試験飛行(後編)
「お、おはようございます……本日は、よろしくお願いいたします」
墜落時に少しでも身を守るためなのか、レンボルト准教授は革鎧とヘルムを身に着けているのだが、普段ヨレヨレの白衣姿しか見ていないので、物凄い違和感がある。
それと、期待と不安が高いレベルで入り混じっているせいか、顔のこわばりがヤバいレベルだ。
「おはようございます、レンボルト准教授。可能な限りの安全対策を行いますから、緊張しすぎず、はしゃぎすぎずに試験飛行に臨みましょう」
「はい、今日は、それほど高く飛ぶ予定ではありませんが、よろしくお願いします」
「でも、気を付けてくださいね。今日は大公殿下もカーライル侯爵令嬢もいらしています。危険だと思われると、今後の研究に影響が出るかもしれませんよ」
「えっ、そ、そうですね……慎重にやらせていただきます」
俺としては、レンボルト准教授が変なテンションになって突っ走ってしまうのが一番不安なので、とりあえず釘を刺しておいた。
「試験飛行は、打ち合わせ通りですよね?」
「はい、今日はあくまでも人を乗せて浮かぶのが第一の目的ですので、高さは建物の三階程度までと考えております」
「分かりました。俺の方は、いつでも大丈夫なので、そちらのペースで試験飛行を始めて下さい」
「はい、よろしくお願いします!」
挨拶を終えた後、レンボルト准教授は飛空艇の周囲にいる学生たちに最終的な指示を出し、ネルデーリ学部長の確認を経て操縦席へ乘り込んだ。
今日の試験飛行は、学院の中庭ではなく大公家騎士団の演習場で行われる。
人を乗せて浮かぶのが第一の目的だが、広い演習場をぐるりと一周する予定だ。
全長二十メートルほどの葉巻型をした飛空艇には、中央底部にキャビンが設けられている。
この試験機の乗船人数は四名までで、前から一、二、一の形で座席が設置されている。
先頭の座席が操縦席で、後ろの三席が今後客席になるかもしれない座席だ。
飛空艇は、大きな台車の上に置かれている。
台車は、試験飛行中には重しの役割を果たすそうで、大きな砂袋が幾つも載せられている。
空に浮かんだ飛空艇は、この台車を引っ張りながら演習場を周回する予定だそうだ。
操縦席と地上との連絡は、俺が空属性魔法で通信機を作って補助する。
レンボルト准教授とネルデーリ学部長が会話できる形にしてある。
「レンボルト、固定用のロープを解いた。魔道具を作動させて浮上を開始せよ」
「了解、浮上作業を始めます」
飛空艇の気室内部に設置された、ヘリウムと思われる気体を発生させる魔法陣が作動し、気室内部の圧力が高まっていくと、飛空艇は台車を離れて浮かび始めた。
「おぉぉぉ……」
今日の試験飛行には、大公殿下だけでなく、多くの騎士たちも見物に訪れている。
いつの世も同じなのだろうが、軍用製品には多くの資金が投入される。
この飛空艇も、空からの偵察という利点をアピールできれば、軍用品として多額の開発費用を獲得できるかもしないのだ。
勿論、戦争の道具などに使われず、平和的に利用されるのが一番だが、現実的に開発にはお金が掛かる。
ダンジョン新区画から先史文明の技術が、一度に大量に発見されているので、現在多くの分野で研究が始められ、資金の獲得競争が行われているようなのだ。
今日の試験飛行は、資金獲得のためのデモンストレーションでもあるようだ。
ふわりと浮き始めた飛空艇は、徐々に上昇速度を上げ、十メートルほどの高さに達したところで、台車との間に張られたロープによって停止させられた。
「レンボルト、上昇用の魔道具を停止」
「了解、停止します」
「こちらから見て、高度が安定しなくなったら再起動の指示を出す」
「お願いします」
「一旦そのままの状態を保持する」
「了解」
今日は風も穏やかで、浮かび上がった飛空艇は安定した状態で高度を保っている。
気室を構成している素材は、どうやら極端な気体洩れなどを起こしていないようだ。
「安定してますね、ネルデーリ学部長」
「はい、ここまでは順調に見えます」
飛空艇は十分程、そのままの状態を維持していたが、高度が下がったり、傾いたりする様子は見られなかった。
「レンボルト、本日の安定試験は合格だ。これより移動試験に移行する」
「了解です」
通信機越しだが、レンボルト准教授の声にはホッとしているような響きが感じられた。
「それでは、ゆっくりと前進開始」
「前進します!」
飛空艇には、三つの風の魔道具が設置されている。
キャビンの左右に一つずつ、そして船尾に一つだ。
風の魔道具は、前進の他に逆噴射の機能が備わっているそうだ。
船尾に付けられた風の魔道具は、上昇、下降を支援するためのものだ。
この三つの魔道具を操作して、飛空艇の進路を決定する。
ブォーっという低い音と共にキャビン両側の風の魔道具が起動し、飛空艇は台車を引っ張りながら、ゆっくりと前進を始めた。
「おぉぉぉ……進み始めたぞ」
「人が空を飛ぶ時代が来た」
「俺も乗ってみたい」
「もっと高く飛べないのか?」
見物に訪れている騎士たちからは、驚きと共に様々な声が上がっている。
そりゃあ、実際に飛んでる様子を見れば、乗ってみたいって思うよね。
飛空艇は、安定した姿勢を保ちながら、ゆっくりと前進を続けている。
「レンボルト、そろそろ左に旋回するぞ」
「了解、左旋回準備」
「旋回始め!」
「旋回します!」
前進を続けていた飛空艇は、ゆっくりと左旋回を開始した。
演習場の端までは、まだかなり距離が残っているが、余裕を持って旋回を指示したようだ。
飛空艇がゆっくりと左旋回を始めた時、少し強めの風が吹いた。
それまで安定した飛行を続けていた飛空艇が、風によって左側へと流された。
台車に繋がれたロープが引っ張られ、飛空艇は大きく左に傾いた。
飛空艇に引きずられる形で、台車がズズっと横滑りを始める。
「旋回停止! 動力停止!」
「停止します!」
台車は五メートルほど横滑りした所で停止、左に大きく傾いた飛空艇も浮力によって持ち直す。
「おぉぉ……」
一瞬墜落するかと息を詰めていた騎士達から安堵の声が洩れる。
だが、まだ事態は収束していない。
揺り戻しの反動で、飛空艇は大きく右に傾き、台車が再び引きずられる。
ロープによって台車に固定されていなければ、これほど極端な挙動を起こさずに済んでいたのだろうが、固定されている現実は変わらない。
右に揺り戻した飛空艇は、再び横風を受けて左に大きく傾く。
先程よりも、傾く速度が上がっている。
「介入します! エアクッション!」
飛空艇の左側面を空属性魔法で作ったエアクッションで受け止める。
エアクッションがボフっと潰れることで、飛空艇が左に傾く速度が大幅に軽減した。
「レンボルト、試験中止! 降下せよ」
「了解、降下します」
突風の影響を考慮して、ネルデーリ学部長が試験飛行の中止を宣言。
レンボルト准教授は飛空艇を降下させる操作を行ったようだ。
「馬鹿、速過ぎる!」
「うわっ、エアクッション!」
飛空艇の左側を支えたエアクッションを消し、急いで下側に展開する。
飛空艇はボフっとエアクッションを潰しながら、前のめりに降下し、メキメキメキっと大きな音を立てて先端部分が壊れながら着地し、左側に横倒しになった。
「レンボルト先生!」
これ以上、飛空艇が風に煽られて移動しないように、空属性魔法のシールドで押さえつけ、大急ぎでキャビンに駆け寄った。
「レンボルト先生、大丈夫ですか!」
「あ痛たた……大丈夫、このベルトのおかげで何とか……」
元々、飛空艇の座席には何のベルトも取り付けられていなかったが、体を固定できるベルトがあった方が良いと俺が提案し、シートベルトを付けてもらったのだ。
まさか、こんなに早く役に立つとは思ってもいなかった。
「レンボルト先生、出られますか?」
「今、ベルトを外して……うわっ」
「エアクッション!」
飛空艇が横倒しになった状態でベルトを緩めたので、レンボルト准教授が宙吊りの状態から落ちそうになった。
「ありがとうございます、エルメール卿。おかげで命拾いしました」
「まさか、あんなに強い風が吹くなんて……」
「えぇ、正直予想していませんでした……」
飛空艇の有人初飛行は、横風への課題を露呈する形で終了した。





