車中の論戦
引継ぎ作業が完了して、ようやく帰れる目途が立った。
旧王都を出立してから、既に二十日近くになる。
当初の予定では、今頃はダンジョンの発掘現場に戻っているはずだったのだが、想定外の事態の連続で、こんなに日数が掛かってしまったのだ。
バルドゥーイン殿下一行の一員としてホフデン男爵家を出立したが、例によって俺は上空を移動している。
ホフデン男爵家の取り潰しが決定的となり、これまで過剰に取り立てられていた税も払い戻されるという通達が出ているので、住民や反貴族派が暴れる可能性は低い。
だが、情報というものはどこから漏れ出すか分からないので、元領主の家族が同行していると知れば、これまでの恨みを晴らそうとする者が現れたとしてもおかしくはない。
そこで俺は上空からの警戒を依頼されたのだが、正直まったく危険は感じられない。
というのも、ホフデン男爵領の道は、意外なほどに整備されていた。
主要な街道の両側は、街や村を除けば殆どが畑か牧草地で、何ものかが待ち伏せを企てるとしても、隠れられそうな場所は限定される。
防風林らしい林の陰や、小川を渡る橋の下など、隠れられる場所が限られてしまうので、先回りして確認してしまえば、襲撃される可能性は殆ど感じられない。
『ニャンゴ、異常は無いか?』
「ありません。長閑なものですよ」
渡してある通信機を通してバルドゥーイン殿下の呼びかけが届いたが、街道の両脇に広がっているのは長閑な田園風景だ。
心なしか農作業をする人々の表情が、来た時よりも明るくなっているように感じる。
まぁ、それは税が払い戻されるという情報を聞いているから、余計にそう感じるだけなのかもしれない。
『引き続き油断なく見張りを続けてくれ』
「かしこまりました」
とは言ったものの、ヒゲも全くビリビリしないし、天気は良いし、空属性魔法の魔道具で空調管理も万全だし……このままでは眠たくなってしまう。
そこで、王都へと連行されるホフデン男爵家の第三夫人、長男、次男の様子を聞いてみることにした。
出発前、三人には念のため逃走防止用に探知ビットを貼り付けておいたので、そこを基準にして集音マイクを設置すれば、手に取るように会話を盗み聞きできる。
まだ正式に取り潰しが決定していないので、三人はホフデン男爵家の馬車に同乗しての移動となる。
馬車の周囲は護衛と逃走防止のために、王国騎士が取り囲んでいる。
収音マイクを設置してみると、馬車の中ではちょっとした対立が起こっているようだ。
『バルドゥーイン殿下に敬意を表するのは当然だが、あんなニャンコロにまで気を遣う必要など無い。亡き父上も、そう言っていたではないか』
ムカっとする言葉を発したのは、どうやら次男のバルナルベスのようだ。
『だが、エルメール卿はバルドゥーイン殿下のお気に入りだと聞いている。彼を軽んじれば、殿下の機嫌を損ねることになるのではないのか?』
長男アルフレートの言葉には、弟を教え諭すような響きが含まれているように感じた。
『何を言う、伝統と格式あるホフデン家が軽んじられる方が由々しき事態ではないか。あんなぽっと出の猫人なんぞが、貴族面している事の方が許されないだろう』
どうやらバルナルベスは父親ゆずりの差別主義者のようだ。
『しかし、エルメール卿は名誉子爵、ホフデン家よりも貴族としての位は高いのだぞ』
『領地も持たぬ名誉称号など何の意味も無いだろう』
『貴族の位は国王陛下がお認めになって与えられるものだ、それを否定するのは国王陛下への反逆ととられかねないぞ』
『馬鹿なことを言うな、国王陛下に対して正しいと思う意見を進言することこそが、家臣としての務めではないか』
俺からすれば、アルフレートの考えが正しいとは思うのだが、バルナルベスは己の考えを曲げようとはしない。
『ふん、貴様は派閥の集まりに呼ばれていなかったから分からんのだろうが、我々の派閥には猫人なんぞを認めている者は一人もいなかったぞ』
『それは、エデュアール殿下も同じなのか?』
『当然だ。猫人なんかは、使い捨てだとおっしゃられていた』
反貴族派による襲撃を報告するために騎士団を訪れた時、バルドゥーイン殿下からホフデン男爵家はエデュアール殿下の派閥だと聞かされた記憶がある。
使い捨てと言われるのは癪に障るが、エデュアール殿下は俺以外の貴族も使い捨てのコマにしか考えていない気がする。
今回の一件は、王城で裁定が下されることになるそうだが、エデュアール殿下がバルナルベスの助命に動くとは考えにくい。
俺の勝手な印象ではあるが、トカゲの尻尾切りのように切り捨てられるだけだろう。
それにしても、街道を進んでいても全く危険を感じない。
思い返してみれば、俺がホフデン男爵への襲撃を退けた現場も、見通しの良い場所だった気がする。
「殿下、ちょっとよろしいでしょうか?」
『どうした、ニャンゴ』
「街道沿いについては、全く危険を感じません」
『それは結構だが、油断しないでくれよ』
「はい、警戒を緩める気はありませんが、襲われる気が全くしません」
『まぁ、税の払い戻しなどの通達も出したしな』
「そうではなくて……街道脇が綺麗に整備されていて、この状況では隠れたり、待ち伏せするのは難しいと感じます」
『ちょっと待て……』
バルドゥーイン殿下が言葉を切った後、窓が開かれる音がした。
どうやら殿下は、馬車の周囲の様子を確かめているようだ。
『なるほど、確かにニャンゴの言う通りだ。これでは襲撃が成功するとは思えんな』
「はい。なので、もしかすると手引きをした者が居たのかと……」
『身内の騎士に裏切られていたのか……確かに考えられなくはないな』
「今更調べても、あまり意味が無いのかもしれませんが、ちょっと気になりました」
『分かった、バルドレードが襲撃された日に警備を担当していた者達を調べさせよう』
今回の騒動で、反貴族派と思われる主だったメンバーは、ホフデン家の騎士達との戦いで戦死している。
住民を利用して金儲けを画策する連中ならば、真っ先に逃亡を企てていると思うが、騎士達の対応が想像以上に強引だったために逃げ損ねたという可能性もある。
騎士の中に裏切者がいるならば、そうした事情を把握しているかもしれない。
ホフデン男爵家が取り潰しとなれば、そうした者達は新たな職を求めて他領に流れていくかもしれない。
ホフデン家の内情を知り、住民の苦境を救う手助けをしたかったのかもしれないが、暴力による現状変更を目指すのは、言うなればテロ行為だ。
そうした人間が他の領地に流れて、今回の成功体験を元にして自分勝手な正義感を振り回し、周りの人を巻き込んで騒動を起こすような事はあってはならないと思う。
俺がバルドゥーイン殿下と言葉を交わしている間も、アルフレートとバルナルベスは口論を続けていた。
『父上が法に反する税を課していたと知っていたなら、なぜお諫めしなかったんだ』
『世間知らずの貴様は知らぬのだろうが、あの程度の事は珍しくも何ともない、何処の領地でも普通に行われている事だ』
『そんなはずはない、少なくとも私の友人の領地では、過剰な税の取り立てなど行われていないぞ』
『ふん、貴様が騙されているだけだ。真面目くさった人間に、下らない論戦を挑まれるのが面倒だから、過剰な取り立てはしていないと嘘をついているだけだ』
『どこの領地でも違法な取り立てが行われているのなら、いくら王家が取り締まろうと反貴族派による反乱は抑え込めないだろう。だが、現実には反貴族派の活動は抑え込まれている』
『当然だ。あんな杜撰な連中が、騎士の相手になるものか。父上は油断しただけで、あんな連中など恐れるに足らんわ!』
次第に熱を帯びていく論戦は、第三夫人ロエーラの仲裁も聞き入れず、この後も暫く続けられた。





