愚痴
エデュアール殿下が退室し、騎士団長も業務に戻ることになったので、俺も一緒に退室させてもらおうと思ったのだが……バルドゥーイン殿下に捕まってしまった。
「ニャンゴ、ちょっと残ってくれないか?」
「はい……」
王族から頼まれてしまったら、しがない名誉子爵では、お断りするなんて不可能だ。
近衛騎士のルーゴに促され、バルドゥーイン殿下と向かい合う席に移動させられてしまった。
その上、バルドゥーイン殿下が何やら手で合図すると、ルーゴまで退室してしまった。
以前にも、別の部屋でバルドゥーイン殿下と差し向いで話をしたが、今はあの時よりも思わしくない状況だ。
これ以上、変な物は背負わされたくないんだけどにゃぁ……。
「殿下、話というのは……?」
「まぁ、少し待ってくれ、話の前にお茶にしよう」
どうやらルーゴは、お茶を取りに行っているらしい。
待つこと暫し、ルーゴがワゴンを押して戻ってきた。
「頭を使うと甘いものが欲しくなるからな」
ワゴンの上には、真ん丸なケーキが乗せられていた。
直径十センチほどの球形で、全体が茶色いクリームで包まれている。
ルーゴが俺の分のケーキを持ってきてくれると、フワっと栗の香りがした。
じゅわっと口の中に唾液が溢れてくる。
「栗を使ったケーキなんですか?」
「まだ味をみていないから分からないが、香りからするとそのようだな。さっ、遠慮せずに食べてくれ」
「はい、いただきます」
ケーキ用のナイフとフォークが用意されていたので、フォークで支えながら切り割ってみる。
内部には、大きさを変えたスポンジが層状に五段積まれ、間にもクリームが塗られている。
外側がマロンクリームで、スポンジの間には別のクリームが挟まれているようだ。
球形のケーキは、ナイフを入れて切り取ると、バランスが崩れて転がってしまいそうだが、そこは空属性魔法を使って支えれば大丈夫なのだ。
「うんみゃ! 外は栗、中はクルミのクリームか。クルミの粒もコリコリした歯ざわりで、うみゃ!」
「はははは! 良いな、やはりニャンゴと美味い物を食べるのは楽しい」
「このケーキは絶品ですよ。クリームの風味、スポンジの柔らかさ、味わい、全体のバランスが素晴らしいです」
「ならば、ニャンゴが絶賛していたと、料理人に伝えるように言っておこう」
夢中になって、うみゃうみゃしていたら、ケーキはあっと言う間に無くなってしまった。
あぁ、バルドゥーイン殿下の前じゃなかったら、お皿もペロペロしているのににゃぁ……。
楽しい時間というものは、あっと言う間に過ぎ去っていってしまうものだ。
ケーキの余韻を楽しみつつ、お茶を一口飲んだ所で、バルドゥーイン殿下が話を切り出した。
「さて、ニャンゴ。今日のエデュアールをどう見た?」
「どうとおっしゃいますと?」
「別に難しく考えなくても良い。見たまま、感じたままを教えてくれ」
「そうですねぇ……色々とお考えになられているようですが、少々軽率に見えました」
「まぁ、その通りだな」
一応、これでも言葉を選んで話している。
ぶっちゃけて良いなら、悪企みをするくせに思慮が浅すぎて、とても次の王様なんてまかせられないといった感じだろう。
「では、ニャンゴ、今日の処刑を民衆はどう見ただろうか?」
「そうですねぇ……何か王家にとって都合の悪い話を隠そうとした……民衆の犠牲を払ってでも……」
「そうだな、はっきり言って、今日の公開処刑は失敗だった」
バルドゥーイン殿下が思い描いていた理想の形は、バルナルベスが改心し、炎の中でも毅然とした態度で死を迎えるのを民衆が見守る……といった感じだったらしい。
「バルナルベスの処刑を取り止めることは出来なかったが、名誉ある死を迎えて欲しいと思っていたのだ」
「バルドゥーイン殿下は、バルナルベスの様子を監視されていたのですか?」
「一応な。エデュアールの説得が不調に終わった場合、何らかの手を打つつもりでいた」
「では、なぜ手を打たなかったのですか?」
「エデュアールが指示を出すものだと思い込んでいて、指示が遅れてしまった」
自己顕示欲の強いエデュアール殿下は自分で指示を出さないと気が済まないものだと、バルドゥーイン殿下は思い込んでしまっていたらしい。
騎士団長や王国騎士にも、エデュアール殿下の行動を注視し、何か指示を出したら近衛騎士の行動を止めるように指示していたそうだ。
「今になってみれば、エデュアールが事前に指示を出している可能性は十分にあると分かるが……思い込みというやつ厄介だな。ニャンゴが居なかったらと考えると、ぞっとする」
エデュアール殿下の近衛騎士ヴァーリンの素早さも、魔法の威力も、バルドゥーイン殿下たちの予想を上回っていたらしい。
我ながら、よく咄嗟にシールドを発動できたものだ。
「それにしても、分からないのが宰相の目的だ」
「宰相?」
ヤバい、突然ぶっ込まれたから、聞かなかった振りをしそこなった。
「そうだ、バルナルベスを唆したのは、宰相オーレリオ・エルマリートだ」
「ですが、証拠が無いとおっしゃっていたのではありませんか?」
「証拠は無いな。バルナルベスを唆したと言っても、エデュアールや王家を陥れるような事を言えと指示した訳ではない」
「では、どうやって」
「もう貴様は助からない、何も残せず死んでいくだけだ、生きた証は残らない……といった、ありきたりな言葉を投げかけ、死の恐怖を増大させていっただけだからな」
バルドゥーイン殿下は密偵を放ってバルナルベスを監視していたそうだが、最初はそうした策略に全く気付かなかったらしい。
罪人に関わる者が、行き過ぎた正義感から言葉の刃を向けるのは、珍しいことではないそうだ。
異変に気付いたのは、バルナルベスが特定の人物と接触した直後に取り乱すようになったからだそうだ。
つまり宰相の思惑通りに事が成就することが確実になって、ようやく気が付いた事になる。
「そのタイミングを狙っていたのでしょうか?」
「さぁ、そこまでは分からない。そもそも、宰相がバルナルベスを唆す理由が分からないからな」
「エデュアール殿下の評判を落とすためじゃないんですか?」
「それも考えたが。宰相は亡くなった兄の信奉者なんだ」
宰相オーレリオ・エルマリートは、今は亡き第一王子アーネストに心酔し、次の王になる事を望んでいたらしい。
国王陛下も、次代への王位譲渡を円滑に進めるために、オーレリオを宰相に据えたらしい。
「ですが、アーネスト殿下が亡くなられたのですから、別の方を支持されていらっしゃるのではないのですか?」
「いいや、オーレリオは特定の人物を支持することはしないと公言している。次の王が誰に決まろうが、粛々と仕事をするだけだそうだ」
宰相という地位まで登り詰めた人間にとって今の地位を確保するためには、誰を支持するといった発言はマイナスに働くだろう。
そう考えれば、オーレリオの発言は納得がいく。
納得はいくが、その発言の裏側で何を考えているのかは分からない。
「殿下にとって、宰相殿は敵……なのですか?」
「分からない。そうではないと思いたいが、何を考えているのか読めない男なのでな」
「エデュアール殿下にも伝えなかった、宰相殿の話を俺にする理由は何でしょう?」
「そんなに警戒する必要は無いぞ。これは単なる愚痴だ」
「えっ、愚痴……ですか?」
俺はてっきり何か重要な役割でも背負わされるのかと思っていたのだが、バルドゥーイン殿下はカラリと笑ってみせた。
「オーレリオの話をエデュアールにしたらどうなると思う?」
「それは、何か裏から手を回そうとするかと……」
「だろう? だからエデュアールには話せない。クリスティアンやディオニージも同じだ。王という地位にばかり目が向いていて、肝心なことを忘れている」
バルドゥーイン殿下は大きな溜息をつくと、冷えてしまったお茶で喉を湿らせた。
「かと言って、こんな話を下手に貴族にする訳にはいかない」
「俺なら良いんですか?」
「ニャンゴは、今以上の爵位や領地が欲しいか?」
「とんでもない! 今でさえ持て余しています」
「はははは、だからだよ。しがらみを持たないニャンゴくらいしか、私が愚痴をこぼせる人間は居ないんだ。ケーキ程度じゃ割が合わないと思うだろうが、まぁ勘弁してくれ」
「はぁ……」
たぶん、他に今みたいな話を出来るとすれば、王族なら国王陛下かファビアン殿下、エルメリーヌ姫くらいしか居ないのだろう。
それに、王城ではどこで聞き耳を立てている者が居るか分からないので、騎士団の食堂を利用しているのだろう。
まぁ、変な責任を背負わされず、愚痴を聞かされる程度なら、美味しいケーキで手を打っても良いかな。
なんなら、もう一個出してくれても良いんですよ。





