音楽室
紫ロン毛先輩ことグリフィス先輩の命令に逆らえず、私は彼と本を運んでいる。本当はすぐにでも逃げ出したかったけれどそもそも相手は貴族だし、あの鋭い眼差しで睨まれれば逆らうのは無理だ。
先輩の後ろに続き図書室へと辿り着く。古い紙特有の匂いが漂ってきた。魔法学園の図書室といえば、円形状の部屋で壁に棚が敷き詰められて、大量の本が収納されていて、天井が吹き抜けで何階層も続いて……みたいな圧巻な風景を想像するけれど、そういうことはなく四角い本棚が並ぶ普通の図書室だった。
(私のワクワクを返して!)
そのまま、返却カウンターへと向かい、司書のお姉さんの前にどっさりと本を置く。結構な数があるので、お姉さんがビックリするんじゃないかと思ったけれど、常連らしく本オタクのグリフィス先輩はお姉さんと他愛のない会話をしていた。
返却の途中、私はキョロキョロ辺りを見回す。
(この世界の本ってどんなんだろう。百合漫画とかあるのかな?)
『本=百合作品』という安直な結びつけてしまう私は、本棚の横に貼り付けられた分類を確認する。ちなみに私は小説よりかは漫画派だ。
「おまえも本を読むのか?」
全ての本の返却手続きを終えたらしくグリフィス先輩は私に尋ねた。
「私も読みますよ。ゆ……じゃなくて小説が好きです」
思わず百合というワードが出そうになるが飲み込む。図書室を見た感じ漫画はなさそうだったので、小説が好きということにしておこう。
「社交界でネタになる小説ならいくつか置いてあるだろう。私は詳しくないが」
「へぇー、あとで探してみます……先輩はどんな本が好きなんですか?」
「魔法に関する学術書だ。興味があるのは魔法理論の方だが」
「そうですか。私には難しくてさっぱりだと思います」
さっぱりというか、一つもわからないんだけれどね。
「ここは魔法を学ぶ学園で勉強するのは当たり前だ。授業についていけてるのか?」
「少しだけ……いや……ほんのちょっと? いや……」
私がもごもごしているとその様子からグリフィス先輩は察したようだ。
「もうわかった。そうだな……」
すると、先輩はある棚へと向かった。犬のように後ろについていくと、先輩は分厚くない普通の本を取り出して私に手渡す。
「これは魔術理論の入門書としてはよくできている。もっていけ」
どうやら参考書を紹介してくれたらしい。
「あ、ありがとうございます」
授業についていけてなくて困っていたし諦めかけていたけれど、こんな勉強方法があるのかと頭から抜けていた。元の世界の学生時代は参考書を吟味してたくさん買って受験に備えたけれど、結局詰み本になっていたような……
「もしわからないことがあれば俺に聞け。手伝ってくれた礼だ。あのメガネ教師よりはまともに説明できる」
それだけ言い残してグリフィス先輩は立ち去った。別の本でも漁りに行ったのだろう。
(レイモンド先生ってこんな風に言われてるんだ。どうりで授業がわからないわけだ)
授業が理解できないことを先生のせいにして、私は参考書を借りた。
とある日のお昼休み、中庭のいつものベンチでおにぎりもぐもぐしていると、オレンジ髪王子アルフレッドが現れた。今日も逃げ回っているご様子だ。
「お昼はいつもどうしているんですか?」
「食べていない……」
女の子が苦手なヘタレ王子は、自分の昼食を抜いてまで逃げたいようだ。
「……それ、くれないか?」
そう言うと王子はカゴからおにぎりを掴み取ろうとする。
「えっ!? ただの塩おにぎりですよ。王子様が食べるようなものじゃないです」
「嫌か?」
「良いですけれど……」
図々しく人の食べ物を取り上げるヘタレ王子に渋々と許可を出すと、王子はもぐもぐし始める。炭水化物なのであげても良しとするか。
「……このおにぎり。アユミが作ったのか?」
「そうです。お米を炊くのに慣れてなくて少し焦げちゃいましたけれど……」
おにぎりのところどころに茶色い部分が見えている。始めちょろちょろ中ぱっぱなんてわかるか! 現代っ子はボタン一つでちょちょいのちょいなんじゃい。
「……まあ、こういうのも悪くないな。それに、アユミが作っているのなら安心して食べられる。次から俺の分も作ってもらえると嬉しい」
「……」
どういう回答が正解なのか忘れたが、少しづつ恋愛度は上昇している様子だ。
この王子、恋愛に対してはヘタレのはずだけど、その気にさせるようなことをちょくちょく挟んでくる。これが天然ジゴロってやつか。王子様に焦げた塩おにぎりを食べさせる訳にはいかないから、米炊き技術を上げつつ、具材をちょこちょこ仕入れることにしよう。
マジカリア学園は魔法の講義以外の一般教養の授業もある。一年生のときは一般教養の割合が多く、三年生になれば専門授業だけだ。
今日は初めての音楽の授業なんだけれど……
(何この楽器?)
渡された楽器は、リコーダーのようだけれど違った。息を吹き込む場所――ウインドウェイがとんがっていなくて、大きな楕円の空洞となっていた。それに指で押さえる穴が二段になっている。
ベンテントという楽器らしい。
『それではまず基本の音ですよー。このように穴を塞いでくださいー』
女性の先生を真似して穴を塞ぐ。基本だからかそこまで難しくない。
『それでは鳴らして下さいー』
私はリコーダーと同じだろうとウインドウェイを大きな口で咥えてブーっと吹き込む。
――同じ単音が音楽教室に響き渡った。
「あなた……」
先生が私に向かって声をかけた。なんかやってしまった、そんな気がする。周りをよく見ると、ほとんどの人が楽器を口に咥えなくて、ギターのように抱えていた。何人かは私のように吹いてたようだけど、ウインドウェイに何か取り付けている。
「風の魔法が使えないなら言ってください。そういう人用の吹口があります」
どうやらこの楽器は風の魔法で演奏するようだ。そんなの知らないし!
周りからクスクスと笑いが聞こえ出した。リック師匠は呆れた様子でそんな私を見つめている。
(恥ずかしい……)
私は顔を赤くしながらどうにか授業を終えた。
でも音楽は得意な方で、元々ピアノを習っていたし、リコーダーもどきの楽器なんてお茶の子さいさいだった。中学校のときは合唱コンクールで伴奏した実力を持っている。ただ、高校のときは私よりピアノが上手い子がいて伴奏する機会はなかったけれどね。
音楽室から出て、次の教室へ歩を進めていると、
(あっ、吹口返してない!? ヤベッ!)
楽器を洗った後、吹口を上着のポケットに閉まっていて、返すのを完全に忘れていた。私は慌てて音楽室へ戻る。
(そういえば……音楽室でイベントがあったような……たしかあの緑髪の男子の)
原作では今の私みたいに何かを忘れた主人公が音楽室に戻ろうとすると、音楽室から綺麗な音色が聞こえて、中に入ると緑頭がピアノを演奏していて絶賛する、そんな出会いイベントだった。
彼を初めて見たのは入学式で、攻略対象の一人だ。同じ学年で、同じ授業を受けているけれど話すことはない。彼と仲良くなっても、公爵令嬢ヴェネッサとクール令嬢ノエルをくっつけるのに関係ないし、そもそも名前を覚えていない。その程度のキャラということだ。
(コレットだっけ? ソレットだっけ? もしや、アレット!?)
思い出そうとしても指示代名詞的な雰囲気の名前しか出てこなかった。
音楽室が見えて、耳に神経を尖らせながら近寄るが……
(あれ? なんにも音がしない)
不思議に思いつつも扉を開けて中に入る。
音楽室には誰もいなかった。
※ホラーじゃないです