自立への道筋
足払いかと思ったシューレの右脚が、突然軌道を変えて俺の左側頭部に迫ってくる。
シューレの蹴りが変幻自在なのは折り込み済みだから、軽く上体を反らして躱した直後に踏み込んで背後を取ろうとした。
「ふにゃっ! 危なっ……」
「初めて見せたのに、よく躱せたわね」
最初の廻し蹴りは囮で、俺が踏み込もうとした所に、避けたばかりの踵が迫って来た。
ダッキングでギリギリかわしたが、耳の先を掠めていった。
蹴り足を直後に引き戻す、掛け蹴りなどと呼ばれている技だ。
しかも、シューレの蹴りは引き戻されながらも伸びてきて、バックステップで避けようとしたら直撃を食らうところだった。
一緒に貧民街へゾゾンの偵察に出掛けた翌朝、俺はシューレと手合わせを行っている。
ちなみに兄貴は、全身の筋肉痛でダウンして呻いている最中だ。
張り切るのは良いけど、不摂生を続けた身体が急な運動に付いてこられるはずがない。
焦る気持ちも分からないではないが、体調を整えながら徐々に身体を動かしていくしかないだろう。
一方シューレは、仇敵ゾゾンを自分の目で確かめたせいか、今朝はいつもよりもピリピリしている。
さっきの蹴りだって、まともに食らっていたら洒落にならない鋭さだったが、それでもシューレは手加減をしているはずだ。
手加減はしているけど、いつもほど上手く加減が出来ていないのだろう。
でも、ちょっとばかりヤバいぐらいは望むところだ。
今は手加減されているが、いつか本気のシューレとガチで手合わせ出来るぐらいに強くなってみせる。
「今日も魔法を使わないつもり? まったくニャンゴは頑固者……でも、そこがいい……」
「にゃっ!」
雑談を始めたかと思うと、ノーモーションの蹴りが飛んで来る。
まるでボクシングのジャブかと思うほど回転の早い前蹴りから、軌道の読みづらい廻し蹴り、ここに杖による突きや薙ぎが加わるのだから始末が悪い。
それでも猫人特有の身体の柔らかさと敏捷性をフル活用して前蹴りを避け、廻し蹴りを棒で捌いてチャンスを窺う。
「ここだ……ふぎゃ!」
槍のごとく突き出された前蹴りをギリギリで避けて踏み込んだ瞬間、左肩に衝撃を食らって地面に叩きつけられた。
避けた直後に跳ね上がったシューレの右足が、踵落としとなって戻って来た。
さっきの掛け蹴りを今度は縦に使った感じだ。
「まだ踏み込みに迷いがある。もっと素早く踏み込まないと届かない……」
「くぅ、もう一本……」
「ニャンゴは諦めが悪いところも良い……」
立ち上がって構えを取ると、シューレは楽しげに笑みを浮かべた。
仇敵との対決を今夜に控えていても、手合わせを始めた直後のような殺し屋みたいな雰囲気を一日中続けていたら疲れてしまうだろう。
今夜の本番にシューレが万全の状態で挑めるように、俺がもう一肌脱ぐとしよう。
手合わせの後、さっと汗を流すつもりがシューレに丸洗いされてしまった。
一肌脱ぐとは言ったが、そういう意味じゃないんだがなぁ……。
朝食に下りてきた兄貴は筋肉痛でプルプルしていて、お爺ちゃんみたいだった。
アツーカ村にいた頃も、たまに畑の手伝いをするぐらいで、ゴロゴロしていただけだから根本的に運動不足なのだろう。
それに加えて、普段は使わない棒を振るための筋肉を使ったからだろう。
朝食の席で、その兄貴に関連して気になっていた事をガドに聞いてみた。
「土属性の魔法って、どんな感じで使うものなんですか?」
「ほう、フォークスは土属性か。土属性は冒険者の場合だと、ワシのように盾役を担う者が多いのぉ」
火属性や風属性のような直接的な攻撃ではなく、足場を固めて相手の攻撃を受け止めたり、罠に使う落とし穴や討伐した魔物の死骸を埋める穴を掘ったり、投擲用の弾を作るなどの補助的な役割が多いそうだ。
「冒険者以外の者では、生産職に就く者が多いのぉ。陶芸は勿論じゃが、鍛冶職人にも土属性の者は多いぞ」
「鍛冶職というと火属性って感じがしますけど……」
「鍛冶に使うような高火力を安定して出せる者は、むしろ騎士としてスカウトされる可能性が高いじゃろう。実際に鍛冶場で使う火は、火力の高い炭が殆どじゃ」
鍛冶職人として求められるのは、土属性魔法を使った製錬技術らしい。
「土属性を極めた者は、鉱石から不純物を取り除いたり、合金の配合さえも行えるそうじゃ。均一の材質に整えたり、部位によって材質を変えたり、優秀な武具士の多くは土属性魔法の使い手じゃぞ」
猫人の兄貴には盾役は無理だけど、職人としての道は残されていそうだと思ったのだが、高度な土属性魔法を使いこなすには高い魔力指数が求められるらしい。
兄貴が、冒険者登録した時の魔力指数は53。
一般的な成人男性の平均が120ぐらいだから、半分にも届いていない。
高度な土属性魔法を習得するのは難しいかもしれない。
「簡単な土属性魔法で出来て、猫人じゃなきゃ出来ない仕事……そんな仕事は無いか」
「あるぞ」
「えっ、そんな都合の良い仕事が本当にあるんですか?」
「あるぞ、お前さんの兄貴にピッタリな仕事だ」
「何ですか、教えて下さい」
「ネズミの抜け穴を塞ぐ仕事じゃ」
「あっ!」
「ネズミが出入りする抜け穴は、大抵が狭い場所にある。身体の大きな者では、入って行くだけで一苦労じゃが、猫人ならば楽に入って行けるじゃろう」
確かにネズミの抜け穴は、天井の角や荷物の陰、倉庫と倉庫の狭い隙間などに多い。
俺は空属性の探知魔法で場所は探し出せるけど、土属性ではないので塞ぐ方法が無く報告するだけだった。
「そうか、俺が見つけて、兄貴が塞げば完璧じゃん」
「俺にも出来る仕事があるのか……」
「ただし、シッカリと穴を塞ぐ技術を身に付けないと駄目じゃない」
「そうだな……でも、穴を塞ぐって、どうやりゃ良いんだ?」
「それは……」
返答に困っているとガドが助け船を出してくれた。
「ネズミが通る程度の穴ならば、新しい壁土を盛って、シッカリと硬化させるだけじゃ。穴が大きい場合には、芯になる木材などを入れて土を盛って固める。穴を塞ぐ土を整形する技術と、硬化の強度を出せれば文句を言われる事は無いじゃろう」
言葉で聞くだけならば簡単そうに思えるが、実際の作業は相応の練習を重ねなければ難しいだろう。
穴を塞ぐための土だって、そこらの土じゃなく粘土とかを用意する必要がありそうだ。
「土属性の魔法の練習ならば、ここの前庭でも出来るぞ。雑草を引っこ抜いて、魔法を使って均して固める。一見単純そうに思えるじゃろうが、広い面積を凹凸無しに均一に固めるのは容易いことではないぞ」
確かに、今の兄貴の魔力指数では、広い面積を一度に固めるような作業は出来ない。
面積を限って作業して、また別の区画を作業するというパターンの繰り返しになると、区画と区画の間に段差が出来たり、固め方に差が出来てしまうだろう。
拠点の前庭は、俺とシューレが動き回って手合わせ出来るぐらいの広さがある。
これを全部兄貴が固め終えられたら、ネズミの抜け穴を塞ぐ程度は楽に出来るようになるはずだ。
「ニャンゴ、俺やってみるよ」
「そうか、でも筋肉痛を治してからだな」
「分かってるよ」
それでも兄貴は、朝飯の後に前庭に出て土をいじり始めたが、しきりに首を捻っている。
猫人だから魔力も弱く、兄貴は巣立ちの儀の後、殆ど魔法を使わなかったそうだ。
当たり前の話だが、魔法も使わないと上手くならない。
俺も使い始めた当初は、思い通りにいかずにイライラしたものだ。
猫人ならではの飽きっぽさが、足を引っ張らないとよいのだが……。
兄貴は地面に手をあてて、意識を集中しているようだ。
俺は、空属性だから空気を意識して扱える。
土属性の感覚がどんな物なのかは知らないが、自分の魔力が及ぶ範囲の土を意識下に置いて自由に動かせる感じなのだろう。
兄貴が魔法を試している姿を見ると、地面に触れていた方が意識を伝えやすいようだ。
自前の毛皮を着ている俺達が、土を扱うと人一倍汚れそうだが、これは諦めるしかなさそうだ。
それにしても、筋肉痛のためにヨタヨタしながら土属性魔法を試している兄貴は、お爺ちゃんが土いじりをして遊んでいるように見えなくもない。
まずは土属性魔法の上達が必要だが、いずれ一人で仕事を出来るようになったら、水の魔道具とか仕事に必要なものをプレゼントしてやろう。
まだまだ細く険しい道だけど、兄貴の自立のための道筋が、ほんの少しだけ見えてきたような気がする。





