天上の食べ物
バルドゥーイン殿下が言っていた通り、一夜が明けると雨が降っていた。
朝から降り出した雨は、次第に雨脚を強めている。
宿舎の窓から見える景色も雨に煙っていて、これでは遊覧飛行など出来る状態ではない。
遊覧飛行が中止になったら遊んでいられるかと思いきや、午前中は王国騎士団との警備の打ち合わせに駆り出されてしまった。
お布団に潜って、ぬくぬくしていたかったのに……。
打ち合わせの場には、アンブリス・エスカランテ騎士団長を筆頭に、四人の師団長が顔を揃えていた。
王族を乗せて、ふわーっと王都を一周してくるだけ……なんて軽く考えていたのだが、一国の王が最悪の場合には死亡するような行事が、そんなに簡単な話で済むはずがないのだ。
遊覧飛行の当日には、ホフデン男爵の息子バルナルベスの公開処刑の時よりも厳重な警備体制が敷かれるらしい。
王都を四つに分割して各師団が人員を配置、王国騎士に加えて、騎士候補生も駆り出されるそうだ。
たぶん、オラシオたちも警備に加わるのだろう。
そんな中で、俺に課せられた使命は、予定通りのコースと高さで王都を巡回することだが、襲撃されないようにするには、さっさと高度を上げてしまった方が良いだろう。
王都を巡回する時には、高度百メートルほどを予定している。
「そもそも王城は第二街区よりも高い場所にありますから、第一街区を抜ける前に指定の高度まで上がってしまおうと思っています」
「そうだな、王城や貴族の屋敷の敷地にいるうちに高く飛んでしまえば、手出しも出来ないだろう。『巣立ちの儀』の時とは違い、襲撃する側も準備する時間が無いからな」
騎士団長が言う通り、今回の遊覧飛行は前々から予定されていたものではなく、突発的に開催されることになった行事だ。
それだけに、王族を襲おうと思っている連中も襲撃計画を準備する時間が足りないはずだ。
その上、標的は大聖堂の塔よりも高い場所を移動しているのだから襲撃は難しいと思ったのだが、ツェザール第二師団長が異を唱えた。
「油断は禁物です。大聖堂よりも高い場所といっても、飛ぶ鳥を撃ち落とすのと大差ありません。それに王族やエルメール卿に当てなくても、機体を壊せば命を奪えるのではありませんか」
この世界には、まだ銃は存在していない。
魔銃は存在しているが、火薬式の銃ほどの弾速も飛距離も無いから大丈夫かと思ったが、身体強化魔法の存在を忘れていた。
身体強化の魔法を使えば、高さ百メートルまで手槍を投げることも可能だろう。
弓矢も、常人では引けないような豪弓を使えば、地上から狙撃できそうだ。
そして機体を壊せば飛行船は墜落し、乗っている人間の命は脅かされる。
ただし、それは普通の飛行船ならばだ。
「飛行船の下部は空属性魔法のシールドで覆うつもりですが、強力な攻撃を立て続けに食らえば、機体を壊される心配はありますね」
「その場合、同乗している王族を助ける手立てはあるのかね?」
騎士団長の問い掛けには、自信を持って頷いた。
「大丈夫です。王族の皆様を乗せる客室は、機体よりも頑丈なシールドで覆います。機体が壊れた場合でも、客室は俺の魔法で高度を維持できますから、地上まで安全に降下は可能です」
飛行船の仕組みを使わなくても空属性魔法で作った物は自由に動かせるので、キャビンを飛ばし続けることは可能だが、その場合には魔力を多く消費する。
俺とミリアム程度の重さなら、長時間維持しても問題無いが、体格の大きな人を二人乗せた状態で飛び続けるのは難しい気がする。
魔力回復の魔法陣を使えばカバーできるだろうが、それでも長時間の飛行は厳しい気がする。
「その場合には、城壁の上に降りる方が良いでしょうか? それとも、王城へ戻った方がよろしいでしょうか?」
「可能であれば、王城まで戻ってもらいたい。だが、それが難しい状況であれば、城壁の上が良いだろうな」
城壁の上は周囲の建物よりも高いし、当日には多くの騎士が配置されているはずだ。
王族を守るにしても、反撃するにしても、高い場所の方が有利だろう。
例え、何らかの不測の事態が起こって、城壁上から騎士が居なくなったり、戦闘不能になっていたとしても、応援が来るまでの時間稼ぎぐらいは可能だ。
『不落』の二つ名は伊達ではないと思い知らせてやろう。
王族の遊覧飛行なんて前代未聞の行事なので、対策は昼食を挟んで、幾つものパターンを想定して行われた。
休憩は昼食の他にはお茶を一回飲んだだけで、殆どぶっ通しで議論が重ねられた。
ていうか、この人たちって本当にタフだよね。
肉体的には言うにおよばず、こうした頭を使う仕事でもずっと集中力を保ち続けていられるのは本当に凄い。
前世ではボッチな高校生までしか経験していない俺は、こんなに長時間の議論をしたのは初めてだ。
ぶっちゃけ、騎士や兵士、騎士候補生の配置云々は、専門的すぎて半分も理解できなかった。
理解できない話が続くと、猫人の体は自動的に休眠モードに入ろうとするので、意識を保っているのが本当に大変だった。
遊覧飛行は明後日の予定だが、明日天気が回復するようならば、テスト飛行をしておきたいので、夕食を食べたら早めに休もうと思い宿舎に戻ると、メッセージが届いていた。
差出人はエルメリーヌ姫様で、用件は夕食へのお誘いだった。
もしかして、バルドゥーイン殿下からデザート禁止令が出されているのを知って、こっそりケーキを食べさせてくれるのでは……なんて考えは甘かった、イチゴのショートケーキよりも甘かった。
夕食の場所は、騎士団の食堂ではなく、王城の一室だった。
これはまた、国王陛下とゆかいな仲間たちの夕食会かと思いきや、食器が二人分しか用意されていなかったのだ。
それも、なぜだか対面ではなくて、横並びに二人分の食器が並べられている。
青いドレスに身を包んだエルメリーヌ姫様は、席に着くのももどかしい様子で、いきなり話を切り出した。
「ニャンゴ様、じゃじゃ馬令嬢をお乗せになったそうですね」
「は、はい……」
怖いよぉ、姫様の瞳が暗黒面に堕ちてしまっている。
「私は乗せてくださらなかったのに……」
「も、申し訳ございません。大公殿下からのご希望で、断りづらくて……」
「では、これからは私の要望も聞いて下さるのですね」
「えっと……はい、可能な限りは……」
ていうか、バルドゥーイン殿下やファビアン殿下は、どうして一緒にいてくれないのだろう。
いや、このピンチは俺の力で乗り越えていくしかない。
「ひ、姫様、どうして向かい合わせの席ではないのですか?」
「あーんが、出来ないからです」
「あーん……ですか?」
「はい」
この日の夕食は、あーんしてもらい、あーんしてあげて食べたので、いつもよりも時間が掛かってしまった気がする。
そして、食事の最後のデザート、アップルパイは一個だけしか運ばれて来なかった。
「エルメール卿にはお出ししないように、バルドゥーイン殿下から仰せつかっております」
「そんなぁ……」
給仕さんの一言を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。
これほど深い絶望感を味わったのは、転生してから初めてかもしれない。
姫様がナイフを入れると、サクっとパイ生地が乾いた音を立て、シナモンと甘いリンゴ香りが広がる。
「んー……パイ生地の香ばしさとバターの香り、リンゴの豊潤の味わいが混然となって、うみゃ!」
姫様の食レポで口の中が唾液の大洪水になってしまった。
一口、また一口と、姫様は満面の笑みを浮かべてアップルパイを楽しんでいる。
姫様はアップルパイ端、生地が厚くなっている部分とリンゴが入っている部分を一緒にして切り分けた。
そうそう、その端っこをザクっと噛みしめた後で、リンゴの味わいを堪能するのがうみゃいのに……。
「ニャンゴ様、兄上には内緒ですよ」
「えっ……」
「あーん……」
「にゃぁぁぁ……あーん……うみゃ! サクサク、ほろほろと崩れるパイ生地とリンゴのハーモニーが口の中で響き合って……うんみゃ!」
たった二口だったけど、この時のアップルパイは天上の食べ物だと感じた。





