大空への憧れ
※今回はレンボルト准教授目線の話になります。
鳥のように自由に空を飛びたいと思ったことは無いだろうか。
かつて風属性の魔法を操って、空を飛んだ人がいたらしい。
ただし、その結末は殆どが悲惨な結果に終わっているそうだ。
物体は高い場所から低い場所に向かって落下する。
空を飛ぶには、その法則に抗い続けなけれならない。
風属性の魔法で空を飛んだ人たちは、地面に向かって風を放出して空を舞ったそうだが、魔法の向きを誤ったり魔力が切れれば、落下の法則に囚われて地面に叩きつけられてしまう。
空を飛んだと実感できる高さから落下すれば、人間の体は衝撃に耐えられず負傷し、命を落とす羽目になる。
いつからか、風属性魔法で空を飛ぶのは無謀な行為だと言われるようになった。
空を飛ぶには、風属性以外の魔法は考えにくい。
水属性魔法で飛び上ることは出来ても、それは空を飛んでいるとは言えないレベルだ。
やはり、人間が空を飛ぶのは不可能に近い行為なのだと、私の中の常識が固まった頃に、その人物は現れた。
私が勤めていた学院があった地方都市イブーロから、更に馬車で一日北へ向かった小さな村でブロンズウルフが討伐されたという話を聞いた。
ブロンズウルフは、Bランクの魔物の中でも特に危険とされる魔物だ。
そんな魔物の討伐に加わった冒険者と酒場で居合わせ、後学のために話を聞いたら、おかしな事を喋り始めたのだ。
「詳しいことは良く分からないが、火属性の魔法じゃなくて、火の魔法陣を使って止めを刺したらしい」
「火の魔法陣をどうやって?」
「そいつは俺にも良く分からねぇ。詳しく聞きたきゃ本人にリクエストを出すんだな」
ジルという冒険者に聞いた名前を使い、ギルドにリクエストを出してみた。
数日後、私の研究室を訊ねて来たのは、私よりも遥かに小柄な猫人の少年だった。
「君が……ニャンゴ君?」
「はい、そうですが」
「本当に君が……ニャンゴ君?」
「はい……」
「ブロンズウルフに止めを刺した……ニャンゴ君?」
「あれは、チャリオットやボードメンの皆さんが頑張ってくれたからで、俺だけの手柄じゃないですよ」
左目に眼帯を付けている以外は、本当にどこにでも居るような猫人の少年は、出会った直後から私の常識をぶち壊し始めた。
何の役にも立たないと言われている空属性魔法で足場を作って宙を歩き、魔素を含んだ空気を圧縮して魔法陣の形に固めて刻印魔法を発動させた。
魔力も弱く、体格にも恵まれていない猫人でありながら、ブロンズウルフに続いてワイバーンも撃破した。
ラガート子爵の目に留まり、護衛として同行した王都では、反貴族派の大規模攻撃から王族や貴族の子女を守り切り、名誉騎士に任命された。
移籍した旧王都では、ダンジョンの新区画を発見し、動くアーティファクトなど数々の歴史的発見を成し、名誉子爵へと昇爵した。
出会った当時はニャンゴ君などと気軽に呼んでいたが、今ではエルメール卿とお呼びすべき存在となった。
その常識破りなニャンゴ・エルメール卿が、空を自由に飛ぶのだ。
残念なことに、私はまだ乗せてもらえていないのだが、エルメール卿本人だけでなく、同じパーティーに所属する獅子人の女性と一緒に空を飛ぶ姿が目撃されている。
空に腰を下ろした姿勢で、ふわりと空に浮かんで、すーっと飛んでいく。
今では、空を飛ぶエルメール卿の姿は、旧王都では珍しくなくなっている。
エルメール卿が単独で空を飛ぶ時には、鳥よりも遥かに速い。
空の飛び方は、浮力の獲得方法や推進力に複数の方法があり、用途に合わせて組み合わせを変えているらしい。
一番速い方法だと、馬車で十日以上かかる旧王都とイブーロの街を一日で楽に往復出来てしまうそうだ。
人間は空を自由に飛ぶのは難しいという結論に固まりかけていた私の常識は、木っ端微塵に打ち砕かれた。
そして、ダンジョンで発見された先史文明の技術の中にも、人が空を飛ぶ技術があった。
エルメール卿曰く、それの実現には二つの魔法陣が必要だそうだ。
一つは空気よりも軽い気体を発生させる魔法陣、もう一つは推進力となる風の魔法陣だ。
空気すら通さない緻密な布で作った袋に、魔法陣で発生させた空気よりも軽い気体を入れていくと、袋は空へと浮かび上がる。
袋の中の気体の密度を変えれば、上昇も下降も可能らしい。
空に浮いてしまえば、こちらのものだ。
風属性魔法で空を飛ぶのとは違って、空に浮かんだ状態を比較的容易に維持出来るから墜落の心配は無い。
これで空を飛べるようになる……その高揚感が私の判断を狂わせた。
実験用に作った浮遊体に掴まり、そのまま降りることを忘れて空に浮いてしまった。
地面から足が離れ、二階の高さ、三階の高さと高度が上がるほどに、全身に震えが走った。
「す、素晴らしい! 飛んでいる、私は確かに飛んでいる!」
このまま四階の屋根に降りれば大丈夫だと思っていたのだが、私は自分の握力を過信していた。
模型を掴んでいた手が離れ、一瞬の後に私はぞっとするような浮遊感に包まれた。
これは、かなりの怪我を負うかもしれないと思ったが、怖いというよりも、怪我の程度によっては長期間研究が出来なくなるかもしれないという危機感の方が上回った。
どうか寝たきりにならないようにと願った祈りが天に届いたのか、私は空気の塊に包まれるようにして、殆ど衝撃も感じずに着地することが出来た。
「何をヘラヘラしてるんですか! 安全を確保できない人には、実験をやる資格なんてありませんよ!」
エルメール卿に烈火のごとく怒られても今ひとつ実感に乏しかったが、その後に上司であるネルデーリ学部長から厳しい叱責を受けて、考えを改めざるを得なくなった。
実験には、人と同程度の重さの砂袋を使い、推進器は魔導線を使って遠隔操作するようにした。
浮遊体には、水や空気を遮断し軽くて裂けにくい布を、幌布を作っている商会と協力して作りあげた。
推進器は、積層魔法陣の理論を教えることで、魔道具屋と協力して開発した。
模型を繋ぎ止めるロープに魔導線を這わせて、推進器を遠隔で操作できるようにもした。
今回は、人間四人分の重さの砂袋を乗せての試験飛行となる。
今回の試験で問題がなければ、実際に人を乗せた状態での飛行となり、更に試験を重ねて問題が無いと判断されれば、係留している綱を外しての飛行となる。
「学部長、始めてもよろしいでしょうか?」
「安全に留意して試験を行うように」
「はい、では始めます。離陸!」
私の合図で、学生が飛空艇を係留しているロープのロックを外した。
ロープは大型の巻き取りローラーに繋いであり、ローラーは地面に打ったアンカーで固定してある。
ふわりと上昇を始めた飛空艇は、葉巻型の木製フレームに、特製の気密布を張って浮遊体としている。
フレーム下部には人が四人乗れるキャビンがあり、浮遊体の内部には空気よりも軽い気体を発生させる魔道具を設置してある。
魔道具を作動させ、浮遊体下部から内部の空気を抜いていくと、徐々に浮力が上がっていく。
今回は試験前から魔道具を作動させて、十分な浮力を溜めておいた。
「レンボルト、流されているぞ」
「大丈夫です、今から立て直します」
飛空艇は、緩やかな東風によって流され始めたが、魔導線経由でキャビンの両サイドに取り付けた風の魔道具を作動させる。
ゆっくりと東へ向きを変えた飛空艇が極力巻き取りローラーの真上になるように、推進器の出力を微調整するのだが、これがなかなか大変なのだ。
エルメール卿が話していたが、地上に吹く風と上空に吹く風では、風向きが全く違っていたりする。
風向きが変われば流される方向も変わり、その度に推進器を調整しなければならない。
約一時間にわたって続けられた試験飛行が無事に終了し、飛空艇の回収作業が完了すると、私の背中は汗でビッショリだった。
「レンボルト、推進器の操作は大変そうだな」
「はい、風向きは常に変わりますし、風の強さも変わりますので、神経を使います」
「その辺りが今後の課題だろうが、飛行に関しては概ね安定している」
「では……人を乗せての飛行試験も……」
「それについては、エルメール卿に安全確保のためのリクエストを出す。試験の許可はそれが受理されたらだ。ここまで、良く仕上げたな」
「はい、ありがとうございます」
空属性を持たなくても、非凡な才能を持たなくても、人間が空を飛べる時代がもうそこまで来ている。
エルメール卿ほど自由に飛ぶのは難しいだろうが、私は必ず空を飛んでみせる。





