暗躍(前編)
ニャンゴがエルメリーヌ姫との夕食を終えて宿舎に戻った頃、王城で仕事に追われている男がいた。
男の名はオーレリオ・エルマリート、シュレンドル王国の宰相だ。
「まったく、このような急な予定の変更が、どれほどの影響を及ぼすと思っていらっしゃるのか……」
オーレリオが愚痴をこぼす理由は、国王陛下のために組み上げた予定が、突如として変更になったからだ。
理由は言うまでもなく、遊覧飛行を行うためだ。
そのために、事前に組み上げた予定を前倒ししたり、先送りしたり、調整に追われているのだ。
ただでさえ、宰相としての業務は多岐にわたり、目を通し、決裁する書類は膨大な量であるのに、この数日は普段の倍近い仕事をこなさなければならない。
ただ、オーレリオの業務量が多いのは、宰相だからという理由だけではない。
前任の宰相が病気で急逝した時、今は亡きアーネスト第一王子が次期国王となった時のことを考え、まだ二十代の頃に後任に指名されたオーレリオは非常に優秀な男だった。
経験不足を危ぶむ声や、栄達を羨む声があるなかでも、粛々と宰相の役割を果たしてきたことを見ても、オーレリオが優秀なのは間違いない。
ただ、オーレリオは優秀であるがゆえの落とし穴に嵌まり込んでいる。
自分以外の人間が、酷く無能に見えてしまっているのだ。
他人の働きぶりに満足できなかったオーレリオは、失敗を重ねていくことになる。
周囲の成長を促すのではなく、足りない部分を自分で補おうとしてしまったのだ。
結果として、仕事の効率は上がったように見えるのだが、それはオーレリオが処理する仕事の量が増えただけで、組織全体の効率が上がった訳ではない。
そして、普段の業務だけならば、回っていた仕事は、突発的な事態を迎えて破綻をきたす。
つまり、今オーレリオが業務の山との格闘を余儀なくされているのは、これまでの誤った効率改善のツケを払っているからなのだが、当人は周囲の無能さが招いた結果だと思い込んでしまっている。
そして、その多忙な状況を招いた原因にも、オーレリアの憎しみは向けられる。
オーレリオは遊覧飛行の警備計画に目を通しながら、顔を歪めながらつぶやいた。
「まったく目障りな劣等種め……」
オーレリオは、暗殺されたアーネスト第一王子を崇拝していて、獣に近い姿をしている猫人を蔑視している。
その猫人の象徴のようになっているニャンゴの活躍は、オーレリオにとって不満の種だ。
今回の業務の混乱も、ニャンゴが原因となっているせいで、オーレリオは余計に腹を立てているのだ。
その上、ニャンゴに対しては領地を与えて、昇爵させる話まで持ち上がっているのだ。
オーレリオは宰相を務めているが、爵位は伯爵だ。
名誉子爵であるニャンゴが、更に上の爵位を賜ることになれば、オーレリオと同じ伯爵位となる。
「劣等種と肩を並べる? あり得んだろう」
腕組みをして警備計画を眺めていたオーレリオは、猛烈な勢いで一通の書状を書き上げ、封筒に入れて封をした。
宛先はセルドロ・フロンデール、旧第一王子派で懇意にしている伯爵家の三男だ。
貴族の三男となると婿入り先が見つからない場合は厄介者扱いされるのだが、セルドロは表向きの冷遇とは裏腹に、裏社会に通じていることで兄たちから頼りにされている。
書状には、遊覧飛行と警備の概要の他に、王族が襲撃されれば大変な事態となる、ニャンゴ・エルメール名誉子爵が主役を務めるから、よろしく頼むと記されていた。
オーレリオは書状を他の書類と共に回収箱に入れた。
翌朝早くに回収され、その日の午後にはフロンデール家に届けられるはずだ。
内容をそのまま読むならば、裏社会に精通しているセルドロに王族警護の協力を要請しているように受け取れる。
だが、何の役職にも就いていないセルドロに、概要とはいえ警備計画を明かすのは、宰相としてはあるまじき行為だ。
「時間は無いが、奴ならばなんとかするだろう……」
セルドロは、オーレリオと同様に血統主義で選民思想の持ち主で、ニャンゴの活躍を快く思っていない。
書状をみればオーレリオの意図を正確に読み取り、遊覧飛行当日までに何らかの手段を講じるはずだ。
オーレリオの意図とは、遊覧飛行を楽しんでいる王族への襲撃だ。
誰を殺すのか指定していないのは、暗殺を成功させるというよりも、騒ぎを起こすことに主眼が置かれているからだ。
王族が襲撃され、命の危険に晒されるような状況が起これば、非難の矛先は遊覧飛行に関わった者たちへと向けられる。
最も非難を受けるであろう人物は、空を飛ぶなどという非常識な行動を行ったニャンゴ・エルメールになるはずだ。
一日に三頭もの地竜を討伐し、カーライル侯爵領を壊滅の危機から救った功績も、王族を危険に晒せば帳消しにされるだろう。
ニャンゴ・エルメールを昇爵させない、それこそがオーレリオの目的だ。
「さて、どんな醜態を晒すのやら……」
襲撃を受け、平身低頭するニャンゴの姿を脳裏に思い描き、オーレリオが人の悪い笑みを浮かべたところで、執務室のドアが開いた。
「失礼いたします。バルドゥーイン殿下がお見えです」
まだ書状が手元にあるのに、悪企みが露見したかと思い、オーレリオは思わず身を固くした。
「忙しい時に邪魔をしてすまないな、オーレリオ」
「いいえ、何かございましたか?」
「陣中見舞いの夜食だ」
バルドゥーイン殿下は、右手に下げていたバスケットを応接テーブルに置いた。
「少し休憩したらどうだ? まだ掛かるのだろう?」
「はい、ありがとうございます」
オーレリオは、正直に言って休憩するよりも仕事を進めたかったのだが、王族からの誘いを拒絶する訳にもいかない。
籠の中身のサンドイッチを見たい途端、ぐぅぅぅ……っとオーレリオの腹が鳴った。
実を言えば、オーレリオは昼食もろくに食べずに仕事を続けていた。
仕事も進めたいが、腹が減っているのも確かだ。
「すまんな、宰相にばかり負担を掛けて」
「いいえ、これが私の仕事ですし、陛下には何かお考えがあるのでしょう」
「ははっ、半分以上は好奇心なんだろうが、戦術としての利用も考えていらっしゃるのだろう」
「敵地の偵察でしょうか?」
「それもあるだろうが、単純に高い所から物を落とすだけでも相当な威力だろう」
バルドゥーイン殿下は、旧王都の学院で飛空艇の試作が行われている事や、それを伝え聞いた国王陛下が利用価値を考えていると明かした。
ただの遊びであるならば、自分の苦労は報われないと感じていたオーレリオは、戦術利用を検討していると聞き、少し胸の中のモヤモヤが晴れたように感じた。
「さて、いつまでも仕事の邪魔をしているわけにいかんから、この辺りで失礼しよう。あぁ、食器などは部下に命じて調理場に届けてくれ」
「かしこまりました」
オーレリオは退室するバルドゥーイン殿下をドアまで送ったと、サンドイッチをもう一つ腹に入れるためにソファーに戻った。
差し入れのサンドイッチは、空腹だったオーレリオには、とても美味しく感じられた。
「まぁ、差し入れは認めてやるが、お前が王になること認めないからな……」
オーレリオはサンドイッチを口一杯に頬張ると、お茶で流し込み机に戻ったのだが、仕事を再開してから十分ほど経ったところで、忌々しそうにつぶやいた。
「くそっ、罠だったのか……」
腹の皮が突っ張ると眼の皮が弛む。
この後、オーレリオは強烈な睡魔と戦う羽目になった。





