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第100話

「はぁ。確かに早川千寿とは知り合い――ツレの姉弟ですが。いきなり名指しで調査依頼ってのは、いやはやなんとも。というか、その情報どこで仕入れました?」


「あら、意外と無駄口をたたくタイプの探偵でしたのね。女将さんからの紹介では、寡黙だが仕事はきっちりやるタイプとのことでしたが」


 俺の名前は松田良作。

 ここは阪内梅田の地下街にある喫茶店。

 そこのボックス席、革張りの椅子に腰かけて、優雅にアフタヌーンティーという体を装いながら俺はクライアントと接触していた。


 甘栗色のウェーブがかかったロングヘアー。

 抱き心地のよさそうなゆったりとした体つきに、たわわに実った胸。

 左目の目じりにある泣き黒子。


 モデルか女優か、あるいは夜の蝶か。

 はっとする美貌の彼女はいきなり、俺の友人の姉の調査を頼んできた。


 これはあれだな。

 俺と調査対象者に関係があることを見越しての依頼だな。

 ったく、俺も安く見られたもんだな。


 美人の依頼は断らないのがモットーの俺だが事情が事情。

 そういう取引のような仕事は俺はやらねえ。

 理由は明白、クライアントからの信頼に亀裂が入るからだ。


「残念ながら、俺は仕事はきっちりこなすがプライベートは切り売りしない。玉椿町でのことは俺のプライベート。お話しすることはできかねるね」


「あら、仕事をお選びになるんですね。食い詰めればどのような情報でも金に換えるのかと。よろしかったんですか、今月、いろいろと厳しいのでは?」


 こっちのお財布事情までお察しですか。

 いよいよ何者だこの女。俺よりよっぽど探偵染みてる。


 言われた通り、今月の俺の財布は素寒貧。

 万札一つも入ってなければ、代わりに督促状が入っている。

 仕事で厄介なお相手の車にカマ掘っちまってね。

 弁償しろとうるせえのよ。


 そんなこともあって、美味い仕事はないもんかと探してみたらこれだ。

 事故からしてこいつの仕込みだったんじゃないかと勘繰っちまうよ。


 いや、まぁ、そりゃ責任転嫁だ。

 陽介みたいなこと言っても仕方ない。


「とにかく、早川千寿の情報について教えることはできない。それで、このことは向こうにも話させていただく」


「おや、いいんですか? 依頼人との信頼関係――守秘義務に関わるかと?」


「先に俺のプライベートに土足で踏み込んできたのはアンタだろう。それに、俺と会ったことでアンタは早川千寿の近況を少なからず知った。他にも得られた情報はある。だったら、何も知らない調査対象者にリークしてもおつりがくるだろ」


「そうですね。確かにアンフェアかもしれません」


 けれど千寿さんなら、それくらい分かっていると思いますよ。

 そう、つぶやいて女は伝票を手に席を立ち上がる。


 どうやら支払いはしてくれるらしい。


 金欠の身にはありがたい限りだ。

 よかったよ、最低限に言葉を選んで。


 あとはどうぞごゆっくりと言って去っていく栗毛色の髪の女。

 その後ろ姿を、コーヒーを啜りながら俺はしばらく無言で睨んだ。


「……なんだいありゃ。陽介のところも、なんかキナくせえな」


◇ ◇ ◇ ◇


「あ、それ、たぶん早川さんとこの美乃利さんだわ。元気にしてたのか。最近挨拶してないから、どうしてんのかなと思ってたんだ」


「なんだよ陽介。お前、知り合いか?」


 いや、知り合いっていうか。

 出た名字でちょっと察してくれよ。


 さすがは白スーツ探偵。

 格好はいっちょ前だが、コスプレでその気に浸ってるだけ、いまひとつ頭の冴えがよろしくない。やはり探偵には優秀な助手が必要なようだね、ワトソンくん。


 いや、ちょっと難しいか。

 早川なんて名字、割とどこにでもあるからなぁ。

 そして、彼女は早川の家の人であっても、早川家の人間じゃないからな。


 どこから説明したものか。


 まず、最初にやらなくちゃいけないのは、口の前でバッテン作ることだな。


「これ、一応オフレコで」


「お前の姉のコンビニのフードコートでオフレコもくそもなくねえ?」


 それでも一応、言っておくことに意味があるのだ。

 なぜなら姉貴は、旦那の実家の話をされるとすこぶる不機嫌になるから。

 旦那の実家と仲が悪いのだ。

 そりゃもうバッチバッチに。


 因縁は姉貴と旦那――匡嗣さんの結婚から今日に至るまで続く。というのも、姉貴は当時院生だった匡嗣さんをかどわかし、実家から絶縁する形で結婚したのだ。


 一応、匡嗣さんは次男なんだけれど、長男がちょっと放蕩の気が強い人らしく、後継ぎと目されていたんだとか。それを姉貴が掻っ攫ったから早川家は大激怒。

 さらに、早川家は阪神にそこそこ名の通った名家で、二人はもう関西に住めなくなった――とまではいかないが、ほんといろいろあったのだ。


 当然、そんな駆け落ち婚なので、すぐに結婚式もできない。

 ようやく落ち着いて結婚式をしても早川家からは誰も来ない。

 あげく、女中頭という血縁的には第三者の美乃利さんが、電報でお祝いともお呪いともつかないひどい言葉を送ってくるという、酷いものであった。


 とまぁ、そんな、訳で。


「早川家からなんかある時は美乃利さんが出てくるんだよ。たぶん、今回も美乃利さん経由で、姉貴とちぃちゃんの近況とかを知りたかったんじゃないのかな」


「はぁー、なるほど、そういうことね。金持ちは考えることが違うわ」


「でしょ」


「ちなみに、早川ってあの早川? 造船業で有名な?」


「そだよ。そこの本家。今、後継ぎがいなくて絶賛炎上中。その怒りがババアに向けられてんの。ほんと、超迷惑。ちぃちゃん置いて、ババアだけあっちに行ってくれないかな。そしたら昼ドラみたいな展開で再婚ワンチャンあるかもなのに」


「……行くかバカ。あの家と、あの家にまつわる者たちに、私は金輪際関わらないと決めている。絶対にこちらか顔を出しに行くことはない」


 とのことである。


 はい、今日は昼勤でしたか。ちぃちゃんが学校に行くようになってから、シフトのバリエーションが増えたのね。

 知らなかったわ。あはは。


 そしていきなり後ろからヘッドロック。

 ほんと、そういうふい打ちプロレス技勘弁してくださいな。


 早川家憎しの気持ちは分かりますが、俺はそっちの人間じゃありません。

 タップ、タップタップ、ババアタップだって。


 俺の喉をキメながら、ババアは松田ちゃんに視線を向けた。

 その傲岸不遜な頭が珍しく垂れたと思えば、殊勝な言葉が飛び出す。


「早川の奴らに接触されたのか。すまんな、うちのことで面倒をかける」


「いや、面倒ってほどのことじゃ。俺もまぁ、利用されたのが癪だっただけで、別に早川さんのためにどうこうした訳じゃないんだ」


「それでも感謝する。陽介、いい友達を持ったな」


「だろう、よかったら姉貴の再婚相手に――おべべ、おば、おぼぼぼ!!」


 さらに強くなるヘッドロック。

 これ、声帯つぶれる感じの奴じゃない。


 そんだけ早川嫌ってるんだったら豊田姓に直せよ。

 そういうのしないから、あっちもまだ未練たらしく絡んでくるんでしょ。


 とはいえ、匡嗣さんと姉貴が仲のいい夫婦だったのは俺もよく知っている。

 姉貴が、彼と人生を共にした僅かな数年間、女性として輝いている光景を、俺は家族として断片的ではあるが傍で見てきた。


 捨てないのではなく、捨てられないのだ。


 名前も。

 思い出も。

 彼のことも。


 それを捨ててしまえば、彼と自分、そしてちぃちゃんをつなぐものはなにもなくなってしまう。それは悲しいまでにいじらしい女のわがままだった。


 ババアの癖に、さ。


「なんにしても、今後、早川から接触があれば、直接うちにこいと伝えてくれ」


「あ、いいんですか」


「顔を合わせばどうなるか、相手も分かっている。脅しに使うのにこれほど有効な台詞はない。まぁ、来ても追い返すがな」


 強いこって。


 まぁ、結婚相手の実家とうまくやれなのは珍しい話じゃない。夫が亡くなって、もはや付き合う必要もないのに、それでもただ一つの思い出のために、苗字だけは残そうとするいじらしい女を、今日ばかりは素直に認めてやった。


 認めたけれど――。


「タップタップタップ!! やめて、ババア、三途の川が見えてくる!! 三途の川が近づいてきてるの!!」


「そのまま渡ってしまえこのアホう!! 廸ちゃんというものがありながら!! 毎日毎日ぐうたらと無駄に時間を浪費しおって!!」


「そこで廸子は関係ないでしょ!! あ、廸子!! 助けて、タッチ!! タッチしてチェンジ」


「どーんと、たーち、みー(棒)」


「そんな雑なセクハラ返ししなくてもよくない」


 首の戒めは解いてくれない。


 というかますます強くなってる。

 怒りが籠もって強くなってる。


 やめて、早川への怒りを俺に転嫁しないで。

 ほんとそういうとこ。


 やっぱりババアはババアなのであった。

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