぷぅとほっぺたを膨らませて、明後日の方向を向く彼女に、俺は語り掛ける。
「高いお菓子をおじちゃんやお母さんが買わないのは貧乏だからじゃないんだよ。高いお菓子はここぞという時に食べるからこそおいしいでしょう。普段から食べていたら、美味しさが半減しちゃうでしょう」
「はんげん」
「つづちゃんと遊ぶときに、いっつもそのおかし食べてたら、特別な感じがなくなるよね。そういうのは、もっと特別な時にとっておくべきじゃないかな」
むぅ、と、ちょっと考えるちぃちゃん。
無理のある説明だと思ったが、これ以上の説明も思いつかなかった。
おいしいものもまいにち食べていればあきる。
だから、ほんとうにたいせつな時に食べよう。
もちろん、大人なら分かる。
そんなもんいいから、稼いだ金で好きなもん食わせろ。
けれどもまぁ、子供だましにはこういうしかないよね。
少し悩んで、ちぃちゃんはちょっとお高いお菓子の箱を元あった陳列棚の方へと戻した。かわりに駄菓子を数個。彼女のお小遣いで買えるものを持ってきた。
「つづちゃん、今日はこれにすう。これね、ちぃのおきにいり。おいしいよ」
「……ちぃさん」
二個ずつ駄菓子を持ってきているあたりがいじらしい。
一緒に食べようという思惑が伝わってくるそれに、俺も廸子も、思わずほろりと涙腺に来るものがあった。
いやぁ、いい、話だなぁ。
なんにしても、これにて九十九ちゃんにたかる奴らの成敗は完了した。
いたいけな中学生の彼女を苦しめるものはいなくなった。
あ、これにて一件落着。
「いやぁ、よかったよかった。親しき仲にも礼儀ってのは必要だよね、廸子さん」
「おまえがそれをいってもいちみりもせっとくりょくがない」
「なんでさ!! 俺だってほら、いろいろと考えて発言はしているんだぜ!! これでも俺にばかりダメージが行くような下ネタばっかり言ってるし!!」
「そういうの抜きにして下ネタはやめろよ。ぶっちゃけ迷惑」
「えぇ……」
なによもう、廸子ちゃんてば、そんな言い方ないじゃない。
俺だって別にそんな、したくて下ネタなんて言っている訳じゃないんだから。
なのに、そんなのって――。
「普通に会いにくればいいじゃん。ほんと、そういう男の面倒くさいところ、ちょと理解できないわ。別に、こっちは来てくれるだけでうれしいっての」
「……廸子!!」
「そういうことだから。まぁ、そのなんだ、セクハラは控えて――ひゃいん!!」
やっぱり廸子は俺のことを分かってくれている。
なんだかんだで、俺の行動の意図を汲んでくれている。
いろいろあったけれども、やっぱり彼女しかいない。
廸子こそ、俺の幼馴染にして、愛する人――。
そう、俺のママ――。
「廸子!! 廸子ママ!! ママァー!!」
「だ、誰がママだ!! 陽介、おら、しっかりしろ!! なに言ってんだ!!」
「ダメな俺を全肯定して、さらに理解してくれる廸子ママ!! もっと、もっと俺のことを甘やかして!! おんぎゃぁ!!」
「気色悪い!!」
心が通じ合うってこんなにも素敵なのね。
あぁ、廸子――。
顎の先が痛い。
視界が回る。
「いいか、二人とも、あれがな、適切な距離感を忘れた、人間の末路だ」
「……ようちゃん、回ってるぅ」
「出血大サービスですね」
「こうならんように、気を付けるんだぞ」
うん。お前がしめるんかい、誠一郎さん。
だったら最初から恥ずかしいことするなや!! もうっ!!