予期せぬピンチ
おかしい、あれほど万全の準備を整えたはずなのに、なんでこんなピンチに陥っているのだ。
エルメリーヌ姫は、うっとりと見惚れてしまうようなロイヤルスマイルを浮かべているのに、目が全く笑っていない。
発掘の行われているダンジョンの新区画は地下深くにあり、一年を通して殆ど気温は変化しないはずなのに、五度くらい一気に冷え込んだ気がする。
エルメリーヌ姫の冷やかな視線の先にいる俺は、翼の生えた猫の紋章が入った革鎧を身に着け……レイラに抱っこされている。
うん、俺が原因だな。
でも、言い訳をさせてもらうなら、気付いたらこの格好だったのだから仕方ないじゃないか。
人間が無意識に呼吸をするかのように、スポっとレイラの腕の中に納められてしまったのだ。
ダンジョンの見学自体は、順調にスタートしたのだ。
昔のダンジョンならば、いつ落下するか分からないような昇降機に乗るか、そうでなければ自分の足で階段を降りなければならなかった。
だが、今のダンジョン新区画は、発掘品のスムーズな運び出しを目的として、地上から馬車の乗り入れが可能となっている。
馬車が乗り入れられるのだから、当然魔導車だって乗り入れは可能だ。
エルメリーヌ姫を乗せた魔導車は、大公殿下の屋敷を出ると、そのまま地下道へと直行し、一般人の出入りが禁じられたダンジョン新区画へと乗り入れた。
発掘が行われているショッピングモールの入口まで魔導車は進み、先乗りした騎士団の面々が周囲を固める中でエルメリーヌ姫はダンジョンへと降り立った。
最初に出迎えた人たちを俺が紹介していった。
「姫様、こちらは旧王都学院のユゴー学院長です」
「ユゴーと申します、ようこそいらっしゃいました」
「皆さん、どうぞお立ちになって、楽になさって下さい」
出迎えた人たちが跪いているのを見ると、エルメリーヌ姫は立礼で構わないと言って、全員を立たせた。
「姫様、こちらは発掘の当初から担当してくださっているモルガーナ教授です」
「モ、モルガーナです……よ、よろしくお願いいたします」
まぁ、当然と言えば当然だが、研究バカのモルガーナ教授も姫様を前にしてガチガチに緊張している。
ドレス姿ではなく、乗馬するような服装だが、漂うオーラが違うんだよねぇ。
さて、次はチャリオットのみんなだ。
「姫様、ここからが俺のパーティーのメンバーです」
「リーダーのライオスです」
「前衛の盾役を務めておる、ガドと申します」
「セ、セルージョ、中衛の弓使いだ……です」
「前衛のレイラよ」
「シーカー兼中衛のシューレ……」
「お、同じく、ミ、ミ、ミリアムでしゅ」
普段と変わらない者、緊張しまくっている者、らしいと言えばらしい。
姫様は、一人一人に笑顔で会釈を返していく。
「姫様、こちらが兄のフォークスと、その嫁のクーナです」
「フォ、フォ、フォ、フォ……」
「待った、待った、落ち着け兄貴」
バルタン星人みたいになっている兄貴を、一旦止めて深呼吸させる。
目がグルグルしていて、倒れやしないか心配になる。
「フォ、フォ……フォークスです。初めまして!」
兄貴はペコっと腰を折って頭を下げた途端、前のめりに倒れそうになって、慌てて俺が抱き止めた。
「オッケー、兄貴、よく頑張った。もう大丈夫だ」
「すまん、ニャンゴ……」
ポンポンと肩を叩いてやると、兄貴はフーっと息を吐いて肩の力を抜いた。
「クッ、クッ、クゥ……」
って、お前もかい!
クーナは兄貴がフォローして、何とか挨拶を済ませた。
全員の紹介が終わったところで、いよいよ見学をスタートさせる。
「では姫様、内部をご案内いたします」
「よろしくお願いします。エルメール卿」
そう、ここまでは何の問題も無かった。
兄貴とクーナの緊張ぶりが少々ヤバかったが、まぁそれも想定の範囲内だ。
見学ルートは事前に打ち合わせ済みで、床面の清掃も終え、魔道具の明かりも設置してある。
フロア内部は、王国騎士団が索敵を行い、小さなフキヤグモ一匹見逃さない体制を構築してある。
「ここは、建物の中に様々な商店が入った大きな商業施設だったと思われます」
空属性魔法のエアウォークで、エルメリーヌ姫と視線を合わせて歩きながら、ショッピングモールの説明をする。
一階のフロアは、既に物品の搬出は終わっていて、今はショーウインドに使われている大きなガラスの取り外し作業中だ。
勿論、今日は作業自体は行われていない。
「こんなに大きくて歪みの無いガラスは凄いですね」
「たぶん、当時としては珍しい技術ではなかったと思われます」
大きな板ガラスは、今の技術では製作が難しい。
ショーウインドサイズの物は、殆ど作られていないし、あっても斜めから見ると歪みが残っているのだ。
なので、このショッピングモールのショーウインドに使われているガラスは、丁寧に取り外されて、別の場所で活用されることになる。
当然、高額での取り引きとなり、チャリオットの懐を潤してくれている。
「エルメール卿、運び出しが終わっていない所は、見せていただけないのですか?」
「この後で、お見せする予定になっております」
「本当ですね? 私は特別な状況ではなく、普段のダンジョンの姿が見たいのです」
「普段のダンジョンですか……それは、ちょっと難しい……みゃ?」
普段のダンジョンは人の出入りが多すぎるので、お見せするのは難しいと説明しようと思っていたら、スポっとレイラに抱えられてしまったのだ。
かくして、俺を挟んでエルメリーヌ姫とレイラが対峙することになった。
「ニャンゴ様、これはいったい?」
「えっと……レイラ?」
「あら、姫様は普段のダンジョンの様子をご覧になりたいのですよね?」
そりゃまぁ、確かに普段はこんな格好で発掘の見守りをしてるんだけど、さすがに今日は……。
「ニャンゴ様は、普段このような体制で活動なさっていらっしゃるのですか?」
あれっ、姫様って氷属性でしたっけ。
「えっと……その、俺はダンジョンでは魔法で支援したり、防御したりするので……」
「見守りは長時間になるから、リラックスするのも大切なんですよ」
レイラが満面の笑みを浮かべるほどに、エルメリーヌ姫の瞳から感情が抜け落ちていくように見えるのは、気のせいだよね。
「そうですか、普段のニャンゴ様は随分と余裕がおありのようですね」
「余裕があるか無いかと問われれば、討伐依頼ではないので、切迫はしていませんが、油断もしていないつもりでして」
「そうね、ダンジョンの中では踏み踏みはしないものね」
ちょっとレイラさん、何を口走っちゃってるんですか。
「レイラさん、踏み踏み……とは?」
「寝ている時の話なので、ダンジョンとは関係ありませんよ」
「レイラさんは、ニャンゴ様と閨を共にされていらっしゃるのですか?」
「うちの拠点は手狭なので、シューレとミリアムも同じ屋根裏部屋に居ますから、御懸念のようなことはありませんよ」
その屋根裏部屋が裸族の園状態なのは、姫様には黙っておいてもらえますかねぇ。
「ニャンゴ様、もう少し広い拠点に引っ越されたらいかがです?」
「ダンジョンで活動する時間が長いから、豪華な拠点とか必要ないんですよ」
「そうそう、お風呂も二人で入っちゃえば、時間短縮になるしね」
「ニャンゴ様、レイラさんとお風呂も一緒なんですか?」
「そ、それは……そう、パーティーが大人数だから、一人でノンビリ入っていると時間が掛かってしまいますから……」
うわっ、何か変な汗が噴き出してくる……。
「ニャンゴは洗うのとっても上手よ。隅々まで優しく洗ってくれるのよ」
「ニャンゴ様、詳しく説明していただけますか?」
「えっと、えっと……あーっ、ここが最初に発見したショッピングモールの正面玄関で……」
ショッピングモールを発見した当時の状況とか、スマホを見つけた店とかで興味を引こうと試みたけど、全然話を逸らせないんですけどぉ……。





