先史時代の乗り物
研究バカというか、純粋培養というか、モルガーナ教授への説明は困難を極めたが、研究室の学生を巻き込んで何とか理解させられた。
というか、交配とか生物学の基礎ぐらい履修しておいてくれよな。
「この品物の使い方と機能については理解しました……ご面倒をお掛けしました」
モルガーナ教授は、ほんのりと頬を染めながら、俺らから視線を逸らし気味に頭を下げた。
「ですが、まだ理解できないことがあります」
そうなんだよね、言ってみれば使い捨ての避妊具に、どうして品質保持の魔法陣なんて貼る必要があったのか……だよ。
単に使用期限を記載して、期限が過ぎたら破棄すれば良いと思うのだ。
「子供を作る行為をするのに、なぜ子供ができないようにするのでしょう?」
「そっちかい!」
思わず大きな声でツッコミを入れちゃったよ。
説明に協力してくれた学生さんと顔を見合わせた後、ポンと彼の背中を叩いておいた。
うん、任せた……。
避妊具に関する説明の続きは丸投げして、俺は発掘現場に戻ろうかと思ったのだが、研究室の片隅に置かれている物に気付いた。
「あぁ、捨てずに持ってきてたんですね」
「そうだ、その品物についても聞こうと思っていたんです。チャリオットの女性メンバーが、エルメール卿が気にしていた品物だから、捨てずに取っておくように言ってたんですよ」
「そうですか、レイラ、あの時のことを覚えてたんだな」
研究室の片隅に置かれていたのは、自転車と魔道具を使ったバイクの残骸だ。
最初に新区画のショッピングモールの規模をレイラと一緒に調べた時、駐輪場と思われる場所で見つけたのだ。
今回、新しい地下道が建設され、発掘のための入り口は駐輪場の方へと移動した。
発掘再開初日、俺はノイラート辺境伯爵領へ出掛けていたが、レイラが保管するように伝えてくれたようだ。
「これは、先史時代の乗り物ですね」
「乗り物? 車輪は二つしか付いていませんよ」
「車輪が二つでも大丈夫なんですよ。円盤状の物体は、回転すると慣性力が働きますからね」
「かんせい……りょく?」
「あー、どうやって説明しようかなぁ……そうだ」
ポケットから銅貨を取り出し、これを使って説明することにした。
「このコイン、回転していない状態で立てようとしても、すぐに倒れてしまいますよね?」
「はい、ですから車輪二つでは乗り物として成立しないと思うのですが……」
「ちょっと、これを見てください。ここに空属性魔法を使ってスロープを作りました」
テーブルの上に、魔法で固めた空気の板を斜めに設置し、どんな状態なのかモルガーナ教授と学生さんに触ってもらった。
「では、ここにコインを立てると……」
コインは斜面を下り、テーブルの上を転がっていった。
「なるほど、コインが回っている時には倒れにくくなるんですね」
「そうです。そして、この部分、今は錆びて塊になってしまっていますが、元々は一つ一つが小さな部品で構成されていて、自由に曲がるようになっていたと思われます」
自転車のチェーンの部分を指差しながら、構造について解説を加えた。
「なるほど、この歯車を足で回し、これが動力の伝達を行い、車輪に付いた歯車を回すのですね」
「そうです。そうして車輪が回転すれば、慣性力が働いて倒れにくくなって、乗り物として成立する訳です」
「こちらは、その魔導車版ということですね?」
「そうだと思います。この後ろの車輪の中央が、魔道具の動力になっているのでしょう」
俺が説明を始めたことで、研究室で別の作業を行っていた学生たちも集まってきた。
「エルメール卿、こちらの魔導車は分かるのですが、人の力で回すものは、あまり意味が無いような気がするのですが……」
「いえいえ、たぶん、普通に歩くよりも、ずっと楽に、ずっと速く進めると思いますよ」
「えっ、そうなんですか?」
「考えてみて下さい、荷物を担いで歩くのと、荷車に載せて引くのとでは、どちらが楽ですか?」
「あぁ、なるほど……車輪が重さを負担してくれるんですね?」
「その通りです。体の重さを車輪が支えてくれる分、歩くよりも遥かに楽だと思いますよ」
俺が解説を加えたことで、今まで錆び付いた『何か』だった物が、一躍脚光を浴びることとなった。
「教授、これはアーティファクトと呼んでも良いのでしょうか?」
学生から質問を受けたモルガーナ教授は、少し考えた後で頷いてみせた。
「魔道具ではないので、厳密に言えばアーティファクトではないのかもしれませんが、これが再現されたら世の中に大きな影響を与えると思います。そういう意味では、アーティファクトと呼んでも良いと私は考えます」
確かに、自転車やバイクが再現されれば、シュレンドル王国の交通事情は一変するだろう。
今は、移動のための手段は馬車が主流で、魔導車は王族や貴族、それに一部の金持ちに限られている。
馬車を動かしているのは生き物である馬なので、連続して走らせるのには限度があるし、速度にも限界がある。
変速機の付いた自転車が普及すれば、体力のある人ならば馬車よりも速く移動できるようになるはずだ。
「エルメール卿、この車輪にこびりついている物は何なのでしょう?」
「恐らくですが、柔軟性というか、弾力性のある物質が付いていたのだと思いますよ」
アーティファクトの中に残っていたデータで見掛けたことにして、タイヤやチューブについても解説を加えた。
「空気や水を通さない膜……ですか?」
「はい、こんな感じですね」
空属性魔法を使って、ビーチボールのような物を作って、モルガーナ教授に手渡した。
「これは……なるほど弾力がありますね」
「弾力のある物質は、先程の瓶の蓋のように、長い年月には耐えられずに朽ちてしまったのでしょう」
「長い年月には耐えられなくても、数年間性能を維持できるなら、価格次第では使い物になりますね」
「はい、馬車や魔導車に使える物が作れれば、乗り心地がぐっと良くなると思いますよ」
実際、普通の人が馬車で移動する際に、悩まされることの一つが振動だ。
貴族が使うような魔導車や高級な馬車にはサスペンションのような物が付いているようだが、一般人が使う馬車は路面の凹凸がもろに伝わってくる。
チャリオットが馬車で移動する時は、俺が空属性魔法のクッションを作っているから大丈夫だが、何も振動対策をしないで長時間馬車に揺られるのは苦行としか言いようが無い。
「防振ですか……」
「外側の厚い層が強度を担い、内側の薄い層が空気が抜けるのを防いでいたようですね」
「空気を閉じ込める膜ですか……」
「空気を閉じ込める膜が作れれば、雨具にも応用できますし、空を飛ぶ道具も作れるようになるかもしれませんよ」
先程、ネルデーリ学部長に大目玉を食らっていたレンボルト准教授の研究を例に出すと、こちらの研究室に参加している学生たちも知っているようだった。
まぁ、毎度あの調子で実験を続けていたのなら、目立つのも当然だよね。
「一つの材料は、一つの目的のためだけでなく、微妙に性能を変えて色々な物に使われていたと思われます。こちらの研究が進めば、別の研究とも繋がりができるんじゃないですか?」
「そうですね。ただ、現状は圧倒的に人材が不足しています。あまりにも先史時代と今とでは、技術の格差が大きすぎて、それを埋めることすら出来ていませんからね」
まぁ、それは当然だろう。
何百年も進んだ技術が目の前に現れた場合、その品物を使えるようになったとしても、同じものを再現して作りあげるには相当な時間が必要になるはずだ。
「また何か、研究に行き詰まったりした時には声を掛けてください。俺に分かることでしたら、僭越ながらアドバイスさせていただきます」
「それはもう、是非、よろしくお願いします」
まさかの性教育講座とか、あわやの労災事故防止とか、予定外の事態は続いたけど、学院の食堂でスズキのパイ皮包みをうみゃうみゃできたから良しとしよう。